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終末天秤のアイリス/預言者となった女子校の王子様は、壊れた女装少年を拾う  作者: ねこ太郎


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第八話 天秤の夢

 ああ、また――あの(・・)夢だ。

 最近、何度も見る夢。


 天秤。

 光の届かない暗闇の中に、それだけが静かに吊るされている。

 どこにも支えはなく、ただ古びた金具が、きいきい、と軋むような気配だけが、耳の奥にかすかに残っていた。


 片方に少し傾いている。


 それを見ていると、理由の分からない不快感が胸の奥から込み上げてくる。

 何がどう悪いのかは分からない。ただ、ぞわぞわとした気味の悪さが、肌の裏を這い回るみたいで落ち着かない。


 そして、無数の人影――さまざまな国、さまざまな人種。大人も、子どもも、いつも知らない誰かばかりだ。


 ――あれ。


 でも、今日は。

 あの中にいるのは、あれは、あの人は――


「翠」


 夢の続きみたいに、誰かの声がした。


「翠」


 今度は肩が揺れる。

 そこでようやく翠は目を開けた。


 喉はカラカラで、背中にもじっとり嫌な汗をかいている。

 すぐ傍にアイリスの顔があった。大きな琥珀色の瞳が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「……何」


 寝起きで掠れた声が出る。

 アイリスはすぐには答えなかった。ただ翠の顔をじっと見て、それから小さく口を開く。


「うなされてた」


 思っていたよりずっと普通の声だった。

 探るようでも、急かすようでもない。ただ、顔色が悪いから起こした――ただそれだけみたいな声音。


「起こしたほうがいいと思った」


「……そう」


 翠は半身を起こし、額に手をやった。まだ少し気分が悪い。

 けれど、黙ってこちらを見ているアイリスを見ると、ほんの少しだけ気持ちが緩んだ。


 なんだ。

 そういうふうに、人のことを心配したりもするのだ。

 得体の知れないところもあるが、こうしていると年相応に見える。


「……大丈夫」


「ほんとに…?」


「寝起きが悪いだけよ」


 そう答えると、アイリスが、少しだけ肩の力を抜いた気配が暗闇越しに伝わった。


「変な夢だったの?」


 何気ない問いかけだと思った。

 だから翠も、深く考えずに答えてしまう。


「最近よく見るの。変な天秤の夢」


 その瞬間、暗闇の中、アイリスの瞳が怪しく光ったような気がした。

 さっきまでの、ただ様子を窺っていた視線とは明らかに違う――蜜色の双眸がまっすぐ翠を捉える。


「どんな?」


「え?」


 翠は眉をひそめた。


「何が見えた?」


 声は低いままなのに、妙に切迫していた。

 さっきまでの心配そうな空気は、完全に消えていた。


「人はいた?」


 矢継ぎ早に質問され、翠は呆気に取られた。


「ちょっと待って。なんなのよ一体」


 アイリスは答えない。

 答えられないというより、今はその説明より先に、夢の中身を知りたがっているのが見え見えだった。


「ねえ、翠」


「何よ」


「今日は、何が見えたの」


 その聞き方が、妙に嫌だった。

 最近よく見る、後味の悪い夢。ただそれだけのはずなのに。


「……別に。嫌な夢」


「どんな」


「だから、嫌な夢だって言ってるでしょ」


 思った以上に強い声が出た。

 アイリスはそこでようやく口を閉じる。


 翠は小さく息を吐いた。

 最近よく見る夢のせいで寝不足で、気分が悪い。

 それだけでもうんざりしているのに、その夢のことをこんなふうに根掘り葉掘り聞かれる理由が分からない。


「……もういい」


 吐き捨てるように言って、翠は布団をかぶりなおした。

 アイリスはしばらく立ち尽くし、翠はその視線を背中に感じていた。


 心配して起こしてくれたのだと思った。

 ほんの少しだけ、良い子なのかもしれないとさえ思ったのに。


 やっぱり、よく分からない。





  

  昼休み――生活力のまるでないアイリスのために、翠は貴重な昼休みを削って、せめて食堂の使い方くらいは教えてやろうとしていた。


 そのために中等部の教室まで迎えに行ったのだが、あの時の好奇の視線が忘れられない。

 さすが修麗院というべきか、誰もはしたなく(・・・・・)騒ぎ立てはしなかった。けれど教室の扉を開けた瞬間、いくつもの目が遠慮がちにこちらへ向いた。

 上品ぶっていても、好奇心までは隠しきれないらしい。


 しかもアイリスは、クラスメイトから昼食に誘われた時、


「慣れない私のために、このあと翠お姉さまが迎えに来てくださるの」


 などと、か細い声で(のたま)ったらしい。


 自分で言うのもなんだが、学園の王子様と、異国の令嬢の姉妹関係。思春期の女の子たちがざわつくのも無理はない。

 

