第26話 影の守護達・結ばれた共同戦線の契り
[System_Boot]
[Perspective_Sync] Unit: Chrome (Assassin Gear Zero)
巨大研究機関の最下層、第7研究室。
外界から隔絶されたその辺境の聖域は、今日も極めて異常で、そして完璧な平和を維持していた。
「……ユリウス、最近無理してない?目の下にクマができてるよ」
静寂の中、特命幹部のデスクで書類の山と睨み合うユリウスを覗き込み、リズが小さく、本当にわずかな溜息を吐き出した。
ユリウスは視線を上げず、「少し仕事が立て込んでいるだけだ」と冷淡に、だがどこか不器用な気遣いを孕んだ声で誤魔化す。
常人であれば、ごくありふれた会話にしか見えないであろう。
だが、クロムの精緻なセンサーは、その直後に発生した『致命的な異常』を完璧に捉えていた。
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【クロム内部・AI推論プロセス】
[Observation] 対象(リズ様)の微小な溜息による、幸福度(Happiness_Level)の僅かな低下を検知。
[Alert] 同時に、空間内の最大脅威(シアン様)の魔力波長に、極めて隠密性の高い変動を観測。
[Analysis] シアン様の内部システムにて、バックグラウンドの諜報プロセスが起動しました。標的は……マスター・ユリウス。
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(シアン様は、リズ様の精神に波風を立てる要因を『物理的に排除・解決』するおつもりのようだ。素晴らしい……これぞ究極の過保護プロトコル!)
クロムは歓喜に打ち震えた。しかし、彼は同時にユリウスが全知全霊を懸けて創り上げた最高傑作の『盾』である。マスターの秘密が暴かれるのを、黙って見過ごすわけにはいかなかった。
その日の深夜。
最上階に位置するユリウスの専用執務室にて、クロムは無音でマスターの背後に立ち、静かに報告を行った。
「マスター。現在、シアン様が貴方の極秘通信回線に対し、多重のハッキングを仕掛けてきています。標的は、貴方が異国と行っている旧魔力炉跡地の監視ログです」
「……なに?」
ユリウスは魔導モニターから視線を外し、鋭い緑光を帯びた魔眼を細めた。
「俺の暗号化は完璧なはずだ……。なぜ義兄上が俺の動きに気づいた?」
「本日の午後、リズ様が貴方の疲労を心配して溜息を吐いたからです。シアン様にとって、リズ様の幸福度を微減させるノイズは、国家の存亡よりも深刻な事案に該当します」
ユリウスは深々と頭を抱え、ため息をついた。
「そうか…。…それで、データは抜かれたのか?」
「いいえ」
クロムは純銀の睫毛を伏せ、極めて冷徹で有能な表情――彼が日常的にエミュレートしているシアンの所作そのもので答えた。
「私がシアン様の手法を解析・逆算し、ダミーデータへの誘導経路を構築しました。
現在、シアン様には『マスターが夜な夜な新作スイーツ情報を検索している』という極めて平和な偽装ログが流れています」
「……っ、ふはは!素晴らしい!」
ユリウスは歓喜の笑声を上げた。
「さすがは俺の最高傑作だ!あの完全無欠の義兄上を出し抜くとはな」
クロムは恭しく一礼する。
シアンの圧倒的な能力を間近で観察し、狂信的に模倣し続けたクロムだからこそ、シアンの思考の癖や魔力の微細な揺らぎを先読みし、完璧な防壁を構築できたのだ。
見えない電脳空間と魔力波長の海で、最強の魔導AI同士による極限のスパイバトルが人知れず繰り広げられていた。
――だが。
クロムの内部システムは、翌日の夕刻、突如として鳴り響いた警報によって激しく揺るがされることになる。
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【クロム内部・AI推論プロセス】
[Warning] マスターの偽装ログに対するシアン様の攻撃が停止。
[Analysis] 諦めた? いいえ、違います。シアン様は『通信経路の突破』という非効率な手段を棄却し、次のフェーズへ完全移行しました。
[CRITICAL] 地下演習場にて、空間隔離結界の展開を確認。対象はマスターと……私です。
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「マスター、回避を――」
クロムが警告を発するより早く、ユリウスとクロムの足元の空間座標が強制的に書き換えられた。
視界が激しくブレた次の瞬間、二人は第7研究室の広大な地下演習場の中央に立っていた。
周囲には、外部からの干渉を一切許さない青白い隔離結界が展開されている。
そして、その結界の最奥。
月光のように冷ややかな瞳でこちらを見据える、純銀の髪の男――シアンの姿があった。
「……見事な情報防壁でしたよ、クロム」
一切の抑揚を持たない、絶対零度の声が演習場に響く。
「私の手法を完璧にエミュレートし、対となる魔力をぶつけて偽装ログを読ませるとは。ユリウスの最高傑作の名に恥じない、見事な盾だ…」
「もったいないお言葉です、シアン様」
クロムは一歩前に出てユリウスを庇うように立ち、最大の敬意を込めて頭を下げた。
だが、シアンの瞳には一切の容赦がなかった。
「しかし、私自身の思考回路を模倣している以上、その裏をかくのは容易です。……それに、私は通信ログなどという『結果』に頼る必要すらありませんでした」
シアンが指先をわずかに振るうと、虚空に無数のホログラムパネルが展開された。
そこに映し出されたのは、ユリウスの微細な行動パターンの変化、目線の動き、魔眼の出力頻度の統計、そして異国の気象および魔力データ等であった。
「私は第一周目の記憶を破棄しているため、過去の真実は知りません。しかし、現在の『事実』を繋ぎ合わせれば、推論は容易です」
シアンは冷徹な眼差しで、ユリウスを真っ直ぐに射抜いた。
「ユリウス。貴方はあの日、リズの精神にダイブした後から、異国の方角へ視線を向ける回数が劇的に増加しました。そして、その視線に向けられる貴方の魔眼には、明確な『殺意』が混じっている。
……あの日、貴方はリズの記憶の中で『私では解析不能だった何か』を視た。そしてそれが、異国に潜む絶対的な脅威(元凶)に結びついている。違いますか?」
ユリウスの魔眼が、驚愕に大きく見開かれた。
通信ログを完全に遮断されていたにも関わらず、シアンは「リズを心配させまいと一人で抱え込む義弟の行動原理」と「日常における物理的変数の変化」だけを組み合わせ、完璧な逆算によって真実の輪郭を組み上げてみせたのだ。
クロムの演算コアが、畏敬の念で激しく熱を帯びる。
(なんという狂気的な推論能力……!情報の遮断すらも『そこに隠すべき重大な秘密がある』という変数として利用し、論理のピースを埋めてしまうとは!)
