没落の序章
ライムを追放してから、一か月。
S級ダンジョン『厄災の洞穴』では、新たな一年を支える新人達の研修が始まっていた。
「今年は豊作だな!さすがS級ダンジョンだ!」
ルルーガの言葉に人事課の職員達は笑顔を浮かべる。
例年通り、多くの若い魔族が採用され、将来有望な者も少なくない。既に新人達はそれぞれの部署へ配属され、訓練を始めていた。
しかし一か月が過ぎても、誰一人として期待されたほどの成長を見せなかった。
「おかしい……。」
教官の一人が首を傾げる。
「去年の新人なら、もう実戦に出せる頃だぞ。」
「今年の連中は動きが鈍い。」
「体力も続かんな。」
もちろん、成長していないわけではない。
だが明らかに遅いのだ・・・誰もその理由を説明できなかったが。
◇
一方主力部隊でも異変は起きていた。
「隊長!」
「進化予定だった個体が進化しません!」
ミノタウロス隊では慌ただしく報告が飛び交う。
「まだ条件を満たしていないのか?それともまさか訓練をさぼっていたわけではあるまいな?」
「いえ!訓練量も戦果も予定通りです!なのに進化反応がありません!」
同じ頃ゴーレム隊でも同じ報告が上がっていた。
「本来進化予定だったものの進化が止まっています!」
「魔力値は足りているはずですが・・・原因が分かりません!」
隊長達は顔を見合わせた。
こんなことは、今まで一度もなかった。
◇
さらに問題は、それだけではない。
「食費が……。」
会計担当の魔族は青ざめていた。
「また増えている……。」
書類には信じられない数字が並んでいる。
ベルディアから購入した餌。
その購入量は1ヶ月より以前の3倍近く。
それでも魔物達は以前ほど育たない。
「どういうことだ……。」
会計担当は頭を抱えた。これでは収支が合わない。
◇
数日後の幹部会議でルルーガは報告書を机へ叩きつけた。
「説明しろ!」
部屋が静まり返る。
「新人が育たない!主力も進化しない!なのに経費だけが増えている!一体何をしているのだ!」
人事課長が立ち上がる。
「申し訳ありません!ですが採用人数も質も例年通りです!」
「言い訳はいらん!」
ルルーガは一喝した。
「結果を出せ!」
今度は戦闘部隊長が口を開く。
「訓練内容も変更しておりません。魔物達も懸命に鍛えています。」
「なら、なぜ進化しない!?」
「……。」
誰にも理由が分からないのだから答えられない。
営業課長も立ち上がる。
「食費につきましても、ベルディア様から品質の高い餌を仕入れております。販売実績にも問題は――」
「問題だらけではないか!」
ルルーガは机を叩いた。
「全部署、努力不足だ!もっと働け!そして結果を出せ!」
その怒号だけが会議室へ響く。
誰も反論しなかった。
いや・・・できなかった。
部屋には重苦しい空気だけが残っていた。
◇
会議室を出た幹部達は、小さくため息を吐く。
「俺達のせいなのか……?」
「分からない」
「でも、何かがおかしい!」
「こんなダンジョンじゃなかった!」
誰も口にはしなかった。
だが皆の脳裏には、同じ人物の顔が浮かんでいた。
百年以上、このダンジョンを支え続けた一人の魔族。
◇
ベルディア商会の応接室で豪華な椅子へ腰掛けた商人は、売上報告書を眺めながら口元を歪めた。
「ふふっ……」
机には大量の厄災の洞穴との契約書が綺麗にまとめられていた。
部下が尋ねる。
「品質について問い合わせが来ておりますが。」
商人は肩をすくめた。
「『多少ばらつきはありますが、栄養価に問題はありません』と返しておけ。」
「よろしいので?」
「ああ・・・もちろん事実だからな。大事な顧客に嘘をつくわけがなかろう?」
商人は薄く笑う。
「品質に問題はない。ただ……どういう絡繰りかは知らんが以前が異常だっただけだろう。」
ライムという男が育てていたスライムというあれほど質の高い餌を、他の誰にも作ることはできない。
それを知らぬまま追放したのだ。その代償は、これから少しずつ積み重なっていく。
商人はワイングラスを揺らしながら、小さく笑った。
「さあ、どこまで耐えられるかな。人類史上初、S級ダンジョンを討伐するのはこのベルディアじゃ」
厄災の洞穴はまだ気付いていないが静かに、しかし確かに崩壊は、始まっていた。
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