 うんざりした気持ちを引きずりながら食堂の扉をくぐったところで、やわらかな声に呼び止められた。


「周防さん」


 振り向くと、高等部三年の先輩、二条にじょう 百合花ゆりかが立っていた。

 ゆるく巻いた長い髪。名門校らしい気品を自然に纏いながら、あくまで気取らず穏やか。

 これほど百合の花が似合う人はいない、と翠はひそかに思っていた。


「二条先輩。こんにちは」


「こんにちは」


 百合花は微笑んで、それから傍らのアイリスへと視線を落とした。

 珍しがるでも、値踏みするでもない。ただごく自然に。


「あら。

 こちらが転入生さん?」


 誰の心もほどいてしまいそうな、やさしい声色だった。


「ええ。中等部二年の後輩です」


 翠はそう言って、挨拶を促すようにアイリスの背に優しく手を添えた。


「初めまして。二条百合花です」


 百合花はアイリスに視線を合わせると、やわらかく会釈した。

 アイリスも外向きの綺麗な笑顔を作る。


「ごきげんよう。アイリス・アシュベリーです。以後お見知りおきを」


 軽く膝を折り、丁寧に礼をする。

 灰銀の綺麗な髪がひと房、肩からするりと落ちて、陽光を反射する。

 上品で、愛らしく、誰が見ても自然と好感を抱くように、磨かれた所作だった。


「まあ、素敵なお嬢さんね」


「ありがとうございます」


 少しだけ恥じらうような微笑みまで添えてくるあたり、本当に腹が立つ。


「この子、こういう時だけは愛想がいいんです」


「いやですわ、翠お姉さま」


 なんだこいつ。軽く頭でも小突いてやろうかと思ったが、百合花がくすりと笑ったのでやめた。


「ふふ、仲がいいのね」


 その言葉のあと、百合花はふと翠の顔を覗き込んだ。


「あら?

 ……周防さん、あなた少し疲れていない?」


 どきりとした――顔には出していないつもりだった。

 あの夢を見た日は、だいたい体調が悪く、気持ちの奥にざらついた感覚が残る。


「そんなふうに見えますか?」


「ええ、少しだけ」


 百合花は心配そうに眉を寄せた。


「いえ、ちょっと寝不足で…」


 苦笑して返すと、百合花は翠の額にそっと手を当てた。


「熱はなさそうね」


 そう言って、やわらかく目を細める。


「無理はだめよ」


 小さな子供をたしなめるように、やさしく微笑んだ。

 その時だった。


「せ、先輩……!」


 遠慮がちな声に振り向くと、中等部の制服を着た女子生徒が立っていた。頬を真っ赤にして、いかにも勇気を振り絞って声をかけたようだ。

 百合花は、その見た目と親しみやすい性格から、学園内でも特に人気が高い――正真正銘のマドンナだった。


「あら。どうしたの?」


「お、お噂を聞きました……!

 ご、ごご婚約、おめでとうございますっ」


 ぺこりと深く頭を下げる。

 百合花は少し目を丸くして、それから照れたように頬をゆるめた。


「ありがとう。もう中等部まで伝わっているのね」


 苦笑まじりの声は、照れくさそうでいて、どこか嬉しそうでもあった。

 百合花は、家の事情で、ドイツ有数の企業家一族の嫡男と、卒業後に結婚することが決まっている。

 政略結婚――この学園では、最近こそ珍しくなったが、全く無い話でもなかった。


「婚約といっても、彼とは幼い頃からの付き合いなの。今さら改まって言われても、自分でも少し不思議なくらいで」


 口ぶりはあくまで控えめだった。

 けれど、その表情には隠し切れない喜びの色が確かにあった。


 本当に幸せなのだ、と翠にも分かる――見ているこちらまで、胸があたたかくなるほどに。


 ――しかし、次の瞬間。


 ぞわりと、背筋になにか冷たいものが這い上がった。

 喉の奥がひくつき、視界がぶれる。


「……っ」


 理由は分からない。ただ、婚約という言葉に反応して、身体が勝手に拒絶したように感じた。


「周防さん?」


 百合花の声が、急に近くなる。


「ご、ごめんなさい……ちょっと」


 口元を押さえた翠を見て、百合花の表情がさっと変わった。


「大丈夫?無理しないで。

 お手洗い、行ける?」


「はい……すみません、少しだけ、アイリスの――」


 そう言い切る前に


「わかったから、大丈夫よ」


 と、百合花はやさしく遮った。


 慌てて、心配する後輩と、アイリスのどこか不安げな視線を背に、翠はその場を離れた。

読んで頂きありがとうございます。


かなり好みを詰め込んで書いている作品なので、もし少しでも刺さったり、続きが気になったら、ブックマークや評価など頂けると励みになります。

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