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終末天秤のアイリス/預言者となった女子校の王子様は、壊れた女装少年を拾う  作者: ねこ太郎


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第九話 編み込みとヘアゴム

 翠が食堂を飛び出していったあと、その場には気まずい沈黙が落ちた。

 頬を赤くしたままの後輩が、おろおろと百合花とアイリスを見比べている。

 百合花はすぐに、いつものやわらかな微笑みを向けた。


「ありがとう。わざわざ伝えに来てくれたのね」


「い、いえ……その……」


「もうお昼休みも短いでしょう。急がなくて大丈夫?」


 そう言われて、後輩ははっとしたように時計を見た。


「す、すみません……! 失礼しますっ」


 ぺこりと深く頭を下げて、ぱたぱたと去っていく。

 その背を見送ってから、百合花は小さく息をついた。


「さて……」


 それから、少しだけ困ったように笑って、アイリスへ向き直る。


「周防さん、少しかかりそうね」


「はい」


「アイリスさんは、どうする?」


 問われて、アイリスは一瞬だけ口を閉ざした。


「……どうするというのは…」


 何を聞かれているのかが分からないという顔だった。

 百合花はくすりと笑った。


「お腹は空いている?」


「…少し」


「では、先に何か食べて待ってましょう」


 一連の会話が、食事の誘いだと、うまく理解できていない。

 会話の表面だけで、正しい答えを探している様子だ。


「周防さんも、何も食べずにずっと待っていられるより、気が楽だと思うわ」


 そう言ってやさしく笑うと、


「はい、そうします」

 

