第41話 シルヴァ・ネブラエ・ユーリアエ
私は三人の異様な反応に気づきながらも、淡々と夢の分析結果を告げる。
「ええ。あれは…どこかしら。石造りの床の、アトリエのような場所だったと思うんだけど…彼女は圧倒的な達成感に震えて、泣いていたわ」
その言葉に、三人が息を呑む気配がした。
私は手元の紅茶を見つめながら、首を傾げる。
「でも、おかしいわよね。完璧な絵を描くために、彼女はあなたたちに感情を片っ端から喰わせていたはずでしょう? なのにあの瞬間の彼女には、心がちぎれるほどの『歓喜』が残っていた」
ピタリ、と。
ダイニングの空気が、文字通り凍りついた。
「ノイズを極端に嫌った彼女が、なぜ完成の瞬間の『喜び』だけは喰わせずに手元に残していたのか……。それとも、あなたたちでも喰らい尽くせないほどの感情が、最後に爆発したのかしらね」
私は顔を上げ、硬直している三人をぐるりと見渡した。
「どちらにせよ、彼女の執念の深さを知る、興味深いデータにはなったわ」
私の冷徹な分析を聞いたセバスチャンは、震える息を細く吐き出し、ただ深く、深く頭を下げた。
あまりにも深く頭を下げていることもあり、その表情は読み取れない。
「……左様で、ございましたか。ユリア様のあの歓喜を、貴女様が……」
その響きには、昨晩私に向けられたものと同じ、ひどく重くて甘い熱が孕んでいる。
これ以上彼らを観察しても、今は有益な情報は得られないだろう。
「ごちそうさま。それじゃあ、叔母のところへ行ってくるわ」
私は手元の紅茶を飲み干して席を立ち、まだ動揺を引きずっている三人を残して、ダイニングを後にした。
***
叔母に聞きたいことがあるので、いつもよりも早めに店にやってきた。
コウはまだ自室にいるのか、店内には静けさだけが漂っている。
私はカバンをカウンターの下に置くと、振り返って壁にかけられた『正義』の絵と向かい合った。
「美花ちゃんに聞きたいことがあるんだけど」
すると、声をかけてすぐに陽気な声が返ってきた。
『なあに?そんな切羽詰まった声なんか出して』
とても閉じ込められて困っているようには聞こえないその声に、被せるように問いかける。
「この店にある絵が、異界とのポータルの役割を果たしているっていうのは聞いたんだけど、どの絵がどの異界に繋がっている、っていう…ルールみたいなものはあるの?」
私の問いかけに、叔母はフフッと楽しそうに笑った。
『ルール? もちろんあるわよ。え?知りたいの?』
そう聞かれて、ふと考えた。
さっきはああ聞いたものの、私は別にルールには興味がない。
今知りたいのは、単純に、あの霧の森の館がある異界とここを繋ぐ絵はどれかということだけだ。
「あ、ごめん。聞き方が悪かったわ。私が知りたいのは、私が今住んでいるあの『霧の森の館』が存在する異界が繋がっているのはどの絵かっていうこと」
そこまで言って、さらに重要なことに気がついた。
「あれ?そういえば……美花ちゃんはあの館のことをどこまで知っているの?」
私のストレートな問いかけに、叔母の声が消えた。
『う〜ん……』
そして、少しすると、小さなうめき声が聞こえてきた。
『どこまでって言われても……』
叔母の言葉の続きを黙って待つ。
すると、しばらくうなっていた叔母は、ゆっくりと話し始めた。
『ちょっとね…一言で答えるのが難しいんだけど……まず、このポータルシステムを展開するにあたって、最初に繋ぐべきなのはあの『霧の森の館』が存在する異界…Silva Nebulae Juliaeなの』
その言葉を聞いた瞬間、またしても私の心臓がドクンと音を立てた。
「あの世界って『シルヴァ・ネブラエ・ユーリアエ』っていうの?」
改めて口にすると、動悸が激しくなる。
『あら。知らなかったの?どんな世界にもちゃんと名前があるのよ。そうじゃないと、繋げないから』
半年近く暮らしてきて、一度も会話の中に出てきた覚えのないその言葉を、もう一度頭の中で繰り返す。
