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灰桜の傀逅 前編




古本屋の居間では、大量のダンボールに黒川が埋もれていた。これらは全て、山寺ユウジから送られてきた物だった。寄木細工の手紙に引き寄せられた彼は、今回の件で懲りたのか、集めていた呪いの品(ほとんどは偽物)を手放したいと、全部黒川の元へ送ってきた。


「やれやれ、買取業者ではないのですがね」


念の為、一つ一つ確認してみるが、やはり普通の骨董品だ。おまけに鑑定士でなくても、見るからにどれも価値もつきそうにない物ばかりである。流石の黒川も、単調な作業に辟易としていた。


「これはまさしく、絵に描いたような呪いの人形ですね」


箱から取り出したのは、髪が不自然に伸びた日本人形だった。顔や着物も埃で汚れている。いつの間にか、指が人形の髪を梳いていた。


「こんなに可愛らしいのに……もったいない」


そういえば子供の頃、本当は人形遊びがしたかった。あの頃は、男がお人形さんを持つことはとても受け入れられなかった時代だ。幼い自分は、遠くから人形遊びをする女の子を眺めることしか出来ず、振り返れば、そこには顔も思い出せない母が立っていた。名前を呼ばれたはずだが、それすらも霞がかかったように薄らいだ記憶だった。


「……我ながら、薄情なものですね」


遠い、遠い昔の話だ。自分の記憶のはずなのに、実感が湧かない。人形の埃を払うと、誰かが店に入った音がした。


「おや、会長さん。こんにちは」


人形を抱えたまま出迎えると、入口には地区会長のタカアキが立っている。タカアキは人形を視界に入れると、露骨に顔を強ばらせた。


「……もしかして、呪いの人形ですか?」


震える指が人形を指し示すと、黒川はクスリと笑った。


「いえ、そんな大層なものじゃないですよ」


カウンターに人形を乗せると、黒川は引き出しからハサミを取り出した。


「人形の髪が伸びているように見えるのは、経年で偏るんですよ」


不揃いの毛先を綺麗に整えながら、人形の髪をかき分けるとやけに短い毛が見える。黒川がそれを引っ張ると、長い髪が引っ込んでいく。タカアキも納得したように頷いていた。


「ふふ、これで綺麗になりましたね」


切った毛先を丁寧に取り除く。満足そうに黒川はまた、優しく人形の頭を撫でた。この人形だけはいたく気に入ってしまった。


「それで、会長さんは今日はどのようなご用事で?」

「あ、そうそう。これをお願いしに来ました」


改めてタカアキに視線を戻すと、思い出したようにタカアキは一枚の紙を差し出した。急ごしらえで作成したのか、少し簡素な図案で『流星群を見よう』と書かれていた。


「今度、百年に一度の流星群があるでしょう? あれをこの商店街で観測しようと企画したんです」

「ああ、そういえば最近テレビでもよく見ますね」


明かりの少ない商店街なら、さぞかしよく見えるだろう。どんな形であれ、この町を盛り上げようとするタカアキに黒川は頬が緩んだ。


「いい企画だと思います。さすがタカアキくんですね」


黒川が素直に褒めれば、照れくさそうに笑う顔は子供の頃から変わらない。


「あ、ありがとうございます。ではこのまま、役場に話を持っていきます」

「よろしくお願いします」


黒川は人形を手に取り、一緒になって手を振りタカアキを見送った。再び紙面に視線を落とすと、ふいに目の奥に熱を感じた。何かを視せようとする目頭を抑えて留まる。


「……厄介な身体になったものだ」


ざわつく胸につられ、人形の胴がみしりと音を立てた。慌てて手を離すと、毛先は整えたものの、乱れた髪に目が向く。


「髪を整えないといけませんね」


人形を撫でていると心が落ち着いてくる。人形を抱え直すと、散らかる居間へ足を運んだ。




****



黒川が買い物に出ると、上着を羽織っても寒さに身体が自然と震える。近付く祝祭に、華やかな飾りが町を彩る。ここ数十年ですっかり定着した季節の催しに、黒川も思わず鼻歌が零れた。


