第十三話 帳簿の外
墓地から戻る道すがら、沈遙は黙って歩いていた。
陸景も何も言わない。
風だけが枯れ草を揺らしている。
やがて沈遙が口を開いた。
「実数とは、亡くなった者の数だったのですか」
陸景は首を振った。
「違う」
それだけ言った。
沈遙は続きを待つ。
「死者も含まれる」
陸景は前を向いたまま話した。
「だが、それだけじゃない」
町へ続く道の先に安河の家並みが見える。
煙突から細い煙が立ち上っていた。
「畑を失った者」
「流民になった者」
「借金で売られた者」
「死んだ者」
陸景は淡々と数えた。
「帳簿から消える者たちだ」
沈遙は思わず足を止めた。
帳簿から消える。
その言葉が重かった。
役所の帳簿には税を納める民が記される。
土地が記される。
収穫が記される。
だが土地を失った者はどうなる。
村を去った者はどうなる。
死者はどうなる。
「都は豊作の報告を受ける」
陸景が言う。
「数字だけ見れば間違っていない」
沈遙は思い出した。
安河の収穫は確かに悪くなかった。
飢饉でもない。
だが人々は苦しんでいた。
「数字は残る」
陸景は続ける。
「人が消える」
その言葉に沈遙は返事ができなかった。
夕方、宿へ戻ると趙万が荷車の前で腕を組んでいた。
「先生」
顔が険しい。
「何かありましたか」
「明日発つ」
沈遙は驚いた。
「急ですね」
「北から隊商が戻ってきた」
趙万は声を潜める。
「嫌な話ばかりだ」
砦の周辺で騎馬民の姿が増えている。
兵の移動も活発になっている。
商人たちは北を避け始めているという。
「だから今のうちだ」
趙万は言った。
「行くなら明日しかねえ」
沈遙はうなずいた。
もともと安河に長居するつもりはなかった。
だが一つだけ気がかりがある。
牢の若者だった。
翌朝、出発前に牢を訪ねる。
若者は壁にもたれて座っていた。
「裁きは明日だそうですね」
若者は笑った。
諦めたような笑みだった。
「そうらしい」
「家族は」
「母親だけだ」
沈遙は何か言おうとした。
だが適切な言葉が見つからない。
若者の方が先に口を開いた。
「先生」
「何でしょう」
「都へ戻ることがあったら教えてくれ」
沈遙は顔を上げた。
「何をです」
若者はしばらく考えた。
そして言った。
「俺たちがいたことを」
牢の中は静かだった。
沈遙は返事ができなかった。
その言葉は陸景の言った「実数」と同じ重さを持っていた。
やがて出発の時刻が来る。
隊商は北へ向かって動き出した。
安河の町が少しずつ遠ざかる。
城門の上には兵が立っていた。
その姿を見ながら沈遙は振り返る。
町はいつも通りに見えた。
市場があり、人が歩き、煙が上がっている。
だが、その下には帳簿に載らない人々の暮らしがあった。
沈遙は旅の記録帳を開く。
馬上で短く書きつける。
『国は数字を数える。人は人を数える』
書き終えた時、北から強い風が吹いた。
冷たく乾いた風だった。
その風は、さらに北で待つ何かを運んでくるように思えた。




