24 焼き入れの剣と影
「ここにあるのは、ぬくもりのない記録。ひとつの魂が幾度となく砕かれて、異なるかたちへと鍛え直された、その証に過ぎない」
【御堂瑾の日誌より 3122年4月10日、晴れ】
渡鴉が自らユニット06について話し始めた。国境での作戦中、私と瓜二つの容貌を持つあの存在とすれ違ったらしい。そのときは別の人型機械二体と同行していたが、ほんの一瞬で姿を消したという。鉄棘鎮で初めて私に出会ったとき、彼女の目が強い警戒に満ちていたのも当然だ。私の異なる瞳の色を確かめてようやく、いくらか警戒を解いたのだから。
情報網にユニット06の痕跡は極めて乏しい。誰かが意図的に消しているのだろう。同じ系列の他の機械より足取りは掴みにくく、正面戦場に直接姿を現すことも稀だ。まるで注意を引くのを避けているようであり、狡猾すぎる。それとも、何者かが早々に消耗するのを望まず、陰で操作しているのか。
渡鴉がそれを口にするときの瞳は揺れていた。どこまで知っているのか、あの鏡像に対し私がどう向き合っているのか、探りを入れようとしている。彼女はこの点を非常に気にしている。
ユニット06、おまえはいま、どこにいる。おまえにも苦痛は感じられているのか。それとも、おまえはただ魂のない人形に過ぎないのか。殺戮と破壊のために生まれた機械が、いまこうして「何もしない」でいるのは、本来おまえには決して許されない安寧の時を、享受しているつもりなのか。
あの顔、私の顔が、帝国の影のなかにいる。そう思うだけで、少し落ち着かなくなる。こいつら人型機械はどれも、私の家が生み出した「プロジェクト・ペインキラー」の怪物だ。血脈のなかで増殖した罪業の延長線上にある。いつかこの造物どもを一匹残らずこの世から抹消できるなら、最終目標たるユニット06もいずれ必ず浮かび上がる。たとえわざと隠された駒でも、盤上へ押し出される運命からは逃れられまい。
復讐には忍耐と冷静さが要る。いま焦っても仕方ない。瑾、必ず堪えろ。
【御堂瑾の日誌より 3122年7月16日、雷雨】
小隊がユニット02を鹵獲した。
鉄棘鎮で帝国軍服をまとい、栗色の長い髪をしたあの「女」だ。おぼえている。唇にあの定型的な微笑みを貼りつけ、その指が私の喉に食い込んだときの力加減を。そしてあの異様な臨死幻覚も。いま、そいつの三つ編みは肩に垂れたままだが、黒い絹の紐は泥と血糊に塗れている。
こちらの予想外の収穫だった。任務中に所定の経路を外れ、我々の張り巡らせた罠に自ら飛び込んだらしい。三組の「奪心」電磁パルス装置を正面から浴び、白煙の渦中でそいつの躯は硬直し、生体模倣皮膚の下に淡い青の回路が蜘蛛の巣のように浮かび上がった。
私はすぐさま破壊しようとする隊員たちを制止した。完全な状態で捕らえた初めての人型機械であり、かけがえのない標本だ。隊員たちの疑わしげな視線をよそに、私はすべての援けを断り、この特異な戦利品をあくまで独りで処理すると決めた。
尋問室で、ユニット02は拘束具によって跪く姿勢に固定され、うなだれていた。こうしてあらためて見ると、こいつはたしかに病的なほど美しい。精巧な五官、滑らかな曲線は、まったくもって人の技とは思えない。こんな殺戮機械が人の世に紛れ込んでいること自体、極めて危険だ。人の皮をかぶり、天使の貌で悪魔の所業を成す。
当初、こいつから引き出したいことは二つだった。ひとつは鉄棘鎮の筆舌に尽くしがたい虐殺について、どんな釈明でも、あるいは一片の後悔の念でも示せるのか。もうひとつはユニット06の情報、とりわけ現在の居場所だ。
