第22話 沈黙の契約
「……言えないんだよねぇ、それが」
本性を現したコウは、面倒くさそうに頬杖をつき、こちらを横目で見ながら、長い指で漆黒の天板をトントンと叩いた。
「言えない?貴方、自分の立場がわかっているの?」
私が冷徹に睨みつけると、コウは首を振った。
「違う違う。俺が意地悪して隠してるわけじゃないよ。そういう『契約』なんだ」
コウは忌々しそうに息を吐き出す。
「最初にはっきり言っておく」
ついていた頬杖を外し、私の方に身体を向け、目をしっかりと見据えたコウは、信じられないことを口にした。
「オーナーの失踪の瞬間に居合わせたっていうこともあって、俺は、オーナーに何が起きて、どこに連れ去られたのかも知っている」
思わず口を挟もうとして、手で制される。
「けれど、それを口にした瞬間、オーナーは二度と帰らない人になる。だから、絶対に言わない」
知っているけど教えない、ではなく、知っているけど言えない。
さっきコウが言ったことは正しく、正当な理由もあったのだ。
「どういうこと…?」
そこまでは理解しても、イマイチ頭の中でピンとこない。
「つまり…俺に何を聞かれても、犯人を含め、何も情報は得られないってこと」
「ふ…犯人も知ってるのね?」
昨日の彼の様子から、そうだろうとは思っていたが、それが確信に変わる。
「もちろん。ただ…」
ツウっと伸ばした人差し指で、私の顎を軽く持ち上げたコウは、
「ジェスチャーや匂わせで誰かに気づかれるのも契約違反になるからね。そっちもそのつもりで俺に接してくれないと、大事な叔母さんを危険に晒すことになるよ」
顎に触れた彼の指をなんてことないように薙ぎ払った私は、言われたことを頭の中で整理する。
つまり、叔母の失踪についてコウと会話することは、無意味であると同時に危険だということだ。
「いきなりハードル高いじゃない?」
感情が欠落しているはずなのに、自分に皮肉っぽい笑顔が自然と浮かんだのがわかった。
「あんたが先に助け出すか、俺が先に助け出すか、それとも………」
コウは視線を私からカウンターへと戻し、宙を見つめながらつぶやいた。
それとも、の先は聞かなくてもわかる。
助け出すことができない場合、残されるのは「同化」しかない。
そして、それは同時に「ポータルの制御不能」と「そこにつながるすべての異界の消滅」へとつながる。
ゴクリ……
私は思わず唾を飲み込んだ。
「絶望」でも「緊張」でも「不安」でも、ない。
そんな感情は持っていないのだから。
では、何か。
誰だか知らないけれど、随分と偉そうなことしてくれるじゃない。
腹の底から、ジリッ、と何かが焼け焦げるような熱が這い上がってくる。
それは、悲しみや恐怖といった、自分を守るための弱々しい感情ではない。
他人の領域に勝手に侵入した上で私物化し、沈黙という理不尽なルールを押し付けてふんぞり返っている『支配者気取りの誰かさん』に対する、純粋で暴力的な排他衝動。
……そうだったわ。人間はこれを『怒り』と呼ぶのだったわね。
自分がまだ感情を持っていた頃、一番苦手だと感じていた「怒り」という感情を少しだけ思い出した気がした。
「……上等ね」
私は、自分でも驚くほど冷たく、低い声で吐き捨てた。
「貴方がその馬鹿げた契約に縛られて、何もできずに指を咥えているだけなら、自由な身一つの私が、その契約ごと踏み潰してあげるわ」
私がそう宣言すると、コウは目を丸くした後、肩を揺らして「くくっ」と喉の奥で笑った。
「いいねえ。その目、最高にゾクゾクする。……ただの人形かと思ってたけど、そんな顔もできるんじゃん」
彼はうっとりと目を細め、舌なめずりをした。
「あーあ、勿体ない。その鋭い殺意に、もしも『感情の匂い』が乗ってたら……どれだけ極上で、身の毛がよだつほど美味しそうだったんだろうなぁ。想像しただけで…」
コウは琥珀色の瞳を三日月の形に歪め、楽しげに喉を鳴らした。