「なんだろう。初めて聞いたはずなのに……」
背筋に、冷たいような、熱いような、説明のつかない粟が立った。
まるで私の脳のずっと奥深くで、誰かがその名前を愛おしそうに呼んだ気がしたのだ。
その不思議な感覚がどこからくるのかを分析しようとしていると、
『とにかく。あの世界はポータルの源みたいなもんなのよ。だから、まずはそこに繋いで、それから他の世界を繋いでいくの。なので、関わりは深い。でも、そこの住人である彼らとはあまり交流はないのよね』
と、言った。
そういえば、前にセバスチャンも顔見知り程度だと言っていたことを思い出す。
『で、最初の質問の答えだけど……』
そうだった。
どのカードに対応しているのか、という話をしているのだった。
『Silva Nebulae Juliaeに対応しているのは、「正義」のカードよ』
セバスチャンの言った通りだった。
しかし、確定となると、そこでまた新たな疑問が湧いてくる。
「ちょっと待って」
その言葉に、勘のいい叔母は、私の言葉を待つまでもなく、こう続けた。
『正義の絵が見つかったのは、私が閉じ込められたつい半年前のことだし、そもそも正位置ではなく逆位置の絵だった。それなのに、なぜ絵がない状態で繋ぐことができたのか、ってことを聞きたいんでしょ?』
我が叔母ながら察しがいい。
『さっきも言ったように、あの世界はこのポータルシステムにとっては特別な位置付けなの。つまり、対応する絵が手元になくても、ちゃんと儀式さえすれば繋がるのよ』
対応する絵がなくても、儀式で繋がる……?
私は目を細めた。
22の異界を自らの絵を持って繋ぎ合わせることに、異常なまでの執念を燃やしていた芸術家。
ノイズを極端に嫌い、完璧な絵を描くために自身の感情すら喰い尽くさせた彼女が。
一番重要な『基盤』の世界を繋ぐのに、絵を用意せず、儀式なんていう不確かなもので妥協するだろうか?
……いや、あり得ない。彼女の美学がそれを許すはずがない。
いささか納得ができなかったものの、現に叔母は絵が手元にない状態でポータルを繋げている。
ここで叔母を問い詰めても、今以上の情報は得られないだろうと判断し、話を進めることにした。
とにかく、対応する絵が『正義』であることは確定した。
これで、今夜館に戻ったら、昨日のあの不自然な空気に対する回答を得ることができるだろう。
そう思って、ふぅと一息ついたタイミングで、コウが二階から降りてきた。
そしてそのままカウンターに近づいてくると、壁にかかった『正義』の絵に向かって、
「美花様〜、今日のご機嫌はいかがですか〜?」
と、緩んだ顔で話しかけた後、私の存在に気づき、ハッとした顔で私を見た。
じっと私を見つめたまま、ハッとした顔がいつもの澄ましたポーカーフェイスに変わっていく。
「あ、あれ?ユウカ、早くない?なんで?え、なんで?」
そして、何か慌てたような口調で辺りを見回す。
「なんなの?」
「え?いや……」
今度は視線を宙に漂わせながら、カウンターの外を見つめた。
「貴方が美花ちゃんに猫撫で声で話しかけてることなんて、とっくの昔から知ってるわよ。なに今更恥ずかしがってるの?」
その言葉に、コウがビクリと肩を揺らした。
「は!?な、なに言ってんだよ!俺が美花様に猫撫で声?バカ言うなよ!」
バカを言うなと言われても、事実、絵の中の叔母と会話ができるようになってから、コウが度々猫撫で声を出しているのを聞いているのだ。
ただし、コウはあまりにも叔母と楽しそうに会話をしているので、私がかなり近づくまで私の存在に気づかなかったようだけど。
叔母とコウの関係についても、さほど興味はない。
コウが叔母を大事に思っているのは確かで、だからと言ってそれがどうということでもないからだ。
「まあ、どうでもいいわ。私は開店準備を始めるから、貴方は好きにしてちょうだい」
コウにそう告げた私は、裏口近くにある掃除用具を入れたロッカーに向かった。




