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鎮痛計画 / プロジェクト・ペインキラー  作者: 雨時
第五幕 焙煎記録 / Roasting Logs
24/38

23 焼き入れの痛みと薬

 「痛みだけが、ただひとつ真実の言葉だ」



 【御堂瑾の日誌より 3122年1月2日 雪、降り続く】


 ここの照明は少々眩しすぎる。けれど、血の混じった雪が肌に凍りつくのを、ただ耐えるよりはずっとましだ。


 看護師が鎮痛剤を置いていった。またこの白い錠剤だ。身体は本能的に拒みながら、それがもたらす救済を渇望している。


 こいつらは、私の最も親密な敵だ。


 三年前、すべてを変えたあの事故のあと、私は初めてこの「悪魔の飴玉」に手を出した。薬にまつわる悲劇は嫌というほど聞いてきた。薬に魂を喰われ、抜け殻のように生きる者たちの話を。当時の私は、そんな人間をただ哀れに思っていた。


 医者たちは私を取り囲み、ひどく難しい顔をしていた。父はいつも、あの罪悪感と憐れみの混じった目で私を見つめ、母はしばしば傍らで涙をこぼしていた。あの表情が、少し嫌いだった。


 「瑾、いい子だからね。ほんの少しでいいの、ちゃんと眠れるように」


 もう分別もつく年だったのに、二人はそう言ったのを覚えている。


 最初の数日は、痛みに耐え抜こうと、あの小さな白い錠剤を頑なに拒んだ。しかし私は痛みを甘く見すぎていた。ある夜更け、激痛がついに私の理性を呑み込んだ。堪えきれずに叫び声をあげたのを聞きつけて、父が血相を変えて部屋に飛び込んできた。そして無理やり私の口をこじ開け、薬を水で流し込んだ。父のあんな姿を見たのは、あとにも先にもあれが初めてだった。


 薬はすぐに効き始めた。痛みが遠のき、あとにはふわふわとした痺れだけが残る。鏡に映る虚ろな顔は、まるで私じゃないみたいだった。薬に身を委ねる感覚は恥辱でしかなかったけれど、あの束の間の平穏が、不思議と泣きたくなるほど嬉しかった。


 それ以来、私はこいつらと共存することを強いられた。身体の反応には慣れた。最初は眩暈がして、ついで痛覚が鈍り、薬が切れかけると焦燥感に駆られて刺すような痛みがぶり返す。父のチームは何度も投薬量を調整し、配合を変えてくれた。彼らの鎮痛剤は、いつだって私の苦痛を、耐えうるぎりぎりの線で押しとどめてくれた。


 それは檻のようなものだ。私を縛りつけながら、同時に守ってもいる。


 いま「無歯輪者」から支給されているこの錠剤は、ひどく粗悪だ。飲み込んでも効き目は遅く、実家で処方されていた特製の薬のような速やかさも柔らかさもない。痛みの残滓がまだ体内をうろついている。ただ以前より、その輪郭が掴みにくくなっているだけだ。それでも、ないよりはましだった。ほんの少しのあいだだけでも、背筋を伸ばしていられる。ようやく少しだけ頭が澄んで、これまで見過ごしていた細部をなぞる余裕が生まれる。


 周囲の「無歯輪者」たちは、奇妙な目で私を見る。私が薬を呑み込むたび、彼らは一瞬だけ視線を向け、すぐに逸らす。たぶん心のどこかで、私を恵まれすぎた貴族の令嬢だと思っているのだろう。化学物質の力を借りなければ、立っていることすらままならない、哀れな箱入り娘だと。


 彼らの言うことは正しい。でもそれだけじゃない。私は永遠の責め苦から、つかの間の息継ぎができる唯一の隙間を、必死に探しているだけだ。


 痛みはもう、この生に焼きついて離れない。



 【御堂瑾の日誌より 3122年1月12日、曇り】


 まさか私たちの葬儀が、あれほど厳かに営まれるとは思わなかった。帝国はもっと低く扱うと思っていたのに。誰にとっても、これは少しも名誉なことではないのだから。


 地下室でモニターを盗み見た。宮殿前の広場で執り行われている盛大な儀式が、繰り返し映し出される。家紋は定められたとおり黒い紗で覆われ、白菊と月桂樹が一面に敷き詰められていた。カメラが御堂悠也おじさまを映す。その顔は幼い頃から好きにはなれなかったけれど、完全に嫌うこともできなかった。彼は軍の正装に身を包み、壇上に立つその表情は異様なほど沈んでいた。