「じゃあ、お互い協力はしないけど、邪魔もしない。どちらが先にオーナーを助け出すかなんて、野暮な競争もしない。目的はただ一つ」
「オーナーの救出」
「美花ちゃんの救出」
二つの声が重なって、思わずお互いの顔を見合わせる。
「ただ…さっき協力はしないって言ったけど…入手した情報を交換することは契約違反にはならないはずだから、そこだけは協力しない?」
コウからの提案を断る理由はない。
そうでなくても私の方が出遅れているのだから。
「望むところよ。ただ…」
「ただ……?」
訝しげに私を見下ろすコウに、私は伝えた。
「さっきみたいにうっかりして自爆だけはしないでよ?叔母の命がかかってるんだから」
すると、
「いや、マジで!あんたと話してると、なんかたまにうっかりしちゃうんだよな。ほんと、気をつけるわ」
ははは、と少し恥じるような照れたような笑顔を見せたコウを見て、また印象が少し変わった。
昨日は彼は私を信用していない、敵だ、と決めつけていた。
だけど、こうして話していると、そうじゃないのかもしれないという気もしてくる。
叔母を救いたい。
ただ、それだけなのかもしれない。
親族でもなんでもない彼が、なぜそんなに叔母を大事に想ってくれるのか。その理由はわからない。
だけど、それも、叔母を救い出したらわかるのかもしれない。
私には感情がない。
けれど、誰にでも守りたいものや大事にしたいものがあるということは知っているし、そういう感情を自分も持っていたことは覚えている。
そして、さっき一瞬だけ感じた「怒り」という感情。
それは一過性のものだったようで、もう「怒り」という感情は湧いてこない。
ここ最近、一瞬だけ違和感を感じた「感情のようなカケラ」も同様だ。
(感情が戻りつつあるのだろうか…)
その考えに、「期待」も「不安」もない。
静寂に包まれた深夜のカフェ。
感情を持たない人間の店長代理と、猫を被るのをやめたポータルの管理人代理。
因果の精算による、奇妙な共犯関係が成立した瞬間だった。
***
コウが仕込みのためキッチンへと下がり、開店前の店内に再び重い静寂が広がった。
私は一人、カウンターの奥に並んだ酒瓶を見つめながら、今後どう動くべきかを脳内で整理する。
「…コウという情報源は、『すぐには使えない』と定義すべきね」
彼からは、しばらくの間、これ以上何も引き出せない。いや、引き出してはいけないのだ。
彼が持っている情報と私が持っている情報の量と深さが違いすぎるからだ。
少なくとも、まずは私が彼の持っている情報に追いつく必要がある。
そうでないと、結果としてネタバレを起こし、すなわちそれは匂わせとなってしまうからだ。
彼が先ほど見せた「うっかり」加減を考慮すれば、当面の間、彼と事件の核心について会話を交わすのは極めて非論理的かつ、リスクが高すぎる。
私が自力で『犯人の目星』と『封印場所』についての証拠を掴むまで、彼との情報交換は封印しなければならない。
「ならば、私は何から始めたらよいか…」
私は虚空を見つめ、指先で小さくカウンターを叩いた。
叔母の失踪が、自発的ではなく、何者かによって「失踪させられた」のであれば、なにかしらの日々の記録が残っていてもおかしくない。
私に魔術の痕跡は視えなくとも、インクと紙の『アナログ記録』なら解析できる。
「…記録の洗い出しね」
行方不明の親族の部屋を漁る罪悪感も、思い出に触れる躊躇いも、今の私には不要な感情だ。
叔母の部屋をひっくり返すことは、ただの物理的なデータ収集作業に過ぎない。
私はゆっくりと立ち上がると、静かにカウンターを離れた。
そして、店の廊下の奥にある二階への扉の鍵を借りるために、コウに声をかけた。
「叔母の部屋で探し物をしたいから、二階への鍵を貸してくれる?」
その声に、コウはなぜか肩を揺らし、ものすごい勢いで振り返った。




