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鎮痛計画 / プロジェクト・ペインキラー  作者: 雨時
第二幕 リストレット / Ristretto
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10 安定した連星系

 一ヶ月も経てば、さすがにこの地下拠点での生活にも、ぎこちなくではあるが、自分の歩調というものを見つけるものだ。まるで新品の歯車が、最初の軋みを経て、ようやく噛み合う場所を見つけるように。


 日々の大半は、あの贅沢すぎる実験室にこもりきりだった。寝食を忘れて没頭した。戦場から回収された機械の残骸、傍受したデータストリーム。それらの解析に、明け暮れる日々である。


 無機質な金属片、焼け焦げた回路基板、そしてスクロールするコードの群れ、それがいまの彼の世界だった。高度に進化した人工知能が、その基底論理において共有するパターンを見つけ出すこと。そして、もうひとつ。琪の、あの「異常」な行動パターンに繋がる手がかりを、この膨大なデータの海から、たとえ一片でも、亮はそう固執していた。


 もっとも、どれほど集中しようとしても、思考は決まってあの瑾という少女のほうへと流されていく。そのたびに、亮は自分に腹が立った。


 瑾との直接的な接点は、数えるほどしかない。彼女もまた永遠に忙しいらしく、その所在はつねに不定だった。


 明け方、徹夜でふらふらになった頭を抱え、実験室から自室へ戻る道すがら、訓練場から上がったばかりの瑾の姿を、廊下の端にちらりと認めることがあった。濡れた銀鼠の髪からは汗が滴り、その顔にはいつもの、無愛想なまでの冷たさが張りついていて、おいそれと近づける気配ではなかった。かと思えば、何日もまとめて姿を消すこともあった、偵察か、あるいは掃討任務だという。そして拠点に戻ってくるたび、彼女の纏う寒気はいっそう手触りのあるものへと変わり、皆、彼女を避けて通るようになった。


 亮は何度か、琪のことについて、あるいはせめて、なぜ二人が外見だけは寸分違わぬほど似ているのか、その理由を探り入れようとした。だだが瑾はいつも、こちらの意図を本能的に見抜き、巧みにかわすか、さもなくば頑なに黙り込んで、こちらの言葉そのものを拒絶した。


 容貌の相似を、彼女は一度として否定しなかった。だが、説明したことも一度としてなかった。亮がしびれを切らし、問い詰めるように迫った、そんなときだった。瑾はただ、その底知れぬ琥珀の瞳でじっと彼を見つめ返す。その眼差しの前では、あらゆる言葉が無力に化した、亮はいつも、この無音の対峙に耐えかね、先に視線を逸らすほかなかった。



 「星野さん」


 また「琪」の名を出した亮を、瑾が遮った。


 「私の容貌にせよ、私という存在そのものにせよ、何かご不満がおありなら、はっきりおっしゃってください。ですが、単に私個人の情報をさぐるおつもりなら、おやめになるようお勧めします。そんなことは重要ではありませんし、あなたには関係のないことです。どうか、ご自身の研究に専念なさってください。そのほうが、お互いのためです」


 そう言いながら、瑾が無意識にこめかみを強く押さえているのを、亮は見逃さなかった。頭痛か。薬は必要か、そう訊こうとして、言葉を呑み込んだ。


 とはいえ、自身の出自や、琪に関わることを頑なに口にしない点を除けば、瑾が亮に対して悪意を抱いていないことは感じ取れた。むしろ、並外れた便宜をはかってくれている。この最高クラスの設備を備えた実験室、次々と優先的に運びこまれる「新秩序」の標本、組織全体から見ても貴重なリソースを、惜しげもなく亮に注ぎこんでいるのは、まぎれもなく彼女の意向だった。


 ごくまれに、深夜、実験室に機器の駆動音だけが響く刻限があった。そんな刻限に、瑾は幽霊のように、入り口に立っていた。室内へは入らず、金属製のドア枠に背を凭れさせ、黙って亮のデータ分析やモデル構築を見つめている。三十分ほど立ち尽くすこともあれば、ほんの数分で姿を消すこともある。ときに——行き詰まっているらしい箇所について、何気ない口調で核心を突く質問を投げかけてくることもあった。その数理と論理の冴えには、亮も内心、舌を巻くほかなかった。


 「御堂さん、あなたは時折、僕よりもずっと、これらのことを理解しているように見えるんですけどね」かつて亮は半ば冗談めかして、この張りつめた空気をどうにかしたくて、そう言ったことがある。「いっしょに、研究に参加してみませんか」


 彼女はただ、首を振り、背を向けて立ち去った。あとには亮だけが取り残され、虚空に向かって、ぼんやりと佇んでいた。


 亮には、瑾という人間が、ますますわからなくなっていく。彼女の態度は、瑾という存在そのものとそっくりに、引き裂かれたままだった。感情の交流は暴力的なまでに拒むくせに、研究の支援が必要となれば、ためらいひとつ見せず、惜しみなく資源と特権を差し出すのだった。


 幾重もの氷に、封印された謎。危険で、人を寄せつけぬ存在だった。



 渡鴉や、比較的、口が軽い「無歯輪者」の構成員たちから、断片的に聞き集めた話によれば、亮は瑾についてのぼんやりとした印象を少しずつ得ていた。彼女はまさしく、白石教授が口にした通りの、御堂財閥先代当主のただ一人の娘だった。あの惨絶たる「事故」のなかで、どういうわけか生きのびたらしい。