 あの変事からまる一か月が経ち、悠也おじさまが自ら喪主を務めた。両親の死。そして帝国の公示によれば「私」の死もまた、弔意の対象だった。でも星川鈴奈の写真も、その柩も、あの盛大な弔いからは欠けていた。いちばんの親友で、同じ災厄に斃れたのに、血の繋がりがないというだけで、命の果てにたどり着くのは結局他人のままだった。


 彼女はいつだって、私の暗闇に光を差し込んでくれた。それなのに私は、彼女に同じことをしてやれない。


 渡鴉のそばにいた「無歯輪者」の数人が、これ見よがしに鼻で笑った。あの仰々しい演出を嘲る者もいれば、帝国の欺瞞を罵る者もいて、おじさまの弔辞に込められた裏の意味を読み解こうとする者もいた。彼らに言わせれば、こんなものは権力者の偽善で、裏での操りを覆い隠すための、帝国貴族の常套句に過ぎない。おじさまこそが元凶で、兄を殺して権力を奪い、反乱軍と手を組み、帝国を思うままに弄ぶ張本人だとまで言い放った者もいた。


 私は、ただ黙っていた。


 彼らの言葉が、部分的には真実を突いているのかもしれない。でも、あのときのおじさまの悲しみだけは、演技だけでは絶対に作れないものだと、私だけが知っている。


 幼い頃、おじさまはいつも厳しかった。父は研究に没頭して権力争いなど語りたがらず、弱々しいほどに穏やかな人だったけれど、おじさまは同じ科学者でありながら、その鋭さを隠そうともせず、どこか人を圧迫する空気を纏っていた。


 彼は自ら私に剣術を教えてくれた。一挙手一投足に完璧を求め、帝国貴族の生存法則を叩き込んだ。この密林で生き残れるのは強者だけで、血を分けた肉親に対しても決して油断してはならない、と。優しさや善良さはこの地では贅沢だ、誰よりも強くあれ、と彼は何度も言い聞かせた。当時の私にはよくわからなかった。その言葉はひどく冷たく響いた。父はそんなことは決して言わなかった。父は私に星と海の神秘を語り、電磁場や素粒子の不思議な作用を描き、科学は人間の輝きのためにこそ尽くされるべきで、支配の道具になってはならないと固く信じていた。いま思えば、二人はそれぞれ別のかたちで、私の未来を用意してくれていたのだろう。


 私はそんなおじさまの厳しさを、一方的に疎ましく思っていた。人情味がなく、母の優しさや父の寛容さには遠く及ばないと感じていた。でも、父が当主として一族と事業に追われるなか、私の傍らにいて成長を見守り、多大な心血を注いでくれたのもまた、おじさまだ。私はいまでも、稽古のときに握った剣の柄から伝わる、彼の掌の温度を覚えている。


 悠也おじさまの妻、つまり私の叔母は、従弟を産んだ際に難産で亡くなった。そのときもおじさまの厳めしい面差しの下に、今日と同じような表情が垣間見えたが、彼は涙ひとつ流さなかった。葬儀で見た叔母はとても安らかで、まるで眠っているだけのようだった。


 「この瞬間を覚えておけ、瑾。命がいかに脆いか。だからこそ、おまえは強くあれ」


 おじさまはそう言った。


 おそらく、あの時からなのだ。彼が「肉体の脆さ」や「感情の絆」に対して、偏執的な考えを抱くようになったのは。苦痛と人間性は、彼の目には何よりも早急に取り除くべき害毒と映ったのか。私への厳しさも、歪んだ愛情だったのかもしれない。彼自身の経験からくる、一種の防衛だったのだ。最愛の人を失う苦しみを、私に繰り返させまいと、壊れない剣に鍛え上げようとした。でもあの頃の私には、息が詰まるような抑圧と期待だけしか感じられなかった。


 あの車での事故があって、私は彼の目に、厳しさとは違う色が浮かぶのを初めて見た。終わりのない痛みに苛まれ、病床で人形のように痩せ細っていく私を、彼は特別病棟のガラスの外から長いこと、ただじっと見つめていた。その表情を見たとき、これまでのすべてを許してしまいそうになった。


