赤朽葉の祭
藍色の質素な浴衣に、白い帯がよく映える。背の高いヒロムが羽織ると、普段より一段と大人びて映る。
「良くお似合いですよ」
私物の浴衣を手早く着付けると、黒川が目を細める。ヒロムも姿見の前でくるりと回ると、感嘆の声を上げた。
「おお、着付け早!」
「慣れてますから」
黒川も今日は紺色の浴衣を羽織っている。着替えを済ませ、古本屋の居間から出ていくと、カナデとサヤが待っていた。サヤも浴衣姿だが、カナデだけが私服のままだった。
「へぇ、馬子にも衣装ってやつ?」
「はあ?うるせえし」
幼なじみのカナデとヒロムが互いに軽口を叩いているのを、サヤと黒川は微笑ましく眺めていた。外から賑やかな声も聞こえてくる。
「カナデさんは、浴衣ではないんですね」
「あー、今年はウチの屋台手伝うことになったからさぁ」
カナデのウチは商店街の居酒屋だ。母のミワコが、焼き鳥の屋台を出すと、黒川も耳にしていた。
「おや、それは大変ですね」
「カナデと一緒に回りたかったのに……」
サヤが団扇を握りしめ、愚痴を零す。その横で、ヒロムはスマートフォンを注視している。何かに気付いたのか、唐突に声を上げ、店内の視線を集めた。
「やば、もう俺行かなきゃ……店長、ありがと!」
「はい、気を付けて行ってらっしゃい」
慌ただしく店内を出ていくヒロムを、手を振る黒川の陰で、面白くなさそうにカナデは見送った。
「あーあ、金魚のフンしに行ったよ、物好きが」
憎々しげに吐き捨てる様子に、黒川も小さい息を吐いた。
「ヒロムくんはデートなんでしたっけ?」
「違うよ」
カナデはすかさず、黒川の言葉を切り捨てた。
「安藤アカリのモブ三号、ホント馬鹿みたい」
黒川が目を丸くしていると、傍にいたサヤが黒川の袖を引き、そっと耳打ちしてくれた。
「カナデはヤキモチ妬いてるの」
「妬いてない!」
地獄耳に届いていたようで、サヤは肩を竦めた。どう見ても肯定しているようなカナデの態度に、つい黒川は頬が緩む。
「そのアカリさんは、どんな方なんですか?」
「めっちゃモテる子。いつも男子に囲まれてるの」
不貞腐れるカナデの代わりに、サヤが答えた。金魚のフンは、言い得て妙のようだ。
「関係ないんだけどさ……」
「はい、なんでしょう」
サヤがまた、ぎこちなく黒川の袖を引く。指差した先はカウンターで、黒川も自然と目で追った。
「なんで、金魚がゴマするやつに入ってるの?」
金魚が入ったすり鉢にサヤは近寄ると、ちゃぷっと水面を揺らす音がした。
「ああ、ウチにあった大きな器がそれしかなくて……割と気に入っているのですが」
「変なの」
サヤは金魚を眺めながら呟いた。そんなに可笑しいだろうか……今度は黒川が首を傾げた。
「ねえ、ウチらもそろそろ行こうよ」
カナデがサヤに声掛けると、サヤも名残惜しそうにすり鉢から離れた。
「行ってらっしゃい、楽しんでくださいね」
見送る黒川に、二人は手を振った。扉が開くと、外の賑やかな音が一層店内に入り込んでくる。今日は、商店街の秋祭りだ。黒川も外に出ると、通りには人で溢れていた。かつて見た似た光景に、じんと胸が痛む。
「そろそろ見回りに行きますか」
表に出た黒川も、サヤたちとは逆方向へ足を向けた。通りには出店が並び、美味しそうな匂いがあちらこちらからしてくる。そんな活気に溢れる人々に紛れ、小さな黒い影がちらついていた。
「こらこら」
人が集まると、不穏なものもどこからか集まってくる。少し屈んで手で払うと、影は煙となって消えていった。危ないものではないが、近頃何かと問題ばかりだ。小さくても、芽は潰しておきたかった。
「黒川さん」
声を掛けられ振り向くと、そこには上島が立っていた。
「お疲れ様です、上島さん」
「お疲れ様です。あの、会長さんは見かけませんでしたか?」
