第20話 境界のポータルと扉の構造
深夜。
その日の営業を終え、私は「片付けは任せる」とだけコウに告げて、一人で裏口のドアを開けた。
「お気をつけてお帰りくださいね」
背中に投げかけられた甘美な声に返事はせず、裏口を出て霧深い森を踏み越えていく。
コウは私に致命的な隠し事をしている。
そして私を、店長や仲間として、全く信用していない。
あの男の化けの皮が剥がれた以上、こちらとしても彼を信用することは、もはや不可能だ。
霧を抜けると、巨大な『霧の狭間の館』が黒々としたシルエットを現した。
私は重厚な扉を開け、エントランスホールに足を踏み入れる。
「……おや、主人。お帰りなさいませ」
静まり返ったホールに、柔らかな声が響いた。
燭台の灯りを手に、階段の上から完璧な所作で降りてきたのは、執事のセバスチャンだ。
「セバスチャン。話があるの……」
私が歩みを止めずに淡々と告げると、セバスチャンの足がピタリと止まった。
「……何かお困りのことでも?」
彼は少し意外そうな顔で私を見たものの、すぐに笑顔を作って頷いた。
「ではお茶を淹れてまいりましょう。談話室でよろしいですか?それとも…」
別に秘密の話ではない。
「談話室でいいわ」
私はそう伝えると、お茶を淹れに引き返したセバスチャンと一度別れて、談話室へと向かった。
***
暖炉の火が爆ぜる、薄暗い談話室。
アンティークのソファには、すでにルカとレイが座っていた。
二人とも私を見て「おかえり」と声をかけたものの、私の様子がいつもと違うことに気がついたのだろう。それ以上は何も言わず、それぞれのしていたことに戻っていった。
彼らの対面に腰をかけた私。そして、全員にお茶を配った後で、少し空間を開けて私の隣に静かに座るセバスチャン。
館の住人である三人が揃ったところで、私は単刀直入に本題を切り出した。
「ちょっと聞いて欲しいの」
私がそう切り出すと、ルカとレイもすぐに手を止めてこちらを見た。
「今日、店にメフィストフェレスが来たわ。そして帰り際に私にこう忠告していったの。『早く助けてあげないと、叔母が同化してしまう』と」
その言葉には、三人は特に大きな反応を見せなかった。
その反応は「すでに知っている」という隠蔽の反応ではなく、「何の話だ?」という純粋な疑問の反応だ。
この反応を見ることが、私の一番の目的だった。
「そして、その言葉を聞いた瞬間、あのコウくんがひどく険しい顔をして『あいつも仲間なのか』とつぶやいたの」
私は表情を変えず、さらに三人を順番に観察した。
「コウくんは多分、叔母の失踪について何かを知っているわ。それを私に言わない理由はわからないけれど、黙っているということは、彼は私にとっての味方ではないと言わざるを得ない」
沈黙が続く中、隣で静かにカップを置く音がした。
「ユウカ様……」
セバスチャンが、絞り出すように私の名前を呼んだ。
常に私を『主人』と呼ぶ彼が、私を名前で呼ぶシーンは限られている。彼の中で、決定的な危機感が跳ね上がった証拠だ。
「……そういえば、あのお店と我々との関係について、きちんと説明したことがありませんでしたね」
セバスチャンはこちらに身体を向けて私の目を見ると、
「ちょうどいい機会ですので、お話しましょうか」
そう言って、店と彼らの関係について、静かに語り始めた。
「貴女は毎日、あのカフェの裏口を通って人間界とこの館を行き来しています。だから『あの扉は、カフェと館を繋ぐだけのもの』と錯覚しているかもしれませんが、それは違います」
「どういうこと?」
「あの裏口は、『利用する者によって、繋がる先が違う』んですよ」
「繋がる先が、違う?」
「そうです。私たちにとってあの扉は、この『霧の狭間の館』と人間界を繋ぐルート。ですが、別の次元に住む者があの扉を開ければ、全く別の異界へと繋がります。……あのカフェは、数多の異界と人間界を繋ぐ『交差点』なんです」
セバスチャンの淡々とした説明に、私の中のバラバラだったピースがカチリと音を立てて組み合わさっていく。
「……なるほど。私が知らないだけで、あの裏口を利用している人外は他にもいる、ということ?」
「ご名答」
珍しくセバスチャンがにっこりと笑ったが、その目には一切の余裕がなかった。
「貴方は、叔母とコウくんの関係性を知っているの? この構造の中で、彼らはどういう役割なの?」
