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終末天秤のアイリス/預言者となった女子校の王子様は、壊れた女装少年を拾う  作者: ねこ太郎


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第五話 噂の転入生

 八年前の11月1日。イングランド北東部に隕石が落下した。

 それから世界は変わった。科学では説明のつかない力を操る異能力者の存在が、各地で報告されるようになり、犯罪、軍事、科学技術、あらゆる分野の常識が塗り替えられていった。



 中等部職員室の前で立ち止まった時、翠はもう一度だけ、隣を歩くアイリスを見た。


 陽光を反射する灰銀色の長い髪、長い睫毛。琥珀色の瞳に通った鼻筋。

 喉元まできっちり詰めた中等部の制服は、腹立たしいほど似合っている。

 私立修麗院学園――この学園は誰でも入れる学校ではない。

 財閥、政治家や政府高官の家系――ただお金を積めばいいという訳ではなく、限られた家柄、限られた子女が通うこの学園の中でも、中等部はなおさら閉鎖的だ――それは昨今の流れを受けて共学化が検討されている高等部とは比べ物にならないほどに。

 本当に大丈夫なのだろうか――無理に決まっている。


「……何」


 視線に気づいたのか、アイリスが言う。


「別に」


 翠はそっけなく返して、職員室の扉を叩いた。


「失礼します」


 中から返事があって、扉を開ける。

 数人の教員がそれぞれ机に向かっていたが、翠と、その後ろに立つアイリスを見た瞬間、何人かの視線がぴたりと止まる。

 翠はそれに気づかないふりをした。


「周防です。転入生をお連れしました」


 そう言うと、一番奥の机にいた中年の女教師が眼鏡を押し上げ、翠とアイリスを見比べた。


「……あら、周防さん」


 その一言に、わずかに含みがあった。


「本当にご一緒だったのね」


「……え?」


 思わず聞き返すと、教師は手元の書類を揃えながら言った。


「アイリスさんのお父様から、少しお話を伺っていたの。学園に慣れるまでは、寮でも何かと心細いだろうから、もしご縁があれば周防さんにも気にかけていただけるとありがたい、って」


 しかもその口ぶりは、今朝たまたま連れてきた転入生の話をしているものではなかった。

 まるで、翠がここへ一緒に現れることまで、最初から折り込み済みだったみたいに。

 翠は言葉を失った。

 アイリスの父親――その存在すら、信じることができない。

 教師はそんな翠の違和感に気づく様子もなく、今度はアイリスの方へ向き直る。


「アイリス=アシュベリーさん、ですね」


「はい」


 鈴を転がすような声音――返事は柔らかく、澄んでいた。

 あまりの違いに、翠は思わず隣のアイリスの顔を見た。

 昨夜、部屋の壁際で立ち尽くしていた少年と、同じ声とは思えない。


 机の上には、緑色の公的な書類、転入届、パスポートのコピー、必要な書類がきれいに揃っていた。


「お父様も、遠く離れて暮らすご息女を、ずいぶんと心配していらっしゃるご様子でしたよ。」


 ご息女。娘。


 その言葉に、翠の胸の奥がひやりと冷えた。

 この場では、その嘘が何の綻びもなく通ってしまっている。

 けれど本当に気味が悪いのは、書類の方ではなかった。

 父親――こんな学園に娘を通わせる家柄の子どもなら、その“育ち”が必ずどこかに滲むはずだ。

 アイリスにはその気配がまるでない。それどころかおよそまともに育てられたとは思えないのだ。


 教師は、ふと少しだけ表情を和らげた。


「周防さんがいてくださるなら、心強いわ。寮でも、もし困ったことがあったら気にかけてあげてね」


「……はい」


 そう返すしかなかった。

 断る余地なんて、最初からなかったみたいに話が進んでいく。


「手続きは伺っている通りで結構です。では、朝礼前に教室へ案内しますね」


 教師が立ち上がる。

 アイリスも静かに一礼した。


「よろしくお願いいたします」


 その声音の柔らかさに、職員室の空気がわずかに緩む。

 その所作を見て、ついに翠はぎょっとしてしまった。


 これができるなら、昨日からそう振る舞えばいいのに。

 昨夜、部屋の隅で立ち尽くしていた印象とずいぶんと違う。


 教師に促され、アイリスが職員室を出ていく。

 出る直前、ふと振り返って翠を見た。


 ほんの一瞬だった。

 外向きのやわらかい笑顔が消えたわけではない。ただ、誰に見せるでもない空っぽの瞳が、一度だけこちらを向いた。


 翠はその意味を測りかねたまま、高等部の校舎へ向かった。





 その日、学園の空気はどこか浮ついていた。閉じた女の園である修麗院学園では、噂の広がるスピードがやたらと早い。

 中等部にとんでもない美少女が転入してきたらしい。髪色も瞳もおとぎ話の妖精みたいな見た目で、どこかの国の要人の娘だとか。そんな噂が、いつの間にか学園中に広まっていた。


 しかもその噂は、転入生本人だけでなく、今朝その相手を連れていた翠のもとへもしっかり飛んできた。

 廊下を歩いているだけで、視線を感じる。

 露骨に振り返る者はいないが、すれ違いざまにわずかに言葉が止まり、通り過ぎたあとに囁きが再開する。


――今朝の……

――やっぱり周防さまとご一緒だったのね

――中等部の子でしょう?