会長とは、商店街のタカアキのことを指しているのだろう。彼も会長として、初めての祭に忙しくしていたことを覚えている。しかし今日はまだ、顔は見ていない。
「今日はお会いしてませんが……何か?」
「この法被の数が足りないんです。どこにあるのか聞きたくて……」
上島は自分が身につけた法被を手に、困ったように眉を下げた。祭の道具などは商店街の端にある、山車が入った大きな倉庫に仕舞われていたはずだった。それとなく上島に言ってみるも、彼は首を横に振った。
「──となれば、公民館かもしれませんね……行ってみますよ」
「本当ですか?お願いします」
上島は頭を下げ、足早にその場を離れていく。彼も忙しいのだろう。黒川は商店街を外れ、公民館へと歩き始めた。
祭りの会場から外れた公民館には人気はない。中に入って押し入れを覗くと、祭と書かれたダンボール箱があった。
「おやおや、確認不足ですね」
箱を開けると、中には上島が言っていた法被の他に、団扇なども入っている。他にないか見回しても、それらしいものはこの一つだけだった。
「……やれやれ、持っていきますか」
重くは無いが、持つには少し大変な荷物だ。あまり気は進まなかったが、今は自分一人しかいない。諦めて黒川は箱を持ち上げた。
日が傾き始めてくると、いよいよ祭の雰囲気は盛り上がっていく。上島たちがいる本部事務所まではまだ遠い。人がひしめき合う中を、黒川は避けながら進んでいく。ふと視界の端に、ヒロムの後ろ姿が見えた。それと男子が五、六人集まる中央に、小さな人影が一つ。あれが恐らく、安藤アカリだろう。遠くから見ても、可愛らしい雰囲気が伺える。
「なるほど……」
カナデの言葉が頭を過ぎった。男子たちは傍から見ても、デレデレと鼻の下を伸ばしている。今はカナデを素直に同情出来た。
人の隙間からぱちっと、アカリと目が合った。黒川に気付いたのか、アカリはこちらを見据え微笑む。彼女に見覚えはなく、振り返ってみても、周りに彼女を見ている者も見当たらない。視線は黒川に注がれていた。目鼻立ちが整い、小さくて愛らしい少女。でも何故か、人形のような冷たさを感じる。黒川は少しだけ背筋が震えた。目が合っていたのは一瞬で、すぐに彼女も人混みの中に紛れて見えなくなってしまった。
「……何だったんだ」
出来ることなら、今すぐこの違和感の正体を確かめたい。しかし、手に持った荷物の存在が邪魔をする。
「あまり後回しにはしたくありませんが……仕方ありませんね」
黒川は足早に事務所へ向かうことにした。
****
水槽には沢山の金魚が泳いでいる。薄い紙が貼られたポイでは心許ない。幾度と挑戦するも、掬うのは水ばかりだった。
「はい、残念賞!」
見兼ねた屋台のおじさんが、サヤに小さな黒い金魚を手渡した。
「まあ、難しいよねぇ」
隣にいたカナデが、背中を軽く叩く。本当は自分で取りたかった……金魚の入った袋を目線まで持ち上げると、不思議と愛着が湧き、サヤの表情が和らいだ。
「ごめんサヤ、私そろそろ行かなきゃ……」
「あ、うん……あとで屋台行くね」
カナデに手を振ると、サヤは一人ぽつんと道に佇んだ。周りには家族連れやカップルが楽しそうに歩いている。
「……この金魚、店長にあげようかな」
呟いてみるも、すぐに動きにはなれなかった。普段なら地面に座ることなどしないが、今日はお祭りだ。あちこちで腰を下ろしている人を見て、サヤも植木の隅に座る。
「ヒロムも馬鹿だなぁ」
ヒロムが古本屋の店長から浴衣を借りると聞いて、カナデがそわそわしていた姿を思い出す。でも、安藤アカリの名前を聞いて、内心ショックを受けていたことを、サヤだけは知っている。本当は、カナデだって浴衣を用意していたし、店の手伝いだって、無理してすることもなかった。
「……カナデ、大丈夫かな」
安藤アカリは確かに可愛い。でも、どう見てもヒロムは眼中になさそうだった。高嶺の花ほど、欲しがるものなのだろうか。サヤには分からなかった。
