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第18話 悪魔の背中

テーブルの上には飛び出したカードが伏せられた状態で声がかかるのを待っている。


二人の刑事と私の間に流れる沈黙。


「…あら。飛び出すカード…ジャンピングカードは、カード自身が強いメッセージを伝えたがっている証拠です。受け取っていかれませんか?」


彼を見上げてそう伝えると、一瞬目を泳がせた九条刑事と目が合う。


「チッ…言い方が気になるじゃねーか。わかったよ。見てもらおうか」


多分、事件に関するメッセージだとでも思ったのだろう。観念したようにため息をついた九条刑事は、再び椅子についた。


それを「了承」と受け取り、私はゆっくりとカードを裏返した。

すると、そこに描かれていたのは、雲の上から見下ろす天使の下で、向かい合う全裸の男女。


『恋人たち(THE LOVERS)』。


「うわっ! 恋人たち!? 九条さん、ついに運命の出会いですか!」


七瀬刑事が目を丸くして身を乗り出す。

だが九条刑事は、騒ぐ相棒を無視して、テーブルのカードと私の顔を交互に見た。その目は「何の冗談だ」と語っている。


「このカードの本質は、単なるロマンスではありません。『共鳴』、そして『避けられない選択と結びつき』です」


私は感情を交えず、淡々と解釈を告げた。


「全く異なる世界に住む二つの存在が、理屈や常識ではなく、本能的な引力で引き寄せられる。そして、この絵の男女のように、お互いの『隠し事』や『建前』といった衣服を脱ぎ捨てて、丸裸で向き合うことになる、という暗示です」


九条刑事の瞳が、スッと細められた。

その奥で、獲物を見つけた捕食者のような、あるいは全く別の熱を帯びたような、鋭い光が揺らめいたのが見えた。


やがて彼は「…っ、くくく」と、肩を震わせて喉の奥で低く笑い始めた。


「……面白い」


笑い声を収めた九条刑事は、ゆっくりと立ち上がった。


「なるほどな。建前を脱ぎ捨てて、丸裸で向き合う、か。…上等じゃねえか」


九条刑事はニヤリと唇の端を吊り上げ、私を見下ろした。


「ナナ、行くぞ。……おいあんた。もし事件の線が再びこのここに繋がったら、次は占いじゃ誤魔化されないからな。その時はカードの暗示通り…お互い丸裸で、本性を見せ合おうじゃねえか」


「……お待ちしておりますわ」


私が表情を変えずにそう返すと、彼は鼻を鳴らし、今度こそ店を出て行った。


カラン、コロン。


ドアベルの音が消え、二人の気配が完全に遠ざかる。

店内に、いつもの静寂と冷えた空気が戻ってきた。


「……随分と面倒なことになりましたね。って、ライター忘れてるし」


カウンターから出てきたコウが、彼らが座っていたテーブルを淡々と片付けながらつぶやく。

その所作はいつも通り無駄がなく、静かなものだった。


「そう?意味としては興味深かったけれど」


「ただの人間にしては、あまりにも勘が鋭すぎる。一歩間違えれば、この店の『裏側』に気づかれかねませんよ」


「ええ」


ただの人間……そう、彼は人間のはずだ。私には彼の放つ感情の揺らぎがしっかりと視えていたのだから。

それなのに、胸の奥に残るこの微かな『ざわめき』は一体何なのだろう。


あの男に「丸裸で向き合う」と言われた瞬間、感情を失ったはずの心臓が奇妙に跳ねた感覚を持て余しながら、私はテーブルに残された『恋人たち』のカードを、そっとデッキの中へと戻した。


「……開店準備をお願い」


私はそれだけ告げて、この不可解な思考を強制的に切り替えた。



二十時を回り、表の札を「OPEN」に切り替えると、薄暗い店内にはポツポツと迷える客が訪れた。


「ぜひ、一枚引きを…」


「じゃあ、せっかくだから」


普通のナイトカフェとして利用しにきた客でも、メニューに書かれた案内を見て一枚引きを受ける者も多い。


例えば、高級なスーツを着こなしているものの、目の下に濃いクマを作った三十代半ばの女性。

彼女は冷たい水を一気に飲み干すと、すがるような目で私を見た。


「今の仕事を続けるべきか、占ってください。…誰もが羨むポストなんです。でも私、もう半年もまともに眠れていなくて…」


彼女に引かせたカードをめくると、それは骸骨の騎士が白馬に跨る『死神(DEATH)』の正位置。


「…そうね。貴女のそのキャリアは、すでに『死骸』です」


私が淡々と告げると、女性はヒッと息を呑み、肩を震わせた。


「周りの評価や、積み上げてきた見栄という『防腐剤』で、無理やり形を保っているだけ。…これ以上、その重たい死体を背負って歩けば、貴女自身の魂まで腐り落ちます。さっさと土に埋めて、手ぶらで新しい朝を迎えなさい」