 と、正解を見つけたように、素直に返事を返す。


「ええ、では行きましょう」


 と言って百合花は、売店のほうに歩き出した。

 アイリスも一歩遅れてついていく。


 ショーケースの前で立ち止まると、百合花は横目でアイリスを見た。


「何が好き?」


 アイリスの視線は、並んだパンや惣菜のあいだをさまよって、それから迷いのない動きでサンドイッチの棚で止まった。


「……これがいいです」


「サンドイッチ?」


「はい」


「それで足りる?」


「……はい」


 百合花は少しだけ不思議そうにしながらも、「じゃあ、私も軽いものにしようかしら」と微笑んだ。


 会計の列に並び、順番が来る。

 アイリスは、レジ係と百合花の手元をじっと見ていた。


 代金を払って、トレーを受け取り、脇へ寄る。

 それだけのやり取りなのに、アイリスの目つきはひどく真剣だった。


「……どうしたの?」


「いえ」


「珍しいものでもあった?」


「……いえ」


 一瞬の違和感――だが、百合花は気にする様子もなく、すぐにいつも通りの顔に戻る。


「ふふ。何度か来れば慣れるわ」


「……そう、ですか」


「ええ」


 百合花は何でもないふうに言って、空いていた窓際の席を示した。


「こちらでいい?」


「はい」


 二人で向かい合って腰を下ろす。

 アイリスは包みを開き、サンドイッチを見下ろした。


 百合花はそれを見ながら、何気ない調子で口を開いた。


「学園にはもう慣れた?」


「はい、おかげさまで。」


 にこやかにほほ笑む。まるでテンプレートのような会話


「困っていることは?」


「特には…」


 そこで言葉が止まる。

 特には、のあとに続くはずの言葉が見つからないようだった。

 百合花は小さく笑う。


「そんなに気を張らなくていいのよ」


 その一言で、アイリスの肩がほんの少し強張った気がした。

 警戒か、動揺か、答えを探すように揺れる瞳。


「……はい。ありがとうございます、すみません」


 受け答えが、少しだけずれる。


「ごめんなさい。責めたわけではないのよ」


 百合花はすぐに、やわらかく言い添えた。


「ただ、少しかしこまりすぎているみたいだったから」


「…………」


「私はそんなに怖い先輩ではないつもりなのだけれど」


 冗談めかした声音に、アイリスは返事をしようとして、結局うまく言葉を見つけられなかったようだ――代わりに小さく視線が伏せられる。

 百合花は今度こそ話題を変えるように、ふっと目元を和らげた。


「それより――あら」


「?」


「あなた。髪が少し跳ねていない?」


 百合花は自分のこめかみのあたりを指先で示す。

 灰銀色の髪の毛の先が、ぴょん、と可愛く跳ねていた。

 アイリスは反射的に自分の髪に触れる。


「今朝、ちゃんと整えた?」


「……たぶん」


「たぶん、なのね」


 おかしそうに笑ってから、百合花は少し身を乗り出した。


「部屋が一緒なら、周防さんが気づかないはずないもの。

 さては授業中、うとうとしていたでしょう」


 図星だったのか、アイリスがぴたりと止まる。

 百合花はそれを見て、声を立てずに笑った。


「やっぱり」


「……眠かったので」


「正直ね」


 その時、百合花の携帯端末が小さく震えた。

 画面を見ると、翠からの短い連絡だった。


『少し落ち着きました。すぐに戻ります』


「あら、周防さんからだわ。もうすぐ戻るみたい」


 百合花はそう言って端末をしまい、それからアイリスの髪をもう一度見た。


「少し時間もあるし……よかったら、整えてしまいましょうか」


 アイリスはきょとんとして、わずかに目を上げた。


「整える?」


「ええ。あなた、せっかく綺麗な髪をしているのだから、もったいないわ」


「……」


「嫌ならやめるけれど」


 百合花の声に押しつけがましさはなかった。

 アイリスが何も言わず、首を横に振る。

 百合花は「よかった」とだけ言って、鞄から小さな櫛を取り出した。

 席を少しずらし、アイリスを窓際へ向かせる。


 さらさら、銀糸を編み込んだような髪が梳かれていく。

 驚くほど手つきがやさしい。

 絡んだところに触れる時も、先に指先でほどいてから櫛を入れる。

 そのたびに、アイリスの肩から少しずつ力が抜けていった。


 近くの席の生徒たちが、会話の合間にちらちらとこちらに視線を送ってくる。気になって仕方ないのだろう。


「ほんとうに綺麗な髪ね」


「……そうでしょうか」


「ええ。少し癖があるけれど、それも可愛いわ」


 百合花はそう言って、両側から器用に髪を拾い、後ろでゆるく編み込んでいった。

 こんなふうに髪へ触れられるのは、ひどく久しぶりだった。

 いや、久しぶりというより――思い出せないほど、遠い。


「痛くない?」


「……ない」


 編み終えた髪を、百合花は持っていたヘアゴムで留めた。

 なんの変哲もない、茶色いヘアゴムだった。


「これでよし」


 ちょうどその時だった。


「――先輩」


 聞き慣れた声に振り向くと、食堂の入口のほうに翠が立っていた。

 気づけば、周囲にはいつの間にか人が増えている。その視線が一斉に翠に流れる。


「え、ちょっ、なに」


 その視線に、居心地の悪さを感じて、翠はたじろいだ。

 まだ少し顔色は悪いが、先ほどまでではない。

 百合花は振り向いて、悪戯っぽく笑った。


「あら、遅かったのね。

 あんまり可愛かったから、アイリスさん、お借りしちゃった」

 

 二人が気づかないうちに、百合花とアイリスの様子をそれとなく眺める生徒たちが増え、まわりには小さな人の輪ができていた。


 翠の視線が、百合花の指先から、アイリスの髪へ落ちる。

 緩くふわりと編み込まれた髪と、留まった茶色の髪ゴム。

 そして、テーブルの上のサンドイッチ――


「あ……先輩、すみません。お支払いします」


「いいのよ」


「でも」


「本当に。

 大したものではないから」


 百合花はそこで気遣うように、あらためて翠の顔をのぞき込んだ


「それより体調は平気?」


「ええ。すみません、心配をおかけして。

 その、アイリスの事も…」


「こちらは平気よ。ね?」


 百合花がそう言ってアイリスに視線を振る。

 アイリスはいつもの外行きの笑みを浮かべた。


「はい。百合花先輩が、よくしてくださいました」


「でしょう?」


 少し得意げに笑う百合花に、翠は呆れたように息をついた。

 この短時間で、アイリスと随分と打ち解けたようだ。


「先輩って、なんだか、捨てられた仔犬とか、我慢できなくて拾ってきちゃいそうですよね」


「周防さんにだけは言われたくないわ」


 あなたこそ、アイリスに随分と世話をやいてるようね、とからかわれた気がした。

 百合花は手慣れた手つきで、横にいるアイリスの髪をひと房とかすように撫でる。

 アイリスもなすがままで、それを自然に受け入れている。随分と懐いているらしい。


 昼休みの終わりを告げる予鈴が、校舎のほうから流れてくる。


「あら、もうそんな時間」


 百合花は小さく手を打って、トレーを持って立ち上がった。


「あ」


 それに、アイリスが小さく反応する。


「どうしたの?」


 百合花はやさしく問いかけた。

 アイリスはすぐには答えず、ちら、と自分の髪に触れた。編み込まれた先、留められた髪ゴムを気にしているらしい。


「……ああ」


 翠はそこで気づいた。


「もしかして、ヘアゴム、返した方がいいのかって聞きたいの?」


 アイリスはわずかに目を上げる。当たったようだ。


「この子、そういうの、ちゃんと言ってあげないと分からないんです。貸してくれたのか、もらっていいのか」


「あら、そういうこと」


 百合花はくすりと笑った。


「返さなくていいのよ。差し上げるわ」


「そうなの?」


「そうよ」


「ありがとうございます…」


 アイリスはそう言って、もう一度だけヘアゴムと髪の結び目に触れた。

 その指先は、妙に慎重だった。


 昼ごはんを食べ損ねてしまった翠は、急いで売店で菓子パンを一つ買って、五時間目の休み時間にでも教室で食べるしかないな、と諦めた。


「アイリスさんは良い子ね」


 食堂を出る時、百合花がふと、翠にだけ聞こえるように言って微笑んだ。

 何の含みもない言葉だったが、翠は自分のいない間に、アイリスが何か妙な受け答えをしてはいないかと、心配になってくるのだった。

読んで頂きありがとうございます。


好みを詰め込んで書いている作品なので、もし少しでも刺さったり、続きが気になったら、ブックマークや評価など頂けると励みになります。

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