――すごく綺麗で…

――お二人ともすごく素敵だったって


 まだ救いだったのは、この学園においては噂話までもが上品だったことだ。


「周防さん」


 顔を上げると、クラスメイトの鷹司朋華が取り巻き達を連れて席を立ち、こちらへ歩いてくるところだった。

 それを合図にしたみたいに、近くの席の女子たちまで、それとなく会話の輪に加わる。


「なにかしら?」


「今朝、ご一緒だった方。

 今日から中等部へ入られた転入生、ですわよね?」


 上品な口調の影に、わずかに険のある声。

 この鷹司朋華というクラスメイトは、学園でほぼ唯一、どうやら翠のことを良く思っていないらしい生徒だった。

 転入組の翠とは違い、幼稚舎からの修麗院育ち。翠の見立てではいつでも自分が中心でなければ気が済まない、絵にかいたようなお嬢様だった。

 つまり、学園で王子様扱いされている翠のことが気に食わないということだ。


 この質問も、取り巻きの令嬢達の、単純に興味津々といった態度とは違い、この手のゴシップの中心になることが実は苦手な、翠への当てつけに近い。


「あら、噂が早いのね」


 翠がそう言って、いつものように柔らかく微笑んでみせると、遠巻きに様子を窺っていた女子たちまで、待っていましたとばかりに息を弾ませる。


「まあ、やっぱり」

「そうでしたのね」

「素敵でしたわ」


 声はどれも控えめなのに、熱だけは隠しきれていない。

 席を立った鷹司朋華を先頭に、近くの生徒たちがそれとなく翠の机のまわりへ寄ってくる。いかにも修麗院らしい、騒がず、はしたなくもならず、けれどしっかり興味を隠さない寄り方だった。


「昇降口でお見かけして、皆であの方はどなたかしらって」

「ええ、とてもお綺麗で……」

「絵本の中で見るような、銀の髪に、はしばみ色の瞳、どこ国の方なのかしら」

「それに、中等部の妹から聞いた話ですと、とても感じの良い方でらっしゃるそうですわよ」


 そんな話を聞いて、翠は内心で顔をしかめた。

 随分とうまくやっているようじゃないか。部屋にいる時とは大違いだ。

 どうしてその愛想の良さを、自分の前で見せることができないのか。


「ずいぶん親しそうにお見受けしましたけれど、もともとお知り合いでしたのかしら?」


 鞄を机に置きながら、翠は小さく肩をすくめた。


「いいえ。

 それが親同士が少し知り合いらしいんだけど、何も聞いていないの。

 私も昨日知ったくらいだし。」


 そう言って困り顔を作る――こう言っておけば詮索はされない。

 この学園では、親同士に面識があっても、子どもにまで細かく話が降りてこないことはそんなに珍しいことでもない。

 本当は、知り合いであることすら知らされていないし、それすら嘘かもしれないのだが。


「ああ、でもお二人で並んで登校されているご様子は、姫君と王子様みたいで」


「ええ、いかにも、という感じでしたわ」


 納得がいかない。相手はあれ(・・)でも男なのだ。

 自分が王子様で、アイリスが姫というのは、どうにも釈然としない。

 翠の口角がぴくぴくと痙攣する。


「でも、あの子、意外とがさつ(・・・)な所があって、転入初日に制服を汚してしまって。

 今、私の中等部の頃の制服を貸してあげてるの」


「あらまぁ!!」

「わぁ…」

「すてき」


――しまった


 アイリスの噂に、水を差してやろうと言った言葉だが、それがなぜだか、クラスメイトたちの黄色い声を煽る結果になってしまった。


「ま、まぁ、皆さんもあの子に会う機会があれば、やさしくしてあげて」


 何とかその言葉だけを返した。


「ええ、でもあのご様子なら、翠様も安心ですわね」


「そうよね、もうすでに、クラスに打ち解けてらっしゃるご様子でしたもの」


 打ち解ける?――あの子が?