「あ、あの……!」


ふいに後ろから声を掛けられ振り返ると、制服を纏った小柄な少女が立っていた。瞬時にハルカだと気付いた黒川は、思わず感嘆の声を上げた。


「お久しぶりです、ハルカさん」


はにかむ黒く澄んだ瞳は、古本屋に通っている頃には見れなかったものだ。ほんの数ヶ月前のことなのに、懐かしさに黒川も目を細めた。


「あれからマタタビは元気にしていますか?」

「うん、元気だよ」


ハルカはスマートフォンを黒川に差し出すと、映し出された仲睦まじい姿にますます頬が緩む。どうやら、あの化け猫は飼い猫に向いていたらしい。


「ハルカさんもお元気そうで何よりです」


寒さのせいか、ほんのりと赤いハルカの頬に手を伸ばすと、黒川の手のひらの熱がじんわりと移っていく。軽率な行動だと、触れてからはっとした。黒川は慌てて手を離した。


「またいつでも来てくださいね」

「……うん」


名残惜しそうな眼差しに嫌悪の色はない。少しだけほっとして、ハルカとはその場で別れた。するとまた、ずくん、と眼球が重くなる。眼鏡を外し眉間を抑えるも、脈打つ調子に合わせて痛みが走った。


「……なんだっていうんだ」


呟きと一緒に白い息が漏れた。骨董品ばかり眺めていて疲れたのかもしれない。なんとなく理由をこじつけて、もやもやとする仄暗い思考を、意識の隅へ押しやった。




****




「ただいま」


ハルカが家に帰ると、いつものようにマタタビが出迎えてくれた。しかし今日はハルカの顔を見た途端、ピンと立っていたしっぽが床に垂れ下がる。執拗に匂いを嗅いでくるマタタビを、ハルカはひょいと抱き上げた。


「なぁに? どんな匂いがするの?」


顔を近付けると、尚のことマタタビは鼻をすんすんと鳴らし、ハルカの頬を舌で舐め始めた。


「いたっ、痛いよ、マタタビ」


猫が舐めてくるのは愛情の印。飼い主として喜ばしい行為だが、その愛は痛みを伴う。マタタビを足元へ離すと、部屋へ向かうハルカの後をついて歩いた。ヒリヒリと痛む頬に触れると、そういえばさっき、この頬を黒川に撫でられたことを思い出した。熱っぽいため息を零すと、マタタビは不服そうに「にゃあ」と鳴き、しっぽをひたすら振り回した。


「勉強するから、マタタビは待っててね」


さっさとハルカは部屋へ入ると、入り損ねたマタタビが扉の前で大きく鳴いている。可哀想だが、愛猫がいるとつい勉強を疎かにして構ってしまう。しばらくすれば諦めてくれるだろう。受験が控えている今、一分一秒が惜しかった。


「あ、そういえば……」


机の端に、小瓶に詰められた金平糖が置かれている。いつか、誰かからもらった物だったが……誰からだったろう。思い出そうとする度、頭痛が走り記憶があやふやになる。手に取ると、中の粒がからっと小さく鳴った。少し感じる異臭にハルカは顔をしかめた。


「でもこれって、すごく人気なお菓子だったんだよね……」


食べたことがある友人はみな、美味しかったと口を揃えて言っていたっけ。コルクを抜くと、ぬるっと香る生臭さにハルカは首を傾げた。


「まさか腐ってる?」


砂糖菓子も腐敗するのだろうか。臭いと思いつつも、好奇心に負けて瓶を傾けると、手のひらに星粒が転がる。ハルカは思い切って口の中に放り込んだ。


「……っう」


噛んだ瞬間、ねっとりと歯に絡みついた。気持ち悪い、吐き出そうとするも何故か、口を抑えてしまった。


「……んん!」


ハルカの意志とは反して身体は咀嚼を続ける。自分で口を塞ぎながら、混乱したハルカは頭を振った。やっとのことで口内の異物を飲み込むと、今度は焼けつくような熱が喉を通り過ぎていく。椅子を弾き飛ばし、ハルカは床に崩れ落ちた。


