第4話 覚醒プロトコル
シュウウウウウ
肉が焼けるような音が自分から発生している。
「あ、が――、――ッッ!?」
叫ぶことすらできなかった。喉の筋肉が完全に硬着し、肺から空気を絞り出すことすら許されない。
体内の全血管を、暴走した漆黒の魔導薬が逆流している。内側から細胞を一つ残らず焼き潰していく。
床に転がり、のたうち回ることすらできない。全身の硬直が、その場に俺の肉体を縫い付けていた。
視界が血の赤と、ドロリとした魔導薬の黒でぐちゃぐちゃに染まる中、廊下の向こうから大勢の足音が響いた。
「おい、こっちだ! 保管庫の前の防衛壁が起動してる!」
「待て、調剤室の中に誰か倒れてるぞ……。おい、ガキじゃねえか!」
駆けつけてきた数人の警備兵が、白刃を抜いてこちらを囲む。
数は六人。
通路の狭い空間を完全に塞ぐように、等間隔で剣を構えてじりじりと距離を詰めてくる。
その背後から、白いローブを纏った初老の男――この施設の研究員が、血相を変えて飛び出してきた。
研究員は床に転がった、空っぽのアンプル瓶を見た瞬間、顔面を紙のように真っ白に強張らせた。
「ば、バカな……! その瓶が空だと!? おい、それをまさか……飲んだのか!?」
口元から溢れる黒い液体を見て、研究員の悲鳴のような怒号が響く。
「生身の人間が一気飲みしただと!? 巨大転送陣に使う魔導薬を!!…狂っている!おい、お前たち!そいつはすぐに【魔力体】になる!早くやつの肉体を解体しろ!!!」
「総員、スキルを発動せよっ!!」
先頭の警備兵が叫ぶと同時に、彼らの目が、一瞬で『害獣』を殺す冷酷な光に変わった。
前衛の二人が一歩踏み込み、刃にそれぞれ光と炎の魔力を纏わせる。
「【光盾斬】!」
「【火炎斬】!」
複数の戦闘スキルが同時に発動し、殺気と共に容赦のない刃が、俺の首と心臓の二箇所をめがけて一斉に振り下ろされる。
後方に控える研究員もまた、両手を突き出し、手のひらに青い攻撃魔法の陣を展開した。
そこから鋭い魔力の弾丸が三発、俺の眉間を狙って放たれる。
(あ……終わり、か……)
指一本動かせない。
迫り来る刃と魔力弾を、ただ見つめることしかできない。
(クソみたいな人生だっ…た…)
その、刃が俺の皮膚に触れる、まさにコンマ数秒前のことだった。
………カチン……
頭の中で、直接、その音が聞こえた。
突如、激痛が嘘のように遠のく。警備兵たちの叫び声が引き延ばされ、振り下ろされる刃の軌道が、まるで泥の中に沈んだかのように極限まで遅くなる。
…いや。
違う。
止まったのだ。
全てが。
空中を飛ぶ青い魔力弾も、その軌道の途中で完全に静止している。
赤い防衛魔法陣の光も、研究員の魔法の輝きも、あらゆるものが凍りついた空間。
その絶対的な静寂の中に、あの冷徹な機械音が響き渡った。
『――警告』
『該当個体の生命活動の完全停止まで、残り28秒』
『体内より、【因子】の近似物質を検出しました』
*
(なんだ……ここ……?)
気づいたら、何もない真っ白な空間に立っていた。
あまりにも眩しい。
目を閉じても光が脳の奥まで入り込んでくるようで、頭が痛くなる。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ全身が温かく包まれているような安心感すらある。
顔をしかめながら目を開く。
すると、前方に青いなにかが浮かんでいるのが見えた。
だが、それが何なのかはわからない。
光が強すぎて、まともに見ることができなかったからだ。
それでもなぜか、これが俺のスキルと関係しているのだと確信していた。
根拠なんてない。
ただ、そう思った。
そして気づけば、白い空間から調剤室の場面に戻っていた。
機械音が続く。
キィィン
『マスター承認コード:【D_E_M_I_U_R_G_O_S】の共鳴を確認』
『通常肉体による許容量の限界超越を検知。……緊急プロトコルを起動し、エネルギーの強制変換、および全領域の同期を開始します』
ドクン!!! と、世界の裏側で何かが力強く脈打った。
体内で暴れ狂っていた真っ黒なドロドロの液体が、瞬時にレンの肉体に最適化され、細胞の奥深くへと吸い込まれていく。
失われるはずだった生命力が、強引に繋ぎ止められ、書き換えられていく。
『初期同期率:30% ―― 完了』
『初期同期率:60% ―― 完了』
『初期同期率:100% ―― 限界突破』
『――初期同期プロセスの全コンプリートを確認しました』
『これより、長らく凍結されていた個体ステータスの覚醒を実行します』
『他のあらゆるシステムからの下位アクセスを、最上位権限により「完全拒絶」に設定』
『警告。これより、最上位の第2階層プログラムを解禁します』
『システム:【真核】。権限執行プロトコルを起動しました』
『真核権限執行度:0.01%』
パキィィィン!!!
