第三十三話 旅の終わりと始まり
草原の集落を離れて三日が過ぎた。
一行は南へ向かって進んでいた。
どこまでも続いていた草原は少しずつ姿を変え、丘や林が増えている。
吹く風もどこか柔らかかった。
「ようやく戻ってきた感じがするな」
趙万が言った。
「草原は苦手ですか」
沈遙が尋ねる。
「嫌いじゃねえ」
趙万は肩をすくめる。
「だが目印が少ねえんだ」
「たまに自分がどこ歩いてるか分からなくなる」
「それはお前だけだよ」
柳月が笑った。
「そんなことねえ」
二人のやり取りに沈遙も笑う。
旅に出た頃は、こうした会話に加わることなど考えもしなかった。
今では自然に聞いている自分がいる。
昼過ぎ、一行は街道脇で休憩を取った。
馬に水を飲ませ、簡単な食事を取る。
沈遙は懐から白い石を取り出した。
草原の少年にもらった石だった。
陽の光を受けて白い模様が浮かび上がる。
「まだ持ってたのか」
趙万が覗き込む。
「記念です」
「石なんか持って帰ってどうする」
「分かりません」
沈遙は正直に答えた。
「ですが捨てる気にはなれません」
柳月が少し笑った。
「先生らしいな」
休憩を終えると再び出発する。
夕方になる頃、小さな町が見えてきた。
北陵ほど大きくはない。
だが街道が交わる場所らしく、人の往来は多かった。
商人。
旅人。
荷車を引く農民。
様々な人々が行き交っている。
宿へ着く頃には空も赤く染まっていた。
荷物を下ろし、ようやく一息つく。
夕食の席で柳月が口を開いた。
「ここで一日休む」
「珍しいですね」
沈遙が言う。
隊商は基本的に移動し続ける。
休息日は多くない。
「荷の整理もあるしね」
柳月は答えた。
「それに次は別の街道へ向かう」
「別の街道ですか」
「北陵へ戻るにはまだ早い」
沈遙はうなずいた。
旅はまだ続くらしい。
少し前までなら、早く任務を終えたいと思っていたはずだった。
だが今は違う。
まだ見ていない土地がある。
会っていない人がいる。
知らない暮らしがある。
それらを見たいと思うようになっていた。
食後、沈遙は一人で町を歩いた。
夕暮れの市場にはまだ人が残っている。
店じまいをする者。
酒を飲む者。
家路を急ぐ者。
どこへ行っても人は生きている。
その当たり前のことが、旅に出てから少しだけ特別に思えるようになった。
宿へ戻ると記録帳を開いた。
旅の途中で見聞きしたことを書き留めていく。
羊飼いの少年。
草原の祭り。
神馬。
川を渡る農民。
少し前なら決して出会わなかった人々だった。
筆を走らせながら沈遙は思う。
都にいた頃、自分は世界を知っているつもりだった。
だが実際は違った。
知らないことばかりだった。
記録を書き終える。
そして最後に一行だけ付け加えた。
『旅は遠くへ行くことではない。自分の知らなかったものに出会うことだ。』
沈遙は筆を置いた。
窓の外では夜の帳が下り始めている。
明日もまた、新しい道が待っていた。