「あ、サヤちゃーん!」
誰かが呼ぶ声がして、視線を上げる。向こうから、安藤アカリが一人、こちらに駆け寄ってきた。
「あ、安藤さん」
「良かったぁ、お祭り来てると思ってたんだぁ」
アカリとは同じクラスだが、会話を交わしたことはほぼない。それなのにまるで友人のような振る舞いに、サヤは戸惑ってしまう。
「男の子たち、ちょっとうるさくてさぁ。ようやく一人になれたんだ」
カナデが聞いたら「はあ?自慢?」とすぐキレそうな台詞に、サヤは愛想笑いを浮かべた。何故わざわざ自分の所に来たのか、益々訳が分からない。
「あの……何か用?」
用がないなら帰って欲しい。サヤは言外に込めた思いが届くよう、祈った。
「そうそう! サヤちゃんに渡したい物があったの!」
アカリはカバンから一冊の本を取り出す。分厚い赤い表紙に、サヤは息を飲んだ。
「はい、これサヤちゃんのでしょ?」
「……え?」
強引に渡されたそれは、以前見た赤い日記だった。ずしりと重い本を持って固まるサヤに、用は済んだとばかりにアカリは立ち上がる。
「じゃあね、サヤちゃん」
「待って!安藤さん、これ私のじゃ……!」
瞬く間に人の波に消えていく背中に、伸ばした手が虚しく垂れ下がった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう! バクバクとうるさい心臓に、視界が黒く狭まる感覚に怯える。人のざわめきの中、耳元で水を揺らす音が聞こえて、ハッとした。顔を向ければ、金魚が入った袋が木にかかっている。サヤがさっきもらった、黒い金魚だ。
「……そうだ、あの人がいる」
小柄で物腰が柔らかな、不思議な古本屋の店主。サヤは金魚と本を抱えて走り出した。時折、人と肩がぶつかるが気にしてられない。涙で歪む道をひたすら走った。
「早く、早く……!」
突然、目の前に人が現れ、避けきれずぶつかってしまった。反動で転けそうになるも、当たった人物がサヤの肩を掴み、倒れずに済んだ。
「……おやおや、危ないよ」
頭上から、甲高い声が降ってくる。サヤがゆっくり見上げると、そこには髪の長い女が立っていた。
「きゃああああああ!!」
サヤが思わず叫ぶと、目の前の女は耳を抑え苦笑いを浮かべた。
「ふふ、随分威勢のいいお嬢さんだ。まるで幽霊でも見たような悲鳴だね」
軽快な口調に、サヤは次第に落ち着きを取り戻した。確かに髪が長い女だが、あの幽霊ではない。優しそうな垂れた瞳に上背のある女は、ころころと笑った。
「……ご、ごめんなさい」
「いやいや、気にしなくて結構。それより……」
女は、サヤの抱えていた本に指を添える。
「これは、君のものかい?」
サヤの顔を覗き込む女の近さに、ドキッと胸が高鳴った。女のどこか妖艶な雰囲気に、サヤの恐怖心が萎んでいく。首を横に振って、返事することしか出来なかった。
「ではこれは私が頂こう」
「え……?」
女はサヤから本を取り上げると、高く掲げた。慌てて取り返そうとするサヤが手を伸ばすも、はるか頭上の本には飛び跳ねても届かなかった。
「では、気を付けて帰りなさい」
「待って……!」
女もまた、人混みの中へと姿を消していく。今日は誰かに置いていかれてばかりだ。サヤは呆然とするしかなかった。
「ど、どうしよう……!」
今度はあの女の人が、呪われてしまうかもしれない。サヤは再び、黒川の元へと走った。
サヤが走っている最中、一際大人たちが集まるところに目がいくと、そこに黒川の姿が一瞬見えた。危うく通り過ぎて行きそうになったサヤは、踵を返し黒川目掛けて駆け寄った。
「っ……!サヤさん?」
勢いあまり、黒川に体当たりしてしまったサヤは、そのまま背中に顔を埋めた。黒川も始めは戸惑うも、震えるサヤを見て異変に気付く。