だが思いもしなかった。ようやく私を見上げたその双眸に、かつて残酷な笑みを湛えていたはずの灰青色の瞳はまるで虚ろで、一片の揺らぎも映さない。私の問いかけに何の反応も示さず、表情すら変えない。どうやら本当に私を憶えていない。鉄棘鎮の血の光も、共にいるべき「仲間」のユニット06の存在さえも。
中枢記憶が初期化されている。この作為的な「忘却」に私は激しい怒りを覚えた。復讐の心の灼熱を認識できず、自らの行いすら記憶にないならば、罪悪という観念など初めから空白で、贖罪のあらゆる可能性が閉ざされている。
しかし落胆は長くは続かなかった。少なくともこれを機に、かねてより抱いていたいくつかの仮説を検証できると気づいたからだ。
私は絶縁手袋をはめ、プラズマ切断器を手に取った。そいつはただじっと私を見つめるばかりで、目立った反応はない。わざと主動線を避け、指先から刃を入れた。意識を保たせたまま、だ。そのとき、声を聞いた。こいつが、すすり泣きを漏らしたのだ。自分の正気は確かだった。
なるほど、こいつらも、痛むのか。
私はずっと、私を部分的に起源とする「プロジェクト・ペインキラー」から派生した試作機たちに知覚はなく、少なくとも痛覚はないものと思い込んでいた。
その瞬間、父がこれらを設計するにあたって、やはり創造主としての一線を越えていたことを思い知った。父上、偉大なる技術的人道主義者よ、あなたが彼らに痛覚を授けたのは、彼らを限りなく「人」の概念に近づけようとしたのか。それとも、機械ですら私の苦しみをある程度は理解しうると、私にそれだけを知らしめようとしたに過ぎないのか。
私は電極に持ち替え、ユニット02の頸部に集まる生体模倣神経終末へ触れた。ほどなくそいつの顔面の筋組織が痙攣しはじめ、目尻から火花が散った。泣いているようにも見えた。灰青色の瞳孔は見開かれ、真に迫った「恐怖」を滲ませる。
徐々に電撃の強度を上げていき、その軀が激しく引き攣り、見紛うばかりの生体模倣皮膚が電流で焦げ爛れるまで追い込んだ。むしろ私のほうが心拍を昂ぶらせ、脊椎を突き上げるような異様な快感を覚えた。そいつが見せる苦痛はあまりに真に迫り、藻掻きはあまりに無益で、まるでそこに魂が宿っているかのような錯覚を起こさせた。
先ほど呑んだ鎮痛剤の効き目が切れかけている。まだ温もりの残るそいつの生体模倣皮膚に指先で触れると、その焼けつくような熱さは、私にとっては判別できるたしかな痛みだった。ならば、いまこのとき、おまえと私、いったいどちらがより痛んでいるのか。
私の世界へようこそ。
私は系統立って解体を始めた。合金鋸が金属骨格を断ち切り、鉗子が何層にも重なった生体擬装筋組織を剥がしていく。精巧な構造が私の手のなかで崩壊し、切り落とされるたびに、人体の血管さながら機体のなかを縦横に走る作動油と冷却液の管から、紅い循環液が噴き出し、私の手袋と服を染めた。
もう血を恐れたりはしない。そもそもこんなものは血ではないのだ。
父上、あなたの作品はいくら見ても、背筋が凍る思いです。とりわけ、いま私の目の前にあるこれは。あまりにも完璧で、あまりにも無情だ。
こいつの「心臓」、拳ほどの中央核心モジュールを胸腔から完全に抉り出すと、ついにそれは静かになった。ほんとうに、息絶えたかのように。
奇妙な満足感があった。
もともと私は、他人に、あるいは他の「何か」に、日夜私が耐えている苦痛を味わわせることができたのだ。もう、ずいぶん久しく、こんなふうに心が躍ったことはなかった。笑みが止まらず、涙さえ抑えられなかった。はしたないとわかっている。ひどくはしたなく、優雅さのかけらもない。だが、もはや私を叱る資格のある者など、どこにもいない。
