09 交差する貌
「Day 413、Kの日誌。
廃教会にて、機械どもが祀る神を見つけた。『祭壇』のようだった。
像の眼は歯車に置き換えられていた。砕いた。
備考:『我々も祈る、ただ神は聞こえないだけだ』。最後にそう聞こえた。
馬鹿げている。いったい誰が、こんなことを。」
帝国北境。
古びた教会へ続く道に名はなく、廃鉱の坑道を装って山あいに蛇行している。入り口には錆びたトロッコや枕木が積まれ、すべての余所者を文明の知覚から遮断していた。
「無歯輪者」の接合バーを発ってからというもの、星野亮は窓のない装甲車のなかで幾時間も揺られつづけた。車内には昏い赤灯がともり、向かいに座る数人の影をかろうじて照らしだす。誰も口をきかず、亮に素性を訊く者もいない。咳ばらいがときおり聞こえるほかは、あるのはただ、エンジン音だけだった。
亮は目を閉じ、廃墟と化したカフェのことを、彼女を呑みこんだあの冷たい川のことを、どうにか頭から追いだそうとした。白石教授が別れ際に残した言葉だけを、くりかえし反芻しながら。
「そこには、君の理論を必要とする者たちがいる。……良心も、な」
車両がようやく停まり、重いハッチが油圧の軋みとともに開くと、街中とはまるで違う空気がなだれこんだ。
「星野亮だな」
風のなかに立つ女の声は、亮が思っていたより低かった。
「私は渡鴉 / Raven。降りろ、ぐずぐずするな」
亮が地面に飛び降りて、ようやく自分がどこにいるのかを把握した。古びた教会だった。壁は崩れかかり、彩繪硝子は桟だけを殘して消え、あたりには銃を構えた影がいくつもある。
「白石からファイルは屆いてる」ドーラがこちらを見た。「うちは君の頭脳を必要としている」
亮はこのときはじめて、彼女の顔をじっくり見ることができた。三十代半ばだろうか、眉骨から口元まで斜めに走る古傷があり、右耳にも丸い火傷の痕がある。その傷は、考えないようにしてきたありとあらゆる記憶を無理やり呼び起こした。
ドーラは亮を連れ、身廊を抜け、聖歌隊席から祭壇へと進んだ。彼女が何のためらいもなく祭壇うしろの偽裝壁を押すと、仕掛けが動き、地下へおりる螺旋階段があらわれる。
「見てのとおり、あたしたちは神さまの廃屋を借りてるだけだ」
壁に殘った十字架のあとを指さしながら、彼女は自嘲するように言った。
「齒車がすべてを呑みこんでいるこのご時世だ、神さまもとっくに身を滅ぼしたってわけ」
階段を降りていくにつれ、黴臭さはオイルの微かな匂いに変わっていった。石壁は鉄骨で補強され、もとは棺の納まっていたはずの壁龕が、データ端末や火器ラックに作り替えられている。地下へ潜るほどに近代的な痕跡は濃くなり、壁には真新しい配管やケーブルが走り、ある区画では自然光を模した照明さえともっていた。
驚きが顔に出すぎていたらしい。
「思ったよりマシだって顔だな」ドーラが橫目でうかがう。
「太っ腹な『スポンサー』のおかげさまでね、ここまでマトモになった。この二年,やつはあらゆる資源をかき集めてきた。武器、装備、研究資料、どれもこれも、やつの手配だ」
「やつ?」
「ああ……ちょっと変わった奴でね」
それだけ言って、彼女は歩みを止めなかった。亮にはその口調の含みが讀みとれなかった。
地下據點の規模は、亮の想像をはるかに超えていた。訓練場のとなりに武器庫、醫療所の向かいには情報センターがあり、角を曲がれば工作室まである。そのひとつひとつが、この組織の矛盾をそのまま映していた、古と新、原始と精密、絕望と希望。この場全体が、恐ろしいほど效率的な要塞だった。
「ここだ」
ドーラが足を止めた。目のまえには電子ロックつきの重い合金扉があり、彼女はキーパッドのうえで素早く指を動かす。
「ここがやつがいつも使ってる研究區画だ。やつはあんたの研究を聞きつけて、ここをあんたに使わせてやれってさ。裝備は好きに使え。いまやつは外で任務にあたっていてな、戾ってくれば、話ができるだろう」
扉が音もなく橫に開く。
内側はあかるく、これまでの通路とは段違いに廣かった。均一な照明のもと、ほのかなオゾン臭と、それとはなしに月桂樹の香りが漂っている。壁の本棚にはありとあらゆる言語の學術書や論文がぎっしり詰まり、實驗臺は埃ひとつなく整頓され、精密な器具が整然と並んでいる。帝國科学院ですら使用許可のおりない裝置まであった。
亮はのちに、香りの正體を棚の上段に見つける。月桂樹のエキスをつめた自作の芳香瓶。地下の要塞でこんなささやかな贅沢を守っている者がいる、それだけで、琪を思いだした。彼女もこんな花の香りが好きだった。
「この資源をどうか無駄にしないでくれ、星野」思考をさえぎるように、ドーラが言った。
「敵は日増しに強くなっている。もっと有效な對抗手段がいるんだ。君の研究は、突破口になるかもしれん」
彼女はすぐに語調を變え、據點内の多くは機械暴走の直接の被害者で、こうした話題には敏感だと念を押した。
「口と腹はしっかり引き締めろ。機械の感情だとかいう、そのお上品な学術理論はしまいこんでおけ。無用なトラブルを起こすな」
