Part.4
交番の前で、二人は立ち止まったまま、しばらく動けなかった。
ドアの向こうに入るだけのことなのに、その一歩が重い。
葵がそっと綾の手を握る。
その温もりに背中を押されるようにして、綾はようやく扉に手をかけた。
中にいたのは、優しげな笑みを浮かべた女性警察官だった。
それだけで、綾の表情が少しだけ和らいだ。
「はい、どうしましたか?」
警察官の声に口を開くも、喉の奥がきゅっと詰まる。
綾はそのまま黙り込んでしまった。
「……何かありましたか?」
警察官の表情が変わり、にわかに緊張が走る。
声にならない沈黙を、葵がさりげなくフォローする。
「友達が……スカートの中を盗撮されかけたんです」
警察官の表情が引き締まる。
綾は息を吸い直して、震える声で少しずつ話し始めた。
「最初は、後ろからスマホを向けられてるような気がして……」
「それで、その人がついてきてる気配がして……葵を守らなきゃって……」
「でも……」
そこから先が、喉につかえた。
「こちらにどうぞ。おかけください」
女性警察官に促され、2人は椅子に座った。
「それで、続きを聞かせてください。ゆっくりでいいですからね?」
綾はぽつりぽつりと話す。
冷静に話しているように見えるが、言葉がまるでまとまっていない。
「ずっとついてきてたんです……お店の中にも……」
「葵を守らなきゃって……ガードして……そうしたら……今度は……」
綾はまた言葉に詰まる。
葵が再びフォローする。
「狙いをこの子に変えてきたんです」
「スマホをスカートの下に……スカートもめくろうとしてきたそうなんです」
綾の様子を伺いながら、葵が続ける。
「普通、気づかれたらやめますよね?」
「でもその人は……この子が気づいてるってわかってて、やめなかったんです」
「だから……その……逆恨み……とか……」
表情が険しくなりつつも、警察官はしっかりと目を見て頷きながら、手元のメモに細かく記録していく。
その丁寧な姿勢が、綾の呼吸を少しずつ整えていった。
「顔を撮られていた可能性はありますか?」
その問いに、綾は少し戸惑いながら答える。
「……真正面じゃないと思います。背中側からだったし……」
「でも、顔を映された可能性は……ゼロじゃないかも……」
葵が、隣で硬直したように動きを止める。
「……それって、ネットに上げられたりする可能性もあるってことですか……?」
そう言った葵の声は、わずかに震えていた。
警察官は数秒、沈黙してから静かに口を開いた。
「可能性だけで言えば、ゼロではありません」
「ただ、現時点では映像も証拠もなく、すぐ捜査に動くのは難しいのが現実です」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「でも、今日こうして来てくださったこと自体がとても重要です」
「通報や相談があったという記録があれば、何か起きたとき、すぐ対応できます」
「それに、こちらから地域の巡回も強化できます」
その言葉に、綾はほんの少し、肩の力を抜いた。
「……ありがとうございます」
葵もそっと頷いて、隣で微笑んだ。
交番を出ると、少しだけ陽が傾きかけていた。
柔らかな風が頬を撫でる。
どこか、世界が少し静かになったように感じられた。
二人は並んで歩きながら、黙っていた。
しばらくして、葵がふと、ぽつりと呟く。
「綾…………ごめんなさい」
綾は葵の方を見た。
その顔は、思った以上に沈んでいた。
「……ごめん。ほんとに、ごめんね」
綾は苦しそうにふっと息をついた。
「葵? 次謝ったら本気で怒るからね?」
綾は葵をジト目で見て、ふっと微笑んだ。
その笑顔に、葵は何か言いたそうに綾を見つめる。
「……お願い、綾」
「守ってくれるのは、嬉しい。でも――」
葵の目に、涙が浮かんでいた。
「自分一人の身体じゃないってこと、忘れないで」
綾は、思わず目を伏せ、口を結んだ。
そして、小さく、こくりと頷いた。
「……ありがと。ごめんね、心配かけて」
「これからは、ちゃんと……ちゃんと葵のこと、頼るようにする」
二人は再び、駅へと歩き出した。
(つづく)