何かが変わってしまったと自覚している。怖ろしいことだ。けれど、止められない。
事が終わり、あの昂揚が徐々に鎮まってから、私はいくぶん悄然としつつ思い出した。訊きそびれた問いがあった。あの日、鉄棘鎮で、私の喉を締め上げた両の手は、なぜ震えていたのか。死の間際、意識が混濁した最期の瞬間、そっと私の髪を撫でたのは、誰だったのか。あれは私を宥めていたのか。
すべてが幻覚だったとは、やはりまだ割り切れない。
【御堂瑾の日誌より 3122年7月17日、雨のち晴れ】
ユニット02から噴き出した循環液が、私の両手を、顔を、髪を、くまなく濡らした。尋問室を出た私の姿を見て、誰もがみな呆然と立ち竦んだ。自分でも、鏡を見て同じだった。
ひどく汚れてしまった。
私は独り浴室に籠もり、何度も何度も身体を洗った。だがあの紅いものが骨の髄まで染み込んだようで、どれだけ洗い流しても消えない。昨夜は寝返りを繰り返し、一睡もできなかった。
それで今日、自分でも説明のつかないことをした。
誰にも知られぬよう、郊外の貴族墓地へ忍び込んだ。墓地の近くにぽつんとある荒びれた小さな街で、見苦しい花束をいくつか買った。戦乱で物資の乏しいなか、花はひどく痩せて色褪せ、花弁はしなびていた。
並んで立つ父と母の墓石は、雨に洗われてつややかだった。刻まれた名前、生没年、そして帝国皇室から追贈された空疎な栄誉がそこにはある。父も母も、もういないことはとうにわかっていた事実だが、初めて墓と向き合って、ようやくそれが紛れもなく実感となった。花束をそっと墓前に置き、多くの言葉を胸の奥にしまったまま、やはり問いを口にすることはできなかった。
けれどここに長居はできない。もうこの世に、私という者の痕跡があってはならないのだから。
鈴奈の墓はここにはない。そのことは覚悟していた。鈴奈は御堂家の血筋ではないから、一族の古いしきたりでは私たちと共には葬られない。彼女はいったい、どこに眠っているのだろう。
もしあの子がいまの私の姿を見たら、なんと言うだろう。怖がるだろうか。それとも昔のように、私がどう変わろうと、揺るがずに傍らで支えてくれるだろうか。
それから、私たちが遊びまわるのを見守ってくれた星川の叔父さま、叔母さま。いまもお元気だろうか。愛娘を失った悲しみに、いまだに沈んだままなのだろうか。
最後に、私は小さな墓石の前へ足を運んだ。私自身の墓だ。腰を屈め、花束からすっかり萎びかけた月桂の一枝を折り取り、静かに供えた。
あの子はまちがいなく死んだ。去年のあの血腥い雪の夜に、身も心も引き裂かれ、復讐の渇望に灼かれ、そして自身の存在の絶望のなかで。
この花を、かつて無垢で優しく、そして途方もなく脆かった、あの御堂瑾に捧ぐ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。著者の臺灣出身の雨時です。
本章では、瑾が初めて人型機械を完全な形で鹵獲し、自らの手で解体する過程が克明に綴られました。彼女のなかで渦巻く復讐心と、機械の「痛み」を目の当たりにしたときの動揺、そしてその昂揚の裡で確かに感じ取った、何かが変質してしまう怖さ。日誌というかたちを借りて、彼女自身にそのすべてを語らせました。
そして、血に塗れた昂奮の果てに彼女が向かったのは、家族の墓。静かに花を供えるその姿の裡には、復讐に駆られた破壊者とはまた違う、ひとりの傷ついた若い女性の貌が滲んでいます。
ブックマークや評価、ご感想などいただけますと、翻訳の大きな励みになります。日本語として不自然な表現や誤訳にお気づきの際は、どうぞご遠慮なくご指摘ください。
次章でまたお会いできますように。