「ニャー! ニャー!」


マタタビが扉を引っ掻く音がする。ハルカは床で蹲り、動けずにいた。


『助けて……助けて!』


ハルカが薄ら目を開くと、窓の外が一際強く光を放っていた。涙で歪んだ視界が真っ白に包まれていく。


『……やっとみつけた』


光の中から、やけに明るい声が聞こえる。ハルカの意識はぷつりと消えてしまった。




****



夕食を済ませた後、居間でのんびりとテレビを眺めていた黒川が、微かに気配を感じた。気になって外へ出れば、店の前にはマタタビがちょこんと立っていた。


「ハルカが大変なんだ!」


人目も気にせず声を荒らげた虎柄の化け猫に、黒川の眉もぴくりと吊り上がる。唯ならぬ雰囲気に、上着も羽織らず扉を閉めた。


「行きましょう」


マタタビは頷くとくるりと背を向けた。黒川もすぐにその後に続いて走る。しかし、猫の速度についていくのは容易ではなかった。ハルカの家の前で、黒川は力なく膝に手をつく。それを見たマタタビは、ふんと鼻を鳴らした。


「なさけないやつ」


悔しいが何も言い返せなかった。黒川が呼吸を整えていると、家から騒がしい声が聞こえてくる。


「お邪魔します」


黒川が玄関を開けると、ハルカと母親が言い争っていた。来訪者に気付いた二人は、一斉に視線を黒川に集めた。


「あーっ!」


ハルカが一際甲高い声を上げて、黒川の元へ駆け寄った。勢いよく胸に飛びついてきた少女を、よろめきながらも受け止める。猫のように胸に顔を擦り付ける仕草に、違和感が拭えない。


