第二十話 州府の書記
翌日、沈遙は久しぶりに州府を訪れた。
北陵へ来てから町や村を歩いてきたが、集めた話を一度整理したかったのである。
州府の役人は前回と同じように丁重に迎えた。
「閲覧できる記録があれば見せていただけませんか」
沈遙が頼むと、若い役人が案内役として付いた。二十代半ばほどだろうか。痩せた体つきで、真面目そうな顔をしている。
「こちらへどうぞ」
役人はそう言って歩き出した。
書庫は州府の奥にあった。棚には帳簿や記録が並んでいる。沈遙は思わず感心した。
「思っていたより多いですね」
「州牧様が記録を残すことを重視されているので」
若い役人は答えた。その口調にはどこか誇らしさがあった。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「王成と申します」
沈遙はうなずいた。
「私は沈遙です」
「存じています」
王成は少し笑った。
「都から来られた方ですよね」
書庫の中は静かだった。
窓から差し込む光の中で、沈遙は記録を読み始める。人口。作物。家畜。河川。土地の広さ。
どれも興味深かった。
だが数字だけでは見えないものも多い。
村で会った老人や羊飼いの少年の顔が頭に浮かぶ。しばらくすると王成が茶を運んできた。
「ありがとうございます」
「何か分からないことがあればお聞きください」
「では一つ」
沈遙は顔を上げた。
「北陵の人々は州牧様を慕っているようですね」
王成は少し驚いた顔をした。
「町を歩かれたのですか」
「ええ」
「それなら分かると思います」
王成は穏やかに答える。
「州牧様は良い方です」
それ以上は語らなかった。
だが、その言葉に迷いはなかった。沈遙は記録帳の端に小さく書き留める。
『王成。州府書記。州牧を敬愛。』
昼過ぎになると、書庫の外が少し騒がしくなった。何人かの役人が慌ただしく廊下を行き来している。
沈遙が顔を上げると、王成は苦笑した。
「最近は忙しいのです」
「何かあったのですか」
「春ですから」
王成は答える。
「税の確認や各村からの報告が集まる時期です」
なるほど、と沈遙はうなずいた。
辺境の州も役所である以上、多くの仕事があるのだろう。その時、廊下の向こうを見覚えのある男が通り過ぎた。
陸景だった。相変わらず足早に歩いている。
沈遙が視線を向けると、王成の表情が少しだけ固くなった。だが、それはほんの一瞬だった。
「監察使殿は忙しそうですね」
沈遙が言う。
「そうですね」
王成は短く答えた。それ以上の話は続かなかった。
夕方になり、沈遙は州府を後にする。
見た記録よりも、王成という若い役人の方が印象に残った。
真面目で、よく働き、州牧を尊敬している。
そんな人物に見えた。
帰り道、沈遙は記録帳を開く。
北陵に来てから書いた文字は、すでにかなりの量になっていた。だが、まだ足りない気がする。
人を知るには、もう少し歩かなければならない。そう思いながら、沈遙は夕暮れの町へ戻っていった。