脳内で何かがへし折れる音がした。
半年間、一般人の子供レベルである「5」からピクリとも動かなかったステータスボード。その絶対のルールが今、完全にーー
(ーーぶっ壊れたんだ!!)
次の瞬間、止まっていた時間が猛烈な勢いで動き出す。
「死ねや、化け物がぁぁぁ!!」
警備兵の怒号と共に、複数の刃と魔力弾が同時に肉体へと突き刺さる――はずだった。
キィィィィィィィィンッ!!!!!!
鼓膜を裂くような、凄まじい金属の反発音が炸裂した。
身体に刃が届く直前、空間そのものがバリバリと音を立てて攻撃を反射したのだ。
「なっ、なんだこれ!?」
剣を放った二人の警備兵が、手首を痛めたように後ろへ激しくのけぞる。見えない透明な魔法障壁が、俺の周囲を球体状に包み込んでいた。
警備兵たちの放った全力のスキルも、研究員の放った三発の魔力弾も、その障壁に触れた瞬間、激しい光の火花を散らして完全に弾き返された。
どれだけ体重を乗せて刃を押し込もうとしても、障壁はピクリとも歪まない。
「馬鹿な……! スキルが、一切通用していない!? 防衛結界の術式でもないのに、この強度は何だ!?」
研究員が驚愕に目を見開く。
俺はゆっくりと立ち上がった。
全身の激痛は消え去っている。それどころか、身体の奥底から、かつて体感したことのない底なしの力がフツフツと湧き上がっていた。
「…………」
視界の端で、ひび割れたステータスボードの数字が、信じられない速度で跳ね上がっていくのが見えた。
「化け物め、これならどうだ!!」
「おまえたち、退け!」
研究員が、何重にも重ねられた魔法陣が刻まれた紙を取り出す。
「私がこいつで奴の行動を封じ込める。その間におまえ達は奴を殺せ!」
「パラライズ!!」
バリバリッ!!
とてつもない電流が俺の体に流れてくる。
だが、俺には全く効いてこない。
あいつの魔術は…全て効かない…
「どうだ、これで貴様は動けまい!さあ奴を囲い込め!」
警備兵達が左右の壁を蹴るように向かってくる。
あいつらの顔を見た瞬間、いつかのギルバートの嘲笑がフラッシュバックした。
器が違う、だと? 身の程を知れ、だと?
(――うるせえんだよ、どいつもこいつも)
腹の底から湧き上がる衝動のまま、目の前の連中に向かって右腕を突き出す。
体内の力を一気に解放し、こいつらを跡形もなく吹き飛ばしてやるために。
だが、右腕を伸ばした、まさにその刹那。
全身の毛穴が同時に逆立つような、圧倒的な死の予感が脳髄を突き抜けた。
(ヤバい!!)
本能が、全霊でブレーキをかけた。
俺は咄嗟に手首をひねり、右腕の銃口を、警備兵たちの頭上――誰もいない斜め上の天井へと強引にへし曲げた。
「――がっ」
手のひらから、光が解き放たれる。
「ぐぉぉぉぉッーー!!」
ドゴォォォォォォォォンッッッッ!!!!!!!!
閃光。
視界のすべてが真っ白に埋め尽くされる。
魔法の波動などというものではない。
放たれたのは、圧倒的な魔力の質量を含む巨大光線だ。
爆音が響き渡り、研究員の魔術が一瞬で消滅した。
光線はそのまま隣の部屋を貫通し、薬瓶の棚ごと空間を消し飛ばし、さらに建物の外へ。外壁を突き破った光は、詰所の遥か先にある山林へと到達した。
凄まじい衝撃波が遅れて部屋を襲い、残された壁にバリバリとひび割れを作っていく。
数十本の巨木がまとめてドミノ倒しのように根元から消滅していく光景が、破壊の軌跡として夜の闇に刻まれた。
静寂。
夜の冷たい風が、跡形もなく吹き飛ばされた壁の大穴から、部屋の中へと吹き込んできた。
警備兵も、研究員も、全員が武器を構えた姿勢のまま、完全に石のように硬直していた。
自分たちのわずか数十センチ上のぽっかりと空いたトンネルのような大穴を見つめ、全員がガチガチと歯を鳴らして震えている。
前衛の二人に至っては、恐怖のあまり剣を床に落としたことすら気づいていない。
「あ…あ…ひ、ひぃ…」
研究員が腰を抜かし、床にへたり込んでガタガタと震え出した。
失禁しているのか、ローブの裾が濡れていく。警備兵たちは、もう武器を握る力すら残っていない。
「……ふぅ、危ねえ」
俺は痺れる右腕をさすりながら、床に置いてあった、あの開かずの金属箱が入った麻袋を、一気に肩へと担ぎ上げた。
ステータスの制限が解除されたおかげか、さっきまであれほど重かった箱が、今は羽毛のように軽い。
「じゃあな、お前ら…」
硬直する連中にそう残し、俺は壁に空いた巨大な大穴から、夜の草原へと向かって一気に飛び出した。
驚異的な身体能力の向上を実感しながら、夜の闇の中へと全力で駆け出していく。
今夜は頭がとても冴えている。
(今なら…なんでもできそうだ…)
第4話までお読みいただき、ありがとうございました!
これからはレンの真の冒険が始まります。
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