第十四話 北陵の門
趙万の隊商が北陵へ到着したのは雪解けが始まった頃だった。街道脇に残る雪は黒く汚れ、吹き抜ける風にはまだ冬の冷たさが残っている。丘を越えた先に北陵の城壁が見えた時、隊商の者たちは小さく歓声を上げた。都を出てから半月余り。長い旅だった。
「ようやく着いたな」
趙万が馬上で大きく伸びをした。
「思ったより立派な城壁ですね」
沈遙が言うと、趙万は笑った。
「都の連中は辺境って聞くと何でも田舎だと思うからな」
「違うのですか」
「違うさ。北と都を結ぶ要衝だからな。金も人も集まる」
確かに城門の前には長い列ができていた。羊を連れた遊牧民。毛皮を積んだ荷車。南から来た塩商人。様々な人々が順番を待っている。
沈遙は懐から記録帳を取り出した。
『北陵。交易盛ん。草原との往来多し。』
そう書きつける。
それを見た趙万が呆れたように笑った。
「また書いてる」
「忘れますから」
「忘れる前に景色を見ろ」
沈遙もつられて笑った。
城門をくぐると、市場の喧騒が一気に押し寄せてきた。羊毛、革細工、干し肉、薬草、香辛料。見慣れない品が並んでいる。都とは匂いが違った。
沈遙は思わず足を止めた。
人が暮らす場所には、その土地の歴史がある。
それを見るのが好きだった。
その時だった。
「その値段なら売らなくて結構だよ」
女の声が響いた。
人だかりの向こうで商人同士が言い争っている。
一人は穀物商。
もう一人は女だった。
三十歳前後。
旅装束に身を包み、腰には短剣を差している。
「柳月、お前は強情すぎる」
穀物商が顔を赤くしている。
「商売だからね」
女は平然と答えた。
「情けで荷は運べないよ」
周囲から笑い声が起きる。
結局、穀物商が折れた。
女は代金を払い、部下たちへ指示を出す。その動きには迷いがなかった。
沈遙が見ていると、女がこちらへ目を向けた。
「見ない顔だね」
「今日着いたばかりです」
「旅人かい」
「役人です」
女は眉を上げた。
「役人にしては荷が少ない」
「紙ばかり持ち歩いていますので」
女は声を上げて笑った。
「変わった役人だ」
それだけ言い残し、部下たちを連れて去っていく。
「柳月だ」
趙万が言った。
「知り合いですか」
「商売仲間みたいなもんさ。この辺りじゃ有名人だ」
沈遙は遠ざかる背中を見送った。
強い風の中を迷いなく歩いていく姿が印象に残った。
市場を抜けたところで趙万が立ち止まった。
「俺たちは商人宿だ」
「ここまで世話になりました」
沈遙が頭を下げる。
「なに、またどこかで会うさ」
趙万は笑った。
「生きてりゃな」
そう言って手を振る。
沈遙も軽く会釈し、州府へ向かった。
今回の役目は北陵の風土と民情を調べることだった。不正を暴くことでも、誰かを裁くことでもない。人々がどのように暮らしているのか。それを見て記録する。それが沈遙に与えられた役目だった。
州府では役人が丁重に迎えた。
しばらく待たされた後、一人の男が現れる。
州牧だった。
五十代半ば。
髭には白いものが混じっている。
だが眼差しには力があった。
「都から来た天文台の役人か」
「沈遙と申します」
州牧は席につきながら笑った。
「空を見る者が北陵へ来るとは珍しい」
「空だけではありません」
沈遙も微笑む。
「土地や人々の暮らしも見て回るつもりです」
「それは良い」
州牧は満足そうにうなずいた。
「北陵は帳簿だけでは分からん土地だ」
その言葉は妙に心に残った。
その時、廊下の向こうが騒がしくなった。
足音が近づいてくる。
役人が慌てた様子で部屋へ入った。
「州牧様」
「監察使が到着しました」
州牧の表情がわずかに変わる。
やがて扉が開いた。
入ってきた男の顔を見て、沈遙は思わず目を見開いた。
墓地で別れた男、陸景だった。
陸景も沈遙に気づいたらしい。
一瞬だけ眉を動かす。
「また会いましたね」
沈遙が言う。
陸景は小さくうなずいた。
「ああ」
それだけだった。
だが青柳で見た時と同じく、その目は鋭かった。
沈遙は州牧と陸景を見比べた。
一人は北陵を治める男。
一人は朝廷から来た監察使。
沈遙は二人に一礼すると、州府を後にした。
まずは町を歩いてみよう。
人の暮らしを見ることこそ、自分の役目なのだから。