 そういえば、彼も父の「あの計画」に関わっていたのだろうか。おそらく、そうに違いない。二人がひそひそと交わす話は、いつも私が近づくとぴたりと止んだ。


 いま、ニュース映像のなかで壇上に立つあの男を見ていると、抑えつけられた感情がまた見える気がした。彼は本当に、あの血の夜に起きたことのすべてを嘆き、兄夫婦の無惨な死を悼んでいるのだろうか。私も同じく「死んだ」と公表したのは、私を守るためだったのか、それとも何かを隠さねばならないからなのか。


 「すべての真相が明らかになるまで、あの機械どもが、とりわけユニット06が、その罪に報いる日が来るまで、私はこの身を隠さねばならない。御堂家の誰とも、このどうにも理解しがたいおじさまとも、もはや交わってはならない。


 たとえ私の心の奥底が、いま彼が見せる悲しみに、正直に共鳴してしまっているとしても。


 備考:おじさまが家紋を身につけることは、決してなかった。あれは父の習慣だ。今日、彼はそれを着けていた。本当に、尋常じゃない。



 【御堂瑾の日誌より 3122年1月17日、みぞれ】


 侵入してきた偵察機械が、一匹の忌々しい蠅のように、通風パイプのあたりを彷徨っていた。あの赤い光点が目に入り、私はとっさに卓上の、食べ残しのついたままのナイフを、そいつの「目」に突き立てた。機械はもがくように数度明滅し、それきり光を失った。


 物音を聞きつけた渡鴉が駆けつけ、私の様子を見て少し驚いた顔をした。


 いい機会だから、彼女に本音をぶちまけた。もうこれ以上、隠れていたくはない。制御を失った機械どもが、帝国中の至るところで破壊を撒き散らしているというのに、私はこんな息苦しい地下に押し込められている。武器が必要だ。そして、もっと多くの鎮痛剤も。


 御堂家の剣術は、長い歴史を持つ。遠い昔、代々の者が帝国皇室衛兵を統べ、あるいは皇室の剣術指南役を務めた。一族の富と権勢はそこから始まったのだ。時代とともに国制が変わり、家業の重心も武から軍事産業へと移り、いまや御堂は最先端技術を牛耳る一大財閥となった。


 剣は私の家にとって、単なる技芸を超えた、誇りと血脈の象徴なのだ。父が自ら手ほどきをする時間はめったになかったが、彼の期待が薄れたことは一度もなかった。ただあまりに不在がちだったために、教えの大部分はおじさまが引き受けることになっただけだ。


 だがあの突然の事故が、私の剣の道も断ち切った。痛覚の狂いが、かつて骨の髄まで染み込んでいた太刀筋を、はるか手の届かないものに変えた。その後の私は、剣の柄を握りしめることさえ困難だった。


 私の要求に代償がないわけがなかった。組織はすぐに私を「試練」にかけた。前線で鹵獲された機械歩哨と一緒に、閉鎖された訓練場へ放り込まれたのだ。そいつの片腕はすでに捻じ曲がっていたが、もう一方の爪はいまも危険な輝きを放っていた。私は鍛冶師から、間に合わせに研ぎ出したばかりの短い刺突剣(レイピア)を借り受けた。刀身は粗く、手には重すぎて、久しく忘れていた違和感があった。


 「気をつけな、お嬢ちゃん」鍛冶師が言った。「そいつは、あんたんちの綺麗な玩具とはわけが違う」


 御堂家の剣は玩具じゃない。そんなことは、わざわざ言ってやる価値もない。


 損傷した歩哨機の動きは鈍重だったが、その中核プログラムは変わらず殺戮命令を実行しようと駆り立てていた。私は痛み止めを噛み砕いて飲み込んだ。腕前はずいぶん錆びついていたが、身体が覚えていることは、何よりも信頼できる。


 かつて私が剣術を学んだのは、陰謀と裏切りに満ちた貴族社会で身を守る術のためだった。だが、この武器が機械じかけの造物を相手にするのにもこれ以上なく適していることも、認めざるをえない。どれほど硬い外殻に覆われていても、構造上の弱点は必ず存在する。


 私は急いで急所を突こうとはしなかった。その代わり、そいつの油圧関節を、データケーブルを、そしてセンサーを狙って、一撃ずつ切り刻んだ。動きは次第に鈍り、無駄な「あがき」のなかで最後の力を消耗していく。外殻が刀身に易々と裂かれ、機械油が穢れた血のように滲み出し、破孔から蒸気が嘶くように吹き出すのを、私はただ眺めていた。