 けれど翠は、その考えを顔には出さなかった。





 休み時間、用事で中等部棟の方へ足を向けた時、翠は人だかりを見つけた。


 窓際の席。

 その中心に、アイリスがいた。


 数人の女子生徒に囲まれている。

 机の上には、誰かにもらったのだろう、小さな菓子の包みが二つ三つ。ショートカットのご令嬢が、身を乗り出して何か話しかけ、それにアイリスが少しだけ首を傾げて答える。周囲から、いっせいに控えめな笑いがこぼれた。


 翠は廊下側の窓越しに、その光景を見た。


 笑っている。

 控えめに。

 相手に合わせて、少しずつ表情を変えて。


 誰もが見惚れる、誰もが愛らしいと思う、そんな笑顔。

 

 打ち解ける――違う。

 あれは打ち解けているのではない。

 きっと相手が求める“正解”を、ただ正確に返しているだけだ。


 そのことが、翠にはよく理解できてしまった。

 同時に、妙に嫌な気分にもなった。

 それは自分もまた、学園の中で求められる役割を演じているからに他ならない。

 そう振る舞えば相手が喜ぶと理解して、そう見えるように立ち振る舞い、笑い、言葉を選んでいる。

 ならばあれは、無邪気な愛想ではない――身につけた処世だ。


 翠が立ち止まっていることに気づいたのか、教室の中のアイリスがふと顔を上げた。

 視線が合う。


 次の瞬間には、また柔らかな転入生の顔に戻る。

 だが、その一瞬だけ、さっきまでの愛想がすべて剥がれ落ちたみたいに見えた。


 翠は顔をしかめて、足を速めた。





 放課後、授業を終えて寮へ戻った時には、もう何もかも面倒だった。

 寮の廊下を歩きながら、今日一日で自分がどれだけ余計なものに巻き込まれたのかを思い返して、うんざりする。


 昼休みに寮監へ呼び止められた時も、思わず聞き返してしまった。


 ――しばらくは、そのまま同室でお願いします。

 ――アイリスさんも急な転入で不安定でしょうし、学校側からもその方が望ましいと。


 そんな話、聞いていない。

 昨夜はただ、行き場がなくて自分の部屋へ連れて帰っただけだ。本来なら部屋は別になるはずだった。

 そう言ったのに、寮監は困ったように笑うばかりで、こちらに取り合う様子が一切なかった。まるで既に決まっていることをただ、伝える時のように。


 鍵を開け、ドアを押す。


 部屋の中は、朝出た時とほとんど同じだった。

 整頓された机に白いベッド。差し込む薄い夕日。

 そして――


「…………」


 何もない壁際、ベッドの傍にアイリスが立っていた。

 中等部の制服をぴっちりと着こなしたまま。


「……何してるの」


「待ってた」


「何を」


「帰ってくるのを」


 返事は短く単純で、翠はそれに眉をひそめた。

 学校でそうしているように、もう少し自分の前でも上手く振る舞えないのだろうか。


「学校では、あんなにちゃんと笑えてたじゃない」


 アイリスがわずかに目を瞬く。


「学校ではあんなにちゃんと笑えるくせに、どうして私の前だとそうなのよ」


 言いながら、自分でも少し嫌な言い方だと思った。


 しばらく沈黙が落ちた。

 アイリスはすぐには答えなかった。

 答えられない、というより、どの答えが間違いじゃないのか探しているみたいだった。


 やがて、ほんの少し視線を伏せる。


「……学校とかは、何を言えば良いか、だいたい分かる――簡単だから」


「簡単?」


「そう」


 こくりとうなずく。

 見えていないとでも思っているのか、伏せ目がちのまま、ときおりこちらの反応を窺うように視線を寄越してくる。


「でも、翠には……」


 そこで初めて、アイリスの声が少しだけ揺れた。


「……よく分からない」


 尻すぼみになる声。

 思っていたより、ずっと真っ直ぐな返事だった。

 言い訳でも、媚びてもいない。ただ年相応の、ひどく不器用な言葉。

 裏表があるわけでも、意図的にそうしているわけでもない。

 アイリスはただ、翠の前では、なぜか正直でいようとしている――それがなんとなく、翠にも理解できた。

 

「……何、それ」


 決して悪気があるわけではないと翠も分かっていた。だからこれは、ただの八つ当たりに近い。

 翠は大げさに息を吐く。

 

「……で」


 翠はようやく目の前の格好を指した。


「なんで、まだ制服着てるの?」


 昨日貸した部屋着は、ベッドの上にきちんと畳まれている。

 制服は着たままだと皺になるし、普通はとっくに着替えているはずだ。

 

 アイリスは、本気で意味が分からないという顔で翠を見返した。


「脱ぐの?」


 そこまで真顔で問い返されると、アイリスに常識がないのか、自分が間違っているのか分からなくなる。


「脱ぎなさいよ」


 アイリスが、ぴくりと目を見開いた。

 けれど反論はしない。ただ、命令を受け取ったみたいに静かにうなずく。


「……分かった」


 その返事のあと、アイリスはすぐには部屋着へ手を伸ばさなかった。

 代わりに、翠の表情を窺うように、じっとその顔を見る。

 着替えるだけにしては、妙に静かな間だった。


「後ろ向いてるから、さっさとして」


 翠は言いようのない引っかかりを覚えたが、ひとまず背を向けた。

 夕方の薄い光の中で、二人のあいだに妙な沈黙が落ちた。

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