第75話 「故郷」
まさかここで故郷の名前を聞くとは思いもしなかった。
「どうして、故郷の名前を知っているんですか…」
「いや、昔訪れた事があってね。あの寒冷の中、冷えた身体を温めてくれた大浴場と特産品だったミルクが格別だった記憶がある。」
片腕を顎に当て、懐かしむように思い出しているシルフさんの表情。
本当に思い出だというような顔だ。
「ちなみに…訪れたというのはいつなんですか?」
「あれはもう10年程前だった気がするが…」
私が村にいた時に訪れていたんだ…
ということはどこかで会っていたのかもしれない…
「そういえば、当時、今のフェリスに似た女性からそのミルクを教えてもらって飲んだんだぞ」
「え?」
「フェリスに似た青い髪と瞳で…当時、その女性が子を連れて浴場にきていた際、湯を叩いて遊ぶその子を抱く隣で色々と話を聞かせてもらってな…とても良い時間だった。」
「良い時間?」
「あぁ、その人は自分の子どもがかけがえのない存在だと言っていた。守る為なら命を懸けてでも守り抜くと…そして母親としてやれることは全てやってあげたいと…大きくなっても私は母として見守ってやりたいと…何があっても味方であると…」
「………」
「すごい人だと思ったよ。私よりいくつも歳が下であったが、1人の人間として、1人の母として尊敬した。結局は叶わなかったが、私も子が欲しいと思えた。」
大陸を越えて母の事を聞く事ができるなんて…
私の覚えていない記憶の母…
「その人は、私の人生観を変えてくれた人だった」
涙が止められなかった。
「あれから10年、たまたま湯船で見かけた小さな子だったが…こんなに大きくなったんだな…」
「覚えていたんですね…すみません、私はうろ覚えというか…」
「無理もない。ところで、その人は今も元気にしているのか?」
「……母は…」
私は先日起きたアラシア大陸での事をシルフさんにゆっくりと語った。
この人には母の事を伝えなければいけないと思って、上手く言葉が出ず詰まりながらも話続けた。
その間、シルフさんは何も言葉を発しなかった。
私の一語一句を聞き逃さないよう、潮風の中ずっと私の瞳を見つめてくれた。
「……そうか」
話終えたあと、シルフさんはそう言って水平線を見ていた。
何かを考えている様子だが、聞くことは出来なかった。
その瞳から静かに涙が零れるのが見えてしまったから。
「しっかり母親しているんだな…今もずっと…」
「あの、アラシアに戻れる方法を何か知りませんか?」
「助けに行くのか?」
「はい」
「……今はまだ行かない方がいい」
「どうしてですか…?」
「こうしている今も不可触の凍土化が進行していると聞く。このままでは行ったところで何も出来ずに…」
死ぬだけだと言おうとしたのが理解出来たが、シルフさんは敢えて言葉を濁していた。
「それでも…それでも私は母にもう一度会いたい…」
「フェリスを見ていたらあの時の記憶が鮮明に思い出されるよ、本当にそっくりだ。」
「私が母に…?」
「フェリス、あんたは獣の医療について詳しいかい?」
「え?」
「獣医を志しているんだろう?」
その事は話していないのに、どうして…
「えっと…はい、母のような獣医を目指しています。」
「そうか、なら時間はかかるかもしれないが私も協力しよう。来てくれ。」
シルフさんの後を追って生け簀から離れて海岸沿いを歩いて村からまた少し離れていく。
「あの…どうして私が獣医を志しているって…」
「フェリス、あそこの生け簀が見えるね?」
話を剃らされたような気もしたが、シルフさんの視線の先、少し海岸から離れた場所に大きい生け簀が見えた。
「あそこにはこの村の大切な"仲間"がいる。その子達の治療が出来ないか見て欲しい。」
「仲間?」
シルフさんの魔法で作られた道を辿り生け簀を見ると、中には動きの鈍い影がいた。