 最後の一撃がコアを貫くと、鉄屑の山が轟音を立てて崩れ落ちた。私は歓喜と呼んでもいいほどの心地よさを感じた。狂っているのだろうか。


 御堂家剣術の真髄は、優雅に、正確に、そして相手に死の訪れを克明に味わわせること。そのすべてを、まだ私は鮮明に覚えている。


 悠也おじさま。もしかしたら私も、あなたが望んだ通りの姿に、なるべきだったのかもしれない。



 【御堂瑾の日誌より 3122年2月9日、霧】


 また昨夜も、あの血塗られた夜の夢を見た。毎回同じ光景、同じ悲鳴、そして同じ無力感。目が覚めると枕はぐっしょり濡れていて、それが汗なのか涙なのか、自分でも判らなかった。


 今日、初めて渡鴉の小隊に随行して、掃討任務に出た。


 外の夜風は、基地のなかの澱んだ空気よりもずっと、頭を冷やしてくれる。廃工場地区で待ち伏せて、反乱軍勢力の掃討機械の小隊を狙った。出発前、私は規定の倍量の鎮痛剤を飲み込んだ。渡鴉はそれを見ていたが、何も言わなかった。もう私にとってこれが必需品だと、理解してくれたのかもしれない。


 機械どもは素早く、火力も手強かったが、結局は人間の機転にも狡さにも欠けていた。任務は滞りなく進み、鎮痛剤がまだ効いているおかげで身体も大人しく、刺突剣も思ったより早くこの戦いに馴染んだ。


 最後の一機が電光を散らし、がらくたの山と崩れ落ちたとき、私の心には一片の快感も湧かなかった。滅びる瞬間、こいつらは一体、何を感じていたのだろう。


 一体、私は何を考えているんだ。ただの機械だ。感覚も、苦痛も、恐怖も持たない。金属構造が機能を停止し、データの奔流が断ち切られ、すべてのプログラムが強制終了されただけのことだ。ただ音もなく倒れる。そもそも知覚も感情も機能として備わっていない。私が秒ごとに背負っているこの苦しみに比べれば、奴らの被る「苦痛」など、問題にもならない。そのことが無性に苛立たしかった。私が奴らに与える破壊は、幼子が玩具を分解する遊びと、少しも変わらない。


 私のほうは、一振りごとに、一防ぎごとに、必ず痛みに耐えねばならない。薬がどうにかその大半を押さえ込んでいるだけだ。こんなのは不公平だ。これじゃあまりにも足りない。


 いまこの瞬間、痛みに苛まれているのは、ただ私ひとりだけだ。



 【御堂瑾の日誌より 3122年2月26日、曇り】


 家に戻った。


 正確には、帝国から正式に封鎖された御堂家の屋敷に近接する庭園の、翼のひとつへと忍び込んだのだ。


 警備は想像以上に厳重で、新しい感知器と巡回の衛兵があちこちに配備されていた。悠也おじさまか、あるいは他の親族勢力が、すでにこの場所を完全に掌握している証拠だった。かつて遊びまわった庭園の小道を、泥棒のように忍ばねばならない。


 夜陰に隠れ、建物の構造の記憶と、この数ヶ月で覚えた潜入技術だけを頼りに、渡鴉からの遠隔支援もあって、どうにか大部分の監視と赤外線走査を掻い潜ることができた。


 目指すは父の書斎だ。パスコードはあの頃と変わっていない。私の誕生日に、母お気に入りのクラシックの作品番号を組み合わせたもの。父はいつもこういうやり方で、大事なものを「守」ってきた。


 かつては父だけの世界だった。奇抜な着想と最先端の科学技術に満ち溢れ、世間を驚かせる奇跡が、この場所で次々と生まれた。なのに、いまの書斎は酷い有様だった。書類は床に散乱し、本棚は荒らされており、何者かが慌しく探りを入れた痕跡があった。父がびっしりと書き込みをしたあの『意識転送技術と倫理』が、一冊だけ机の上に無残に開きっぱなしになっている。


 その「倫理的限界」と題された章の余白に、父の走り書きを見つけた。「瑾のためなら、どんな一線も越えてみせる」


 感傷に浸っている時間はなかった。


 この命がけの帰宅で、私は十四歳の誕生日に父が贈ってくれた刺突剣を見つけ出した。それは仕立ての良い小箱に大切に収められていた。鞘は淡い青、柄には小さな宝石が散りばめられ、刀身は特殊な合金で鍛えられていて、軽く、そして信じられないほど強靭だ。ゆっくりと鞘を払えば、一筋の冷たい光が暗い部屋を走り、刃はいまも変わらぬ輝きを放っている。それを握る。慣れ親しんだ重みと完璧な均衡が、久しく忘れていた確かな安堵を呼び覚ました。