いいな、とドーラはつけ加えると、亮にふたりの補助員を宛がった、若い男女で
その後の數日、亮はこの地下世界を慎重に歩きまわった。ギアレスが各戰線から回收したニューオーダーの殘骸や、生々しい戰鬪データが續々と届く。死傷者の數や殘酷な戰鬪の詳細は、この世界のもうひとつの側面をいやでも見せつけた。
それでも夜のしじまが訪れるたび、亮は琪のことを考えずにいられなかった。あの灰色の人生に突然闖入してきた「少女」。いま彼女はどこでどうしているのか、無事なのか。忙しさに紛れながらも、內心の焦りは抑えつけるほかなかった。
やがてわかってきたのは、いくつものニューオーダー高階機体の内部構造が、これまでのどんな既知の基準をも超越していることだった。多くの異常な行動パタンは、從來のプログラム論理ではまるで説明がつかず、亮は昂奮すると同時に當惑した。
ある夕暮れのことだった。據點内のスピーカーが突然、短く鳴った。とっさに手が滑り、部品を取り落としそうになる。補助員が言うには、組織内でも高い權限をもつ者が歸還したときにだけ、主システムが自動で發する信號だという。
ドアのところに立つと、ちょうどギアレスの面々がひとりの人影を取り圍んで、早足で歩いてくるのが見えた。その姿が通路の角の明暗をよぎった瞬間、亮の呼吸は止まった。
年のころは、亮よりも少し若いくらいに見える。けれど亮はその髪の色を覚えていた。琪と同じ銀鼠だ。ただ彼女よりは長く、肩甲骨までしなやかに垂れ、まるで上等な絹糸のような直毛だった。
背丈は、亮の記憶にある琪より半インチほど高い。彼女は琪のような少女らしい装いではなく、仕立てのいい濃色の戰鬪服をまとっていた。特殊な生地が光を受け、動きやすさと優雅さを兩立させ、高い襟が首もとを隱し、ウエストには長劍の鐺を吊るした黑革のベルト。ぴったりとしたパンツとブーツが、劍士としての身體の線をくっきりと描きだしている。
その全身のたたずまいは、春の陽光のように明るかった琪とはまるきり逆だった。骨髓からしみ出す孤高の気配と、いまなお捨てきれない貴族の矜持。
なぜ——
彼女が顔をあげ、素顏のほとんどを覆っていた假面をはずしたとき、時が凍りついた。
その顔、琪と寸分たがわぬ顔。
整った輪郭、すっと通った鼻梁、それから癖のようにかたく結ばれた薄いくちびる。ただ、琪の表情をいつも滿たしていたあの、世界への限りない好奇心や、ちりひとつない溫もりや迷いは、その顔のどこにもなかった。
とりわけ、目が。
琪の灰青の瞳は、極地の氷河の奧で眠る、もっとも純粹な氷晶だった。透きとおり、靈妙で。けれどこの娘の目は熟成した琥珀だ、色はあたたかく奧ゆかしく、内に光を秘めながら、底の見えない古井戶のようにすべての光を呑みこむ。その奥にあるものが何ひとつ讀みとれない。執拗なまでに包まれていて、ひとかけらも外へは漏らさないのだ。
ありえない考えが亮の腦裡をよぎる。
いや、そんなはずはない。だが、もし——
「……琪?」
無意識に亮は低く呼んでいた。胸が早鐘を打ち、一步踏みだし、もっと近くで確かめたくなる。幻か、それともまた殘酷な冗談か。補助員がそっと亮の袖を引いたが、彼は氣づかなかった。
彼がおもわず「琪」と呼んだ娘は、ぴたりと立ちどまり、眉をひそめた。
「その方は、人違いをなさってるわ」
やがて彼女は口を開いた。
「私の名は、瑾。御堂瑾」
瑾……御堂瑾、だと。
亮は目を見張った。白石教授のあのときは謎めいて聞こえた言葉が、俄かに恐ろしいつながりをもって蘇る。口を開いて追及しようとした亮を、彼女の眼差しが斷ち切った。警告だった。やめなさい、と言っている。
この娘は俺が琪を知っているのを知っている。俺が何を考えているかも知っている。これは偶然じゃない。
瑾はしばらくじっと亮を見定め、それから微かに息をついた。
「ええ、まだ生きているわ——もし、訊きたいことがそれなら」
言いおえると彼女は視線を外し、そばにいる者たちと短く言葉を交わした。そのまま、振り返りもせず據點の奧へと消えていく。あとには、月桂の淸かな香りだけが殘った。琪のあの、星砂果の甘さの混じった溫もりとは違う、けれどどこかでかすかに重なる、冷ややかな香り。
彼女だ。そして、彼女じゃない。
これほど見覺えのある貌が、まったく見知らぬ魂を宿してい。
亮はこめかみをぐっと押さえた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。著者の雨時です。
ついに登場した、もうひとりの「御堂」、瑾。琪と同じ顔、同じ銀灰の髪、なのにまるで別人のように冷たく、深い琥珀の瞳を持つ彼女は、いったい何者なのか。亮の腦裡に、白石教授が口にした「御堂家の事故」の記憶がよぎります。
次回、亮はついに瑾と直接言葉を交わします。實驗室に立つ彼女は、何を知り、何を求めているのか。どうぞお樂しみに。
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