第76話 「鬣」
「この子達は…」
黒い布のような物で水面を覆って薄暗い生け簀の中、そこに上体は馬の成り立ちだが、下半身にかけて魚のような尾鰭に変わる獣が数匹見えた。
昔図鑑で見た『シーホース』という水棲型の獣にそっくりだが、その特徴と異なる箇所があった。
「シーホース…いや…」
その鬣は水中にいながら風に靡くように美しく揺れる草原のようで思わず見惚れてしまった。
「綺麗な鬣…」
「この子達は『リーフィーホース』さ、シーホースの亜種になる。」
「『リーフィーホース』?」
「普段は深場に生息していて、肺呼吸だが陽光をその鬣で吸収して酸素の自給ができる珍しい種なんだ」
「陽光…それって光合成…?」
植物の特性である光合成を獣であるこの子達が出来るというのが信じられなかった。
「そうさ、しかも少しの陽光でも多量の酸素を作り出せるから、薄暗い深海でも長時間いることができる。」
「でも、陽光を糧にしているのならどうして深い場所を生息域に…この薄暗い環境よりも浅場のような明るい場所の方が生きやすいんじゃ...」
目の前を優雅に泳ぐリーフィーホース達を見て、その頭上を覆う水面の布に視線を向けた。
「フェリスの言う通りだが、この亜種達はそれでも生きやすいから薄暗い所を好んでいるんだよ。どうしてか分かるかい?」
「え?えっと…」
確かに獣達は人間よりも本能的に生きる…
生息しやすい環境下に身を置くのは不思議な事ではない…
「よく観察してみるんだ。そしたら答えが見つかるかもしれないよ」
「観察…」
そういえば、昔同じ事をお母さんにも言われた気がする…
まだ幼い頃、村の家畜小屋掃除を母としていた時…
「ねぇおかあさん」
私は雪が降り積もる白い世界に放牧されているケガワウシを見ていた。
「どうしたのフェリス」
「どうしてケガワウシってあんな寒い外で平気そうにしているの?」
「そうね、どうしてだと思う?」
疑問を抱く私を微笑みながら見ている母の顔…
「んーっと…寒いのが好きだから?」
「それもあるかもしれないわね。でも、なんで寒いのが好きなのかな?」
「えーっと………なんで?」
「ふふっ…フェリス、あの子達をよく見てみなさい。そしたら答えが見つかるかもしれないわよ」
そう言われると小屋の外にいるケガワウシ達を1頭ずつ順番に見ていく。
「あ、もしかしてあのもふもふの毛があるから?」
「そう、ケガワウシ達はあの体毛で体温を保っているからこの寒い外でも平気なの。あのまま暑い所にいるのは大変でしょ?」
「確かに!」
「フェリス、獣達は人間にとって住みにくい環境でも適応してそこを住みやすい場所にしているの。この世界中で生きている獣達も適応してそこで暮らしやすくしているのよ。その子達をしっかり観察すれば必ず答えが分かるわ」
母の言葉を思い出しながら、目の前を泳ぐリーフィーホースを視線で追った。
優雅に泳いでいるが、よく見ると泳ぎ方にぎこちなさを感じる。
それに何度かお互いにぶつかりそうになってはいるが、ギリギリで避けて泳ぎ続けてもいる。
その眼を見てみると、かなり小さな瞳をしている。
「もしかして…この子達は目があまり見えていないですか?」
「そう、リーフィーホースは弱視なんだ。だから障害物の多い浅場よりも広く泳ぐことのできる深海に生息しているんだ。」
「そっか、肺呼吸だけどわざわざ浅場にいかずとも光合成で酸素供給が出来るようになった…」
「リーフィーホースは成長するにつれその光合成をする鬣も大きくなってしまって、そのまま浅場で陽光に当てられ続けると酸素中毒を引き起こしてしまう。だから、過剰供給を防ぐためにも深海を選んでいるんだ。」
「治療って言ってたのはあの傷の事ですか?」
何ヵ所か身体に擦った事によってできた擦り傷が見える。
「あぁ、傷の治療を施してほしいんだ」
「分かりました、やってみます…でも…」
この村で目が覚めたあと起きた騒動を思い出した。
「さっきも浅瀬にリーフィーホースが出たって皆が慌ててました…この子達もきっと浅瀬に迷い込んで傷だらけになった…何か深海で起きているんじゃ…」
シルフさんはゆっくりと水平線に視線を向け、一呼吸置いて話し始めた。
「恐らくだが、深海の生態系に何が異変が起きている」




