第四話 北への道
帝都を出て五日目の夕暮れだった。
街道の両脇には枯れ草が広がり、木々も葉を落とし始めている。
北へ進むにつれ、大河の潤いは少しずつ遠ざかっていた。
沈遙は隊商の一団とともに歩いていた。
一人旅は盗賊に狙われやすい。
商人たちに銀を払い、同行させてもらっているのである。
「旦那は学者先生かい?」
隊商の頭を務める男が尋ねた。
名を趙万という。
髭の濃い大男だった。
「そんなところです」
「役人には見えねえな」
沈遙は苦笑した。
実際、役人らしい威厳など持ち合わせていない。
「北は初めてか?」
「ええ」
「なら覚えとけ。都の話を北で口にするな」
「なぜです」
趙万は鼻を鳴らした。
「笑われるからだ」
その意味を聞こうとした時、前方から馬が近づいてきた。
騎乗しているのは二人。
どちらも疲れ切った顔をしている。
隊商の横を通り過ぎようとしたが、趙万が呼び止めた。
「どこから来た!」
「北州だ!」
男は叫ぶように答えた。
「急いで都へ向かう!」
「何があった!」
男は少しだけ振り返った。
夕陽に照らされた顔には焦りが浮かんでいる。
「草原の連中が動いてる!」
それだけ言うと馬を走らせて去っていった。
隊商の空気が重くなる。
誰も口を開かなかった。
やがて沈遙が尋ねた。
「よくある話なのですか」
趙万は首を振った。
「噂ならな」
「では」
「噂で終わらねえから厄介なんだ」
その夜、一行は街道沿いの宿場に泊まった。
名を青柳駅という。
二十軒ほどの建物が集まる小さな集落だった。
夕食の席では旅人たちが酒を飲みながら噂話をしている。
北の騎馬民が集結している。
辺境の砦が焼かれた。
いや、それは嘘だ。
今度は将軍が反乱を起こすらしい。
話は次々と変わる。
誰も確かなことは知らない。
沈遙は黙って聞いていた。
その時、隅の席にいる一人の男が目に留まった。
三十代半ばだろうか。
旅装束だったが、商人には見えない。
剣を帯びている。
だが兵士とも違う。
男は誰とも話さず、一枚の紙に何かを書き続けていた。
沈遙が何気なく見ていると、その男が顔を上げた。
目が合う。
鋭い目だった。
まるで相手の内側まで見透かそうとするような。
男は一瞬だけ沈遙を見た。
それから何事もなかったように視線を戻した。
不思議な人物だった。
翌朝、沈遙が目を覚ました時には、その男はすでに宿を発っていた。
宿の主人に聞いても名は知らないという。
「変わった客だったよ」
主人は言った。
「役人みたいに話を聞いて回ってた」
沈遙は少し気になった。
だが、それ以上考えるのをやめた。
旅には様々な人間がいる。
そういうこともあるだろう。
朝日が昇る。
北への街道はまだ続いていた。
遠くの空には灰色の雲が広がっている。
風は冷たかった。
その風の中に、沈遙はわずかな違和感を覚えた。
何かが起きる前の静けさ。
天文台で嵐を待つ夜空を見上げていた時と同じ感覚だった。
そして彼はまだ知らない。
昨夜、宿で見かけた男もまた、帝都を出た一人であったことを。