「ハルカさん?」


黒川が声を掛けると、緑と赤茶色が混じったような瞳がこちらを見つめ返す。不思議な色合いに思わず見入ってしまった。


「あの、なんで古本屋さんがここに……?」


ハルカの母親は、大きく肩で息をしている。黒川の視線が泳ぐと、足元のマタタビが目に入った。


「マタタビが家に来ていたもので、連れてきたところです」


マタタビはハルカをじっと見つめている。か細い声で鳴くと、ハルカはきつく猫を睨みつけた。


「あっちいけ、しっ! しっ!」

「……にゃあ」


ハルカらしからぬ態度に、黒川も困惑するばかりだった。マタタビは耳もしっぽも力なく垂れ下がっている。母親がマタタビを呼ぶと、とぼとぼとそちらへ歩み寄って行った。


「それはどうも、ご迷惑をおかけしました」


母親は黒川と視線を交えつつ、マタタビを抱き上げる。そのごく自然な動きに、普段であれば素直に喜ぶことも出来ただろう。


「いえ……それにしても、少々賑やかな声が聞こえてきましたが、どうしたんですか?」


ハルカは黒川に絡みつくように離れない。母親が向けるきつい視線は、およそ娘に向けるものには思えなかった。


「いつの間にか、その子が勝手に家に入ってたんです」

「勝手にって……ハルカさんは貴方の娘さんじゃないですか」


黒川が首を傾げていると、母親は更に顔を歪めた。


「うちに娘なんて、いませんよ」

「え……?」


母親の真剣な眼差しは、とても冗談を言っているようには思えなかった。ハルカも何とも思わないのか、無邪気に黒川の腰にまとわりついて身体を擦り寄せている。


「……なるほど、勘違いだったようですね」


黒川が一旦引き下がると、母親はじろりとハルカを睨んだ。


「その子、貴方の知り合いなんでしょう? だったら、どうにかしてください」

「……えぇ、分かりました」


扉が閉まっていく直前まで、マタタビはハルカを見つめながら鳴いていた。しかし当のハルカは、何事もなかったように身体を伸ばしている。


「貴方、何者なんですか?」

「えー?」


少女は楽し気な声を上げ、黒川と並んで歩く。腕に絡みついて動きづらいが、どこかに行かれるよりはマシだった。


「うーんとねぇ。ぁ……ん、んん……」


少女は口をもごもごするだけで言葉に出てこない。ふざけている様子ではなさそうだ。二人の足音だけが黒川の耳に届く。


「こっちの言葉だと、うまく言えないかも」

「そうですか」


少女の言葉に引っかかるものを感じたが、あえて口にはしなかった。


「ねぇ、アンタの名前は?」


軽やかな声だった。黒川はちらりと少女の方へ視線を向ける。


「黒川と言います」

「……ウソ」


少女がきっぱりと言い切ると、黒川の眉根が寄った。


「それはアンタの名前じゃない。私はアンタの名前が知りたいの」

「おやおや、貴方に何が分かるって言うんですか?」


自分でも驚くほど、意地悪そうな声色だった。古本屋の扉を開くと、つけっぱなしのテレビの音が漏れている。少女も店内へ入ると、物珍しそうに辺りを見回した。


「分かるよ。だって、アンタと私は同じだから」

「同じ……?」

「あー、でもちょっと違うかな? アンタはまだ、器のまんまだもんね」


少女の言っていることが理解出来ず、軽い目眩を覚えた。目の前の少女は、怪しい笑みを浮かべている。


「どこから貴方は来たんですか?」


少女はゆっくり腕を上げると、天井を指差した。黒川もつられて上を向く。


「……なるほど。筋が通らないはずですね」


黒川は再び視線を少女に戻し、ズレた眼鏡を押し上げた。


「……ひとまず、その話は置いておきましょう」


何をそんなに気に入ったのか、少女はまた黒川と距離を縮める。


「今日はもう遅いですし、明日色々考えましょう。ご飯は食べましたか?」


少女はこくんと頷くと、満面の笑みを浮かべた。居間へ上がると、少女はちゃぶ台の前にちょこんと座る。そこは古本屋に通っていた頃、よくハルカがいたところだ。黒川と視線が絡むと、何が不満なのか、少女は頬を膨らませた。


「今、お茶を持ってきますね」


居た堪れず、逃げるように黒川は台所へ足を運んだ。やかんにかけた火を眺めていても、燻る鬱憤が収まる気がしない。


「……やっと、あの子が日常を取り戻したと言うのに」


沸騰を知らせるけたたましい音に、黒川の呟きはかき消された。


「熱いので気をつけてください」


少女の前に湯呑みと茶菓子を置くと、ようやく黒川も腰を落ち着けた。向かい合う少女は嬉々として湯呑みを持ち上げた。口をつけると、やはり熱かったらしい。舌を出し顔をしかめた。


