第十六話 城壁の外
翌朝、沈遙は城壁の外へ出た。北陵の町は活気があったが、それだけを見ていては土地のことは分からない。州牧も言っていた。北陵は帳簿だけでは分からない土地だと。
城門を抜けると、冷たい風が頬を撫でた。遠くにはなだらかな丘が続いている。草はまだ短く、冬の名残が残っていた。
街道沿いでは何人かの農民が畑を耕していた。沈遙は近くにいた老人へ声を掛ける。
「お仕事中に失礼します」
老人は鍬を止めた。
「なんだい」
「都から来ました。北陵の様子を見て回っています」
「役人か」
「はい」
老人は沈遙をじろりと見た。だが警戒している様子はない。
「なら都へ伝えてくれ」
「何をでしょう」
「冬を短くしろ」
老人は真顔で言った。
沈遙は思わず笑ってしまった。
老人もつられて笑う。
「無理だろう」
「ええ、さすがに」
「だが、それくらい冬は厄介だ」
老人は畑を見渡した。
「ここじゃ冬が長い。雪が降れば畑は眠る。家畜も痩せる」
「毎年ですか」
「毎年だ」
老人は当然のように答えた。
「だから春が来ると皆、急いで働く。少しでも収穫を増やさなきゃ冬を越せんからな」
沈遙は記録帳を取り出した。
『北陵の冬は厳しい。人々は短い春から秋に備える。』
文字を書き終えると、老人が興味深そうに覗き込む。
「何でも書くんだな」
「忘れないためです」
「便利な頭を持ってるじゃないか」
「頭が悪いので書かないと忘れるんです」
老人は大声で笑った。
しばらく歩くと、小川の近くで若い男たちが水路の補修をしていた。雪解け水で崩れた土を運び、石を積み直している。
「ご苦労様です」
沈遙が声を掛けると、一人の男が額の汗を拭った。
「見ての通りだ」
「毎年こうした作業があるのですか」
「ああ」
男はうなずく。
「春になればな」
「放っておくと畑に水が行かなくなる」
沈遙はしばらく作業を眺めていた。
都では役人が整えた水路を当たり前のように使う。だがここでは人々が自分たちの手で直している。
土地が違えば暮らしも違う。
それを改めて実感した。
昼近くになり、沈遙は街道脇の茶店へ入った。簡素な店だったが客は多い。農民や荷運び人が休憩している。
湯気の立つ茶を飲んでいると、隣の席の男たちが話し始めた。
「今年は去年より良さそうだな」
「ああ」
「雪が少なかった」
沈遙は耳を傾ける。
話題は天候だった。
雨の量。
雪解けの時期。
家畜の数。
都では税や官職の話ばかり耳にするが、ここでは違う。
人々の関心は日々の暮らしに向いていた。
茶を飲み終えた頃、一台の荷車が店の前で止まった。
見覚えのある顔が荷台から降りてくる。
柳月だった。
「あんた、また紙に何か書いてるね」
沈遙は苦笑する。
「見たことを書いているだけです」
「そんなに面白いかい」
「私には面白いですよ」
柳月は呆れたように肩をすくめた。
「変わった役人だ」
そう言いながら茶を注文する。
沈遙はふと尋ねた。
「柳月さんは北陵の生まれなのですか」
「そうだよ」
柳月はあっさり答えた。
「町の中も外も知ってる」
「では、この辺りで一番大変なのは何でしょう」
柳月は少し考えた。
そして北の丘を見た。
「忘れることさ」
「忘れる?」
「冬が終わると皆安心する」
柳月は静かに言う。
「だが次の冬は必ず来る」
沈遙はその言葉を記録帳に書き留めた。
柳月は苦笑する。
「だから書くなって」
「良い言葉でしたので」
「商売人の愚痴だよ」
柳月は茶を飲み干した。
やがて荷車へ戻る。
「町の外を見るなら北へ行きな」
「北ですか」
「もっと北だ」
そう言い残し、柳月は去っていった。
沈遙は小さく手を振る。
記録帳を閉じると、北の丘へ目を向けた。
北陵という土地を知るには、まだ歩かなければならない道がありそうだった。