 いまの彼女は、組織のなかで最も鋭い刃へと変貌を遂げ、同時にもっとも重要な資金提供者でもある。組織内でただひとり、既存の権威にたえず挑みつづける存在であり、その影響力は、さまざまな面で従来の権力構造を凌駕しはじめているとも言われた。だがその一方で、彼女はもっとも孤高で、もっとも融通のきかない異端者でもあった。任務以外のことで他者と言葉を交わすことはほとんどなく、ほとんどの時間を、ひとりで行動している。


 冷酷非情、機械に対しても人に対しても容赦がないと、陰で囁く者もいれば、それは生来の気性ではなく、ただ巨大な傷をどうにか抑え込むために、すべての感情を厚い氷の下に封じ込めているのだ、と密かに噂する者もいた。何人もが、深夜の訓練場から、刃が空気を裂く鋭い悲鳴と、そのあとに的機が粉砕される鈍い音を聞いたと言う。


 長年にわたって、稀有な慢性疾患か、さもなければ根治不能の古傷に苛まれ、常人の用量を遥かに超える強力な鎮痛薬に頼らねば、日常生活すらままならない、そんな話が、組織のなかで広く囁かれていた。その点については、亮もすでに、彼女がときおり見せる蒼白な臉色や、眉間に一瞬よぎる苦悶の表情から薄々察していたし、医療所の顔なじみの看護師から間接的に裏づけも得ていた。



 「あの子を初めてここへ連れ帰ったときはね、粉々に砕けた鏡みたいだったよ」


 希な、まとまった休息の合間、亮は渡鴉とともに、拠点の外れで焚き火を囲んでいた。彼女は、手を真っ黒にしたまま、せっせと銃身を磨いている。かつて瀕死の瑾を屍の山から引きずりだし、いまでは組織全体のなかで、もっとも長く瑾と接し、比較的「理解している」ほうの人間、それが渡鴉だった。理解と呼べるならの話だが。


 「あの子が笑ったのは、たった一度きりだ」と彼女は火を見つめて回想した。「初めての任務で結構な重傷を負ってね。応急処置のあいだ、ずっと天井を見て笑ってた。一生忘れないよ。『これで痛みに、ちゃんと説明できるかたちができた』ってね……」


 渡鴉は深くため息をつき、磨きあげた銃を組みなおした。亮は、彼女の目にめずらしく憂慮の色が浮かぶのを見た。


 「星野、あんたがあいつに興味を持ってるのはわかってる。だが忠告だ、仕事以外ではなるべく距離をおけ。あいつは近づくものをみんな焼き尽くすんだ、自分自身もな」


 「でも、誰かが手を差しのべなければ、ずっとこのままなんじゃないですか」亮はためらわず言い返した。


 「誰もやらなかったとでも思ってるのか?」渡鴉は苦笑し、亮の肩をポンと叩いた。「お人好しの科学者さんよ」



 そうして様々な経路から得た断片を繋ぎ合わせても、完全な絵姿はいっこうに見えてこなかった。


 二年前に死んだはずの御堂家の令嬢が、地下組織で逞しく生きのびている。その不自然さに、亮とて気づかぬわけではなかった。だが、渡鴉の話に、改めて背筋が冷たくなる思いだった。懸念はそのとき、頂点に達した。


 懸念はそのとき、頂点に達していた。


 ふと、思い至る。そういえば、この拠点に来てから、亮は「新秩序」の様々な機種の情報に触れてきた。だが、瑾が例の人型機械たちについて語るのを、一度として聞いたことがない。


 琪、鈴、それから鈴が口にした「姉たち」、瑾はいったい彼女たちをどう見ているのか。なぜ彼女は、これほど平静に自分と「協力」していられるのか。もしかすると、自分がかつて琪と接触していた事実そのものが、瑾が彼にたいしてつねに警戒を怠らず、より多くの情報を共有することを拒む、最大の障壁になっているのではないか。


 想像もつかない。


 いや、これ以上、受け身でいるわけにはいかない。亮は思わず机を叩き、書類が数枚、床に滑り落ちた。


 彼は自分に言いきかせた。瑾だけじゃない、この組織の大半の者たちの苦しみは、トラウマか、あるいは不理解からくるものだ。それは、楽天的すぎる理想主義かもしれない。けれど、この地獄のただなかで、彼が縋れる、ただひとつの希望でもあった。


 研究ペースを加速させなければならない。理論がすべてを完璧に説明できるようになったとき、もしかすると、人類の憎悪がもっとも「無垢」なはけ口を見つけるより前に、彼はこの混沌を和解へ、そして最終的には停止へと導く方法を見いだせるかもしれない。


 それはおそらく、やがて訪れる重要な局面で、彼が「新秩序」や「無歯輪者」と渡りあう資格を手にし、琪や、まだ見ぬ「琪たち」を守るための、唯一の機会にもなるだろう。



 音のない対峙は、こうして日々つづいていく。亮と瑾は、同じ軌道をめぐるふたつの星のように、惹きあいながら背を向けあい、すべてを変える契機を待っている。


 そしてもうひとつの孤独な星は、いま戦火と廃墟をくぐりぬけ、一歩ずつ、ふたりの重力の中心へと近づきつつあった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。著者の雨時です。


地下拠点での一か月。亮はついに、その才能を「無歯輪者」のために本格的に使い始めます。しかし、彼の思考を占めるのは、研究以上に、あの琥珀の瞳を持つ冷徹な少女・瑾のことばかり。彼女の過去、彼女の痛み、そして彼女が決して語ろうとしない「真実」とは一体何なのか。


そして物語の最後、もう一つの星、この緊迫した均衡へと向かっていることが示唆されます。再会の時は近いのでしょうか。


次回、舞台は再び動き出します。


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