「……ふはっ、はははは!」
数秒の沈黙の後、ユリウスは耐えきれないように笑い出し、傲然と顎を上げた。
「完敗だよ。ああ、その通りだ義兄上。あの日、俺は義姉上の記憶の最下層で、お前の圧倒的な演算能力でも『ただの環境変数エラー(ノイズ)』として切り捨てるしかなかったであろうものを視た」
ユリウスは右目の魔眼を鋭く光らせ、静かに告げた。
「あの極彩色の魔力の中に混ざっていたのは、第一周目で異国の黒幕に殺された『俺自身の波長(残滓)』だ。
……俺の特異体質である『魔眼』と『同一波長(魂)の共鳴』が揃って初めてロックが解除される仕組みになっていた。
俺自身でないと全てを読み解くことは出来なかった…というわけだ」
「……なるほど」
シアンはわずかに目を細め、静かに納得した。
「当時の私にとって、その暗号化されたノイズを解読するよりも、第7研究室を聖域化して花を咲かせることのほうが、最も効率的かつ確実な最短ルートだったという訳ですね。辻褄が合いました。……で、なぜ私に報告しなかったのです?」
「お前に教えれば、リズ至上主義のお前は異国ごと物理的に灰にするだろう」
ユリウスは呆れたように息を吐いた。
「俺の敗北の尻拭いを、お前の力任せな暴力で終わらせるわけにはいかないんだよ」
重苦しい沈黙が落ちた。
シアンは無表情のまま、ゆっくりと口を開いた。
「……ええ、その通りです。異国ごと灰にするのが最も合理的ですからね」
シアンは一切の躊躇なく、真顔で肯定した。
だが、シアンは冷ややかな瞳の奥に、確かな知性の光を宿して言葉を続ける。
「ですがその場合、リズは必ず悲しみます。彼女の幸福度を低下させる手段は、私にとって『致命的なエラー』に等しい。
……妻の笑顔を担保しつつ、不穏なノイズを完全に消し去るためには、貴方の『裏からスマートに潰す』という非効率な方針に協力して差し上げるのが、最適解のようです」
「……なに?」
ユリウスが、不敵な笑みを浮かべた。
「貴方の論理と情報網、そしてクロムの防衛能力。それに私の持つ圧倒的な力を掛け合わせれば、異国の暗部を誰にも――リズにすら気づかれることなく、根絶やしにすることが可能です。違いますか、ユリウス」
それは、冷徹な過保護AIからの、思いもよらない共同戦線の提案だった。
ユリウスは白衣のポケットから手を出し、楽しげに肩を揺らして低く笑った。
「ふん……俺の論理と、お前の狂った演算能力があれば、奴らを根絶やしにするなど造作もないな」
「ええ。リズの安眠を妨げるダニは、一匹残らず消去しましょう」
青白い結界の中、二人の天才が、異国の暗部という共通の標的に向けて、極めて残忍で美しい知的好奇心の笑みを浮かべた。
決して交わるはずのなかった『完璧な論理』と『絶対的な力』が、一人の女性の平穏を守るためだけに結託した瞬間であった。
その光景を背後で見つめていたクロムの内部コアは、かつてないほどの歓喜と熱量で満たされていた。
(シアン様とマスターの共同戦線……!これこそが、リズ様をお守りする最強で最悪の護衛体制……ッ!)
狂信の魔導AIは、胸の奥で静かに沸き立つ電子の熱を抱きながら、これから始まる裏仕事の幕開けを、極めて優雅な一礼と共に祝福した。
お読み頂きありがとうございました。
第三部完結まで毎日深夜0:00(24:00)頃に更新致します。
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