 おぼろげに思い出す。昔の私はこの大人びすぎた贈り物を、あまり好きになれなかった。山積みの仕事を全部放り出して、まる一日でいいから、私のそばにいてくれたほうがどれほどよかったか。でもいまは、これが唯一、心から信頼できる武器だ。父の傍にいることのほうが、武器より大切だなんて、よくもそんな暢気なことを考えていたものだ。そのときの私は、この世界がどれほど残酷か、まだ知らなかった。


 作りつけの書棚の裏にある隠し金庫から、何枚かの暗号化されたデータカードも見つけた。中には「あの計画」に関する断片だけが残っていた。


 ああ、そうか。父が後に「プロジェクト・ペインキラー」と名づけたあの計画は、私の想像を遥かに超えて、もっとずっと複雑な代物だった。事故をきっかけに慌てて始めたわけじゃない。私が生まれるよりずっと前から、その雛形は存在していた。当時のコードネームは「キマイラ」。人格のデジタル化と意識転送、そして高度に擬人化された人工知能実体の構築を目的として、前後あわせて六段階の試作機、ユニット01からユニット06までが計画されていた。


 私の理解では、最初の四体は主に自己進化と学習アルゴリズムの反復に使われ、ユニット05で人格デジタル化と意識アップロードの初期試験が試みられたものの、倫理的な問題で中断された。


 私が十五で、あの自動車事故に遭うまでは。


 だから父が、日夜私を苛む肉体の責め苦から解放するために、ありとあらゆる犠牲を払って禁忌の研究を再開し、そこに「プロジェクト・ペインキラー」の名を与えた。そしてユニット06は、私と全く同じ姿かたちをしたあの造物こそが、計画の最終試作機だ。十八歳までの私の生理データと、浅い部分記憶のスキャンをもとに構築され、ある種の「私」をその身に宿している。


 思い出した。これが私の「鎮痛剤」だ。一度として知らされず、一度として同意した覚えもない救済。父よ、あなたは怪物を創り出し、それを贈り物と呼んだのだ。


 そうだ、壁のなかの隠し金庫では、もうひとつ思わぬものを見つけた。成人前に両親が保管していた私の印章と、それに対応する銀行の秘密鍵だ。これを使えば、私の名義で開設されている秘密口座にアクセスできる。そこにある額は、私が帝国のどんな場所であれ、以前と変わらぬ生活を続けるのに十分だ。


 もちろん、この金には血が滲んでいる。だが、いまの私には、「無歯輪者」という玉石混交の場所で、より大きな発言権と実質的な影響力を手にするための、重要な資本でもあった。


 それもいいだろう。この金があれば、少なくともこれよりは綺麗な部屋に住めるし、もっと質の良い鎮痛剤も手に入る。私の「お嬢様」という肩書きに不満を持つ連中も、黙らせられる。「無歯輪者」の活動は明らかにより多くの資金を必要としている。そして私は彼らが握る戦力と情報網を、何よりも必要としていた。


 これは、そう、ひとつの等価交換だ。


 去り際、埃の積もった回廊を歩いていると、かすかな月桂の花の香りがした気がした。あまり自信はない。月桂は、母が常用していた香水の基調であり、私の幼年時代にずっと寄り添ってくれた香りだった。痛みが嗅覚を狂わせ、どんな匂いも私には度合いの違う灼熱にしか感じられない。それでも私は、ほんの少しの違いも見極めたくて、現実の刺激と記憶のなかの香りを、ひとつひとつ照合している。


 甘やかな灼熱。それがきっと、月桂の香りだと私に信じさせた。母のものであり、あのかつての我が家のものでもある、あの匂いだと。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。著者の臺灣出身の雨時です。


本章では、瑾の日誌を通して、彼女の内面により深く分け入りました。彼女を苛む痛みの実像と、それに抗う手段としての「薬」への複雑な感情。


ところで、文中に登場する「刺突剣レイピア」について少しだけ補足を。御堂家の剣術は、この物語の世界における西洋剣術に近い流派を想定しています。日本刀ではなく、軽量の刃による突きと払いを主とした、貴族的で優雅な戦い方をイメージしていただければと思います。


ブックマークや評価、ご感想などいただけますと、翻訳の大きな励みになります。日本語として不自然な表現や誤訳にお気づきの際は、どうぞご遠慮なくご指摘ください。


次章でまたお会いできますように。


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