第十七話 北の村
翌日、沈遙は北へ向かった。柳月の言葉が気になっていたからだ。町を離れると、人の姿は次第に少なくなった。街道の脇にはまだ雪が残っている。吹く風も町中より冷たい。
半日ほど歩いた頃、小さな村へ辿り着いた。石を積んだ低い塀に囲まれた村だった。畑では何人かの村人が働いている。子どもたちは家の前を走り回っていた。
井戸の近くにいた女へ声を掛ける。
「こんにちは」
女は桶を抱えたまま振り返った。
「旅の方ですか」
「都から来ました」
「商人ではなさそうですね」
「役人です」
女は目を丸くした。
「こんな村まで役人が来るんですか」
「北陵の様子を見て回っています」
女は少し考えた後、小さく笑った。
「なら、何もない村ですよ」
沈遙も笑う。
「そういう場所ほど見てみたいのです」
村の中を歩く。大きな村ではない。家は二十軒ほどだろうか。だが人々は忙しそうだった。薪を割る者。柵を直す者。家畜の世話をする者。冬が終わり、皆が一斉に動き出しているように見えた。
畑の脇で休んでいた老人が沈遙を呼び止めた。
「役人さん」
「はい」
「都は遠いか」
突然の問いだった。
「ここから馬で半月ほどでしょうか」
老人は苦笑した。
「やっぱり遠いな」
「行ったことはありませんか」
「ない」
老人は首を振る。
「たぶん一生ないだろう」
沈遙は返す言葉に迷った。
老人の口調に不満はない。ただ事実を語っているだけだった。
「都はどんな所だ」
「人が多いですね」
「それは分かる」
老人が笑う。
「他には」
沈遙は少し考えた。
「夜でも明るいです」
「夜なのにか」
「店も多いですし、人も歩いています」
老人は感心したように何度もうなずいた。
「面白いもんだな」
その顔は孫の話を聞く祖父のようだった。
しばらくして村の子どもたちが集まってきた。
「本当に都から来たのか」
「都には皇帝がいるんだろ」
「天文台って何だ」
質問が次々に飛んでくる。
沈遙は一つ一つ答えた。
やがて子どもたちは満足したのか、また駆けていった。
老人が目を細める。
「静かな村です」
沈遙が言うと、老人はうなずいた。
「静かだな」
そして少しだけ声を落とした。
「だから州牧様には感謝してる」
沈遙は顔を上げた。
「州牧様ですか」
「あの方が来る前は、もっと苦しかった」
老人はそれ以上語らなかった。
だがその言葉には重みがあった。
沈遙は記録帳を開く。
『北の村。州牧への信頼厚し。』
短く書き留める。
日が傾き始めた頃、沈遙は村を後にした。帰り道、丘の上から振り返る。小さな村だった。都の地図では名前すら目立たないかもしれない。
だが確かに人々が暮らしている。
笑い、働き、冬を越えて春を迎えている。
沈遙は記録帳を閉じた。
都で読む報告書には載らないものが、この土地には数多くあるようだった。