「すみません、少し外しますね」
上島たちに断りを入れると、無言のサヤを連れて事務所のパイプ椅子に座らせた。
「どうかしましたか?」
黒川を見つけたことで安堵したのか、涙が零れるサヤは上手く喋れずにいた。黒川もサヤが落ち着くまで、静かに背中を摩り続ける。
「……さっき、渡されたの」
「何をですか?」
ようやくサヤがぽつりと口を開いた。たどたどしい言葉に、黒川も様子を伺っている。
「赤い日記、渡された……」
「何ですって」
黒川の表情が険しくなる。あれは確かに、焼却処分したはずだった。呪いの品は簡単には無くならない。けれども、こんな短期間に復活するとも考えられなかった。
「誰から渡されたんですか?」
サヤの周りを確認しても、赤い日記は見当たらない。けれども渡されたとなれば、相手がいる。逸る気持ちを抑えながら、黒川が尋ねた。
「安藤さん……」
「安藤さんって、安藤アカリさんのことですか?」
頷くサヤに、動揺を悟られないよう、黒川は溜めた息を小さく吐いた。やはり、彼女には何かある。
「なるほど……今、本は持っていないように見えますが、どうしましたか?」
「そうだ!女の人が持ってっちゃったの」
慌てて顔を上げたサヤは、青ざめていた。立ち上がろうとするサヤを、肩を抑えて制止する。
「女とは、幽霊の女ですか?」
サヤはまた首を横に振る。
「髪は長かったけど、違う……凄く大きな、垂れ目の女の人だった」
一人だけ思い当たる人物に、思わず黒川は目を見開いた。古本屋の先代、名前も知らない彼女の姿がふと、過ぎる。
「あの人、呪われちゃうかもしれない……」
涙目で訴えかけるサヤは、彼女の心配をしているようだ。自分が辛いというのに……純粋な優しさに、胸がじんと暖かくなる。
「恐らく、ですが……その人なら大丈夫です。むしろ彼女であれば、本を上手く処分してくれるはずです」
処理しきれなかった、至らない自分とは違う。この町も彼女の町で、しかも今日は祭だ。彼女が来ていても不思議ではない。
「……ほんと?」
黒川が静かに頷くと、サヤはようやく安心したのか、胸を撫で下ろした。
「とにかく、サヤさんが無事で良かった。もう遅いですし、送っていきましょうか?」
「うん……」
サヤの手を引くと、腕についた金魚が揺れる。黒川の視線に気付いたサヤが高く持ち上げた。
「……これ、店長にあげようと思ってたの」
「おや、いいんですか?」
小さな黒い金魚は狭い袋の中、元気よく泳いでいる。これを機に水槽を買うのも良さそうだ。黒川がすっと手を伸ばすと、サヤは避けるように金魚を自分の元へ、引き寄せた。
「でも好きになっちゃったから、私が飼う」
「おやおや」
少し元気が出たのか、金魚を眺めるサヤに黒川も笑いを堪えられなかった。
「あと、帰る前にカナデのところ行きたい」
「そうですね、焼き鳥食べに行きましょうか」
本当は、今すぐアカリを見つけたいが……まずはサヤのことが心配だった。また向こうから、接触もあるかもしれない。黒川はサヤを連れ、カナデの店へ向かった。
──結局、アカリも先代の姿も見ることはなく、祭は終わっていく。サヤを家に送り届けた後、人気がなくなる商店街を歩いても、意味はなかった。
日付が変わろうとしている時刻だが、黒川は古本屋で一人、明かりを付けたままカウンターに座っていた。もしかしたら来るんじゃないかと、そんな淡い期待は持たない方が良かった。水面を揺らす金魚に餌をやりながら、もどかしい気持ちを誤魔化していた。
「安藤、アカリ……か」
無機質に見えた少女は、何者なんだろうか。以前見た、緑に光る女と似た雰囲気に、嫌な予感が拭えない。
「……いるなら、会いに来てくれればいいのに」
どこかで頼りたいと思う、弱い自分が顔を出す。微睡む意識の中、募っていく不安の影から、黒川はそっと目を逸らした。




