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第30話 仮説の証明

しかし、ここで怯んだら負けだ。


「そうですね……お客様のお好きなところに」


作り笑顔でそう答えると、彼は満足そうに大きく頷いた。


「いいねえ。その従順さ。透明で無垢な君から聞くと、なんとも言えない満足感が湧き起こってくるよ」


その言葉を聞いた瞬間、カウンターの方から、視線を感じた。


九条刑事だ。


何を聞いていたのかはわからない。だが、彼の細められた眠そうな目は、いつもより少しだけ鋭く、私を見ていた。


その視線と目が合った瞬間、胸の奥で何かが、ほんの少しだけ、揺れた気がした。


(……?)


自分でも気づかないほどの、小さな揺れ。

だが確かに、何かが動いた。


それに気づいたのは、私だけではなかったようだ。

彼が何をきっかけに私の揺れに気付いたのかは、わからない。


「……ふむ。無垢なる血を騒がせたのは……そこの男かな?」


けれど、目の前の吸血鬼は、低く短く、そうつぶやいた。


彼の視線が、私からカウンターへと、静かに移動する。


九条刑事と吸血鬼の視線が、空中で交わった。


台詞はない。

ただ、一瞬だけ。


九条刑事の目が、僅かに細くなった。

吸血鬼の口元が、僅かに引き結ばれた。


次の瞬間には、何事もなかったように、吸血鬼は私へと視線を戻していた。


「…今夜はこれを届けるだけにするよ。店も少し騒がしいしな。食事はまた今度にしよう」


彼は静かに立ち上がり、包みの跡だけが残ったテーブルに視線を落とすと、


「女教皇の絵、よろしく頼むよ」


そう言い残して、夜の闇へと消えていった。


カウンターへ戻ると、九条刑事がじっと私を見ている。


「あ…そう言えば、交換殺人の件で聞きたいことって…」


すっかり放置していたことを思い出し、私から話を持ちかけると、


「あー、その前に…」


くしゃっと前髪を掻き上げた彼は、やや不機嫌とも取れる顔で言った。


「気持ちの悪い男だな。あんなのに笑顔で対応する必要、あんのか?」


その言葉にプハッと横でインキュバスが笑った後、彼は何かに気がついたのか、ハッとした顔で急に立ち上がった。


「え!ちょっと!」


そう言って九条刑事の両肩を掴んで揺さぶる。


「な、なにを…」


九条刑事は驚いてはいるものの、それを止めようとはしていないようにも見える。


「ちょっと、お兄さん!一応確認させてもらうけど…」


インキュバスの突然の行動の意味がわからないのは、私だけではなかった。

コウもシェイカーを振る手を止めて、彼を見ている。


「あの男、何者だと思う?」


インキュバスの意図がわからず、私もコウもじっと見守る。

すると…


「ヴァンパイア……じゃなかった。なんだ?ノスフェラトゥ、だっけ?」


それが何か?と言わんばかりに、サラッとそう言った彼は、私たちの視線の意味を汲み取ったのだろう。


「あーーーー………」


一瞬だけ視線をカウンターに落とした後で、


「普通の人より、ちょっと視えるものが多いんだ…」


と、これまたサラリと言った後で、


「この店、やべえな」


って苦笑いをした。


つまり、九条刑事は今までの会話も全て「人外」側のものが聞こえていたということだ。

ただ、一点気になるのは「ちょっと視えるものが多い」だけで、この結界の中まで入って来れるのだろうかということ。

多少の霊感がある。その程度の「人間」が、排除されずに入ってくるのは難しい。

少なくとも「人外」の要素を持っていないと無理なはずなのだ。


九条刑事をじっと見てみても、他の人外の客のように「人間に偽装した人外」の特徴的な視え方はない。

どこからどうみても「人間」なのだ。


(まあ、いいわ…)


そんな答えの出ないことを考えるのはやめて、仕事に戻る。


「……それで? 交換殺人の件ですが」


私が淡々と話を戻すと、九条刑事はホッとしたように小さく息を吐き、いつもの気だるげな刑事の顔に戻った。


「ああ、この前の交換殺人の黒幕の保険屋もどうやらここに出入りしているようだっていう情報を掴んでな」


メフィストフェレス…人間界で保険屋なのか…


どうでもいいところが引っかかりつつ、こちらで生活している人外はいろんな仕事をしているので、そうなんだ、と納得する。


「写真はないんだが、特徴は…」


と出された似顔絵の容姿が、完全にメフィストフェレスだったのを確認した私は、


「じゃあ、この事件はお蔵入りね。逮捕できないもの」


だって、人外だから、というのは言葉にせずにそう言うと、


「チッ……最悪だ」


この店の状況を見て多少は予想していたのだろう。

苦虫を噛み潰したような顔で、彼はそう吐き出した。


「まあいい。用件はそれだけだ。帰る」


コーヒー代をカウンターに置いた彼は、ふとスマホを見る。そして、


「マジかよ。勘弁してくれよ…」


と一瞬天を仰ぎ、ため息をついて立ち上がった。


その姿を見て、ハンカチを返せていなかったことに気づいた私は、コウに頼んでハンカチをカウンターの下から取ってもらう。


「あ、ちょっと待って。これ……ありがとう」


洗濯したハンカチを小さな袋に入れていたものを手渡す。


すると、それを見たインキュバスが勝手に盛り上がり始めた。


「ええええ。いつの間にそういう展開になってたの〜?ちょっと〜。やだ〜。馴れ初め教えてよぉ〜!」


そんなインキュバスは無視して、吸血鬼が置いていった女教皇の包みをしまいに行こうとすると、


「そう言えば……あいつが言ってた『絵』って、今どこにあんの?」


九条刑事から()()()の話が出た。


「あそこにあった絵だろ?あの絵、なんかじっと見られてるみたいで落ち着かなくてさ。だからこの前、席変えてもらったんだよなぁ」


突然そんなことを言いだした彼を、コウがじっと見ている。


「やっぱあのおっさんの念みたいのがこもってんのかな。それに、なんかあの絵だけ、この店にある他の絵と違うんだよなあ…」


彼が『普通の人より、ちょっと視えるものが多い』と言ったのを思い出して、その言葉と繋ぎ合わせる。


「どんな絵だったかすら思い出せないわぁ〜」


と頬杖をつきながら尻尾を揺らしているインキュバスの言葉が、遠くに聞こえる。


(やっぱり、あの絵で間違いない…)


私は確信を持って、コウを見た。


コウは相変わらず、頷きも首を振ったりもしない。


でも、これで、コウが持っている情報に追いついた。それだけは、確信した。

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