痛烈な宣告。

普通なら怒り出すか、泣き崩れる場面だ。

だが、女性は数秒間呆然とカードの絵柄を見つめた後…ふっ、と肩の力を抜き、やがて憑き物が落ちたような、晴れやかな笑い声を上げた。


「死骸…あははっ!本当にその通りだわ。私、ずっとゾンビみたいに歩いてた。……そっか、もう手放していいのね」


彼女の顔から悲壮感が消え去り、本来の瑞々しい生気が戻ってくる。


「ありがとう。明日、一番に退職願を出してきます」


彼女はスッキリとした足取りで立ち上がり、清々しい笑顔で店を出て行った。


その背中からは、パチパチとはじけるような、透明で爽やかな気が立ち上っていた。


「…ほう。これは見事な『脱皮』ですね。搾りたてのシトラスのように、弾けるような爽快感だ」


コウがその透明な気配を指先で絡め取り、満足げに目を細めた。

迷いを断ち切った人間の決断は、どうやら彼らの舌にとっても極上のお口直しになるらしい。


私は何も言わず、ただ事務的にカードを浄化し、元の位置へと戻す。

時計の針が、深夜の深い時間を刻んでいく。


そうして何人目かの客を見送り、私が再びカードをデッキに戻した、その時だった。


カラン、コロン。


ドアベルが鳴った。次の客かと思い入り口に視線を向けると、そこには思いがけない人物が立っていた。

先ほど帰ったはずの、九条刑事だ。相棒の姿はない。


彼は店内を一瞥すると、先ほどまで自分が座っていた壁際のテーブルへと真っ直ぐに向かおうとした。


「お忘れ物はこちらに」


私は淡々と声をかけ、カウンターの下から使い込まれた銀色のジッポライターを取り出して天板に置いた。

先ほど彼らが帰った直後、テーブルを片付けていたコウが回収し、こちらに預けていたものだ。

カードを展開された緊迫感の中、無意識に手遊びでテーブルに置いてしまっていたのだろう。


九条刑事は歩みを止め、カウンターへと近づくと、無言でそれを拾い上げた。


「…無意識に置いてくるとは、俺も焼きが回ったな」


誰に言うでもなく低くつぶやき、ライターをポケットに突っ込むと、彼は短く礼を言って、すぐに踵を返した。


カラン、コロン。


再び、乾いたベルの音が鳴る。

だが、それと同時に入り口から流れ込んできたのは、夜風の匂いではなかった。


鼻腔を突く、微かな硫黄の匂い。

そして、物理的な重さを持って空気を圧迫する、圧倒的な『闇』の気配。


そのまま足早に出口へ向かう彼と、入れ違いになるようにして入ってきたのは、上質な黒い三つ揃えのスーツを纏った男性。

深紅のネクタイを締め、人間にはない妖しい光を瞳の奥に宿した悪魔。メフィストフェレスだった。


すれ違いざま、メフィストフェレスは九条刑事のことなど、道端の石ころのように気にも留めなかった。

だが、九条刑事だけは違った。


すれ違った瞬間、彼の足がほんの一瞬だけ止まり…背を向けた悪魔の背中を、あの爬虫類のような鋭い目で、射抜くようにチラリと睨みつけたのだ。


(……?)


そのまま何も言わずに九条刑事は店を出て行ったが、その光景をカウンターから偶然見てしまった私の奥底で、先ほどのざわめきが再び小さく波打った。


ただの人間が、悪魔の放つ異質な空気に気づくはずがない。

あの男は一体、何を嗅ぎ取ったのだろうか。


「……やあ、いい夜だね」


ドアが閉まり、静寂が戻った店内で、メフィストフェレスが芝居がかった声で優雅に微笑んだ。

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