セバスチャンは静かに息を吐き、姿勢を正した。
「……あの店のオーナーである貴女の叔母様は、あのポータルを管理する『境界の管理人』でした。そしてコウ殿は、彼女が立ち入れない異界側の管理をするために彼女と契約した、いわば『雇われの番人』に過ぎません。我々にとっても、彼はただの『境界の管理人代理』です」
「では、悪魔が言っていた叔母の『同化』とは?」
私の問いに、談話室の空気が一段と重くなった。
「そのことについては、一切存じ上げません」
その一言が談話室に広がる。すると、レイが感情を排した冷たい声で引き継いだ。
「そもそもオーナーが失踪したということは、貴女の『感情』をいただくまでは知らなかったことです。…我々はただのポータルの利用者ですからね。彼らとも『顔見知り』なだけです」
そうなのか。
確かにあの夜の私は、色々な感情でぐちゃぐちゃだったからな。そこに叔母の失踪についての感情が混ざっていたとしても、おかしくはない。
「ただ……」
再びセバスチャンが声を上げた。
「その『同化』という言葉が真実だとすると、これは少々厄介ですね。……境界の管理人が何かと『同化』して消滅した場合、扉の制御が失われます」
叔母が何かと同化してしまう。親族にとっては厄介どころの話ではないが、彼らにとっては別の意味で問題らしい。
「もし、叔母様が完全に消滅してポータルが暴走すれば……」
セバスチャンのその言葉に、レイとルカが口を揃えてつぶやいた。
「「この世界が、消滅する…」」
どうやら、事態を把握しきれていなかったのは私一人だけのようだ。
三人の視線が、一気に私に集まる。
「これは緊急事態です。……ユウカ様。何としてでも、その『同化』を止めてください」
そう言ったセバスチャンの顔は、常に完璧な彼からは想像ができない、何ともいえない緊迫感に満ちていた。
三人とも、今まで見たことがないほどの「危機感」と「動揺」を浮かべている。
「私……?」
止めてください、と言われたのは確かに私だ。
だが、そんなポータルの制御など、私にどうやって止めろというのだろう。
「我々にはポータルの深淵に干渉する権限も、止め方もわかりません。ですが、貴女ならきっとできるはずです」
セバスチャンのいつもと変わらない声に、私は言葉をなくした。根拠がなさすぎるからだ。
「そもそも貴女の存在は、ここではとても稀有です。叔母様の血を引く人間であり、叔母様の失踪と入れ替わるように現れたそのタイミングは、偶然ではなく必然のはずです」
論理・現実主義を地でいくレイが、眼鏡を押し上げながら真顔で続けた。
「コウはおそらく、叔母様の失踪の理由を知っているのでしょう。何なら居場所も知っているのかもしれない。ただ、助けることは、できないのでしょう」
レイが言うことが正しければ、あのコウの反応にも頷ける。
「そうだよ!ユウカなら、きっとできるよ! っていうか、できないと、ユウカも僕たちも消えちゃうかもしれないよ…」
ルカの無邪気で身勝手な発言はいつものことだけれど、今回ばかりは彼らの必死さが本物であることを裏付けていた。
叔母の失踪の理由は知っているのに、私には何も教えてくれないコウ。
私に世界を救わせよう(自分たちの命を救わせよう)としている館の住人たち。
そして、なぜか私まで、ここの消滅とともに消えてしまうかもしれない、という可能性。
「……なるほど。構造は理解したわ」
私は冷めきった紅茶を一口飲み、彼らを見据えた。
「私と貴方たちの『生存』という利害が、完全に一致したということね。…いいわ。まずはコウくんに叔母の失踪の真実を吐かせましょう。話はそれからよ」
感情はない。だからこそ、決断は一瞬でできる。
***
部屋に戻っていつものデッキを手に取る。
叔母の件、どうやって切り出そうか。
無意識にカードをシャッフルしていると、一枚のカードが飛び出した。
テーブルに落ちたそれは、伏せられたまま私を見上げている。
ジャンピングカード。
カード自身が、何かを伝えたがっている。
私はゆっくりと、そのカードを裏返した。
そこに描かれていたのは……
『正義(JUSTICE)』
天秤と剣を持った、裁きの女神。
さて…これは、どう読むべきか。少しの間絵柄を見つめていた私は、
……象徴潜行。
心の中でそう唱えて、そっとカードに触れた。