「熱いと言ったじゃないですか」


黒川はティッシュを差し出すと、少女は思いついたようにハッと顔を上げた。


「私、決めたの!」


何を?黒川は口には出さず、視線を投げると、少女ははにかむように笑った。


「私の名前、さくらにする!」

「決めた、ということは、元々の名前とは違うんですか?」

「うん」


満足そうに頷く少女に、それならば、こちらで名付けてしまえば良かった。黒川が後悔しても遅かった。


「……ねぇ、そんなにさくらのこと、嫌い?」


一瞬、ハルカを思わせる声色に息をのんだ。しかし、目の前にいるのは『さくら』だった。さっきまでの明るさは潜め、さくらは伏し目がちに手元の湯呑みを見つめていた。


「好き嫌いの話ではありません」


この少女を前にすると、どうしても冷静ではいられない。逆立つ心を宥めるように、黒川はゆっくり口を開いた。


「どうして、わざわざここに来たんですか?」

「だって、ようやく降りられる身体を見つけたんだもん……」


少女の言葉に、黒川は思わず天を仰いだ。


「貴方たちの目的はなんです? ……侵略ですか?」

「そんなことしないよ」


二人の視線が交わる。吸い込まれそうな混色の瞳が、悲しげに揺らいでいる。重なる影に思わず胸が詰まった。


「うちらは、他の生き物の身体を借りなきゃ生きていけないの」

「……そんな勝手な」

「何それ、人間は勝手じゃないって言うの?」


険を帯びていく互いの言葉が、場の空気を重くする。どこかで制止しなくてはならないのに、黒川も口を閉じることが出来なかった。


「人間も勝手な生き物ではありますが、余所者に言われる筋合いはないですよ」


酷く冷たい言葉だった。さくらは目を見開くと、じわりと涙が滲んでいる。


「……何にも知らないくせに! アンタ、さくらに死ねって思ってるんだ!」


震える声が黒川を責め立てる。この少女に、恨みをぶつけたところでどうしようもないと言うのに……吐露してしまえば、後に残ったのは気まずさだけだった。


「……言い過ぎました。すみません」


黒川は腰を上げると、近くにあったティッシュでさくらの顔を拭った。ぐずりながらも、黒川にすがりついてくる少女に罪悪感が募る。


「うん……」


あれほど冷たく突き放したと言うのに、それでもさくらは黒川に身を寄せた。こうも甘えられては、刺々しい気持ちも萎えてくる。黒川は指で髪を梳くように、ゆっくりとさくらの頭を撫でた。


「なんか、汚れていますね」


どこで汚したのか。さくらの毛先はべたべたしていて、黒川の指に巻きついた。


「お風呂で洗ってきてください。その間、布団を敷いておきますから」

「なら一緒に入ろうよ!」


この異星人に、どこまで人間の常識が通用するのだろうか。無邪気な眼差しに、黒川は困ったように眉を寄せた。


「布団を敷いておくと言ったでしょう。一人で行ってらっしゃい」

「やっぱり、さくらのこと嫌いなんだ」

「だから、好き嫌いの話ではないんですよ……ほら、早く洗ってきなさい」


背中を押してやると、さくらは渋々立ち上がり風呂場へと向かった。姿が見えなくなったことで、ようやく黒川も大きく息を吐いた。ふと、居間を見渡すと、部屋はダンボールで半分ほど埋まっていた。


「まずは片付けなければなりませんね……」


まだ一息つくのは、だいぶ先の話らしい。黒川は重い腰を上げて、箱に手を掛けた。



「でたよー」


用意しておいた黒川のシャツは、さくらには少し大きかったようだ。毛先から雫が垂れて、肩のバスタオルが吸っている。


「まだ髪が濡れてますよ」


黒川が手招くと、さくらは素直に傍まで寄ってきた。丁寧にバスタオルで拭いてやると、さくらは気持ち良さそうに目を瞑った。


「次は自分でやってくださいね」


まだ少ししっとり水分を含んでいたが、タオルドライではこれが限界だろう。黒川は拭いていたバスタオルを抱えて立ち上がる。すると、ズボンの端をさくらが掴んだ。


「どこ行くの?」


まるで置いていかれた子供のような見上げるさくらに、黒川はそっと頭撫でてやる。


「お風呂行ってきます。その間、テレビでも見ててください」

「……一緒に入ればよかったのに」


黒川の指が離れていく間際、さくらが小さく呟いた。


「出来るわけないでしょう」


さくらに聞こえないように黒川も小さくぼやいた。




さくらの入った後の浴室は、桶やシャンプーが乱雑に置かれていた。もう怒る気も起きない黒川が湯船に身を沈めると、溜まっていた疲労感が解れていく。


「宇宙、か……」


予想もしない来訪者に、ずんと頭が重くなる。天井から雫が落ちて水面を揺らした。


「……あの人なら、どうするだろう」


ゆっくり瞼を閉じると、脳裏には長い髪にすらりとした長身の背中が陽炎のように映る。黒川が心地よい湯加減に身を委ねていると、脱衣場から物音が聞こえてきた。


「なんだ……?」


けだるい身体を音がする方へ向けた途端、蛇腹の扉が勢いよく開いた。



後半へ続く



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