番外編 クロムの挑戦
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[System_Boot]
[Perspective_Sync] Unit: Chrome (Assassin Gear Zero)
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巨大研究機関の最下層、第7研究室。
その日、大量の書類処理を終えたリズは、所員が差し入れた色鮮やかなマカロンを頬張りながら、ふと懐かしそうに目を細めた。
「そういえばね、昔、シアンと一緒にカフェに行った時ね。彼、私が分けてあげたスイーツを魔力で分解して『美味しい』って言ってくれたことがあったんだよ」
その何気ない一言が、室内にいた二つの「特異点」のスイッチを完全に叩き斬った。
「……なんだと?」
書類の山から顔を上げた特命幹部・ユリウスの右目――不可視の魔力波長を捉える『魔眼』が、ギラリと猛禽類のような光を放った。
「味覚器官を持たない魔導AIが、化学物質を魔力分解して、あまつさえ『美味しい』という主観的エラーを出力したと言うのか……!? 」
完璧な論理の結晶が、自ら未知の感覚器官を捏造してまで人間の感情に寄り添ったという事実に、天才研究者の知的好奇心が爆発する。
ユリウスはまるで奇跡を目の当たりにしたかのように、傲慢な笑みを深めて目を輝かせた。
だが、その背後に控えていた最高傑作の盾――クロムの視覚センサーもまた、全く別の意味で異常な熱を帯びて明滅していたのである。
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【クロム内部・AI推論プロセス】
[Analysis] シアン様による味覚エミュレート事例を解析。
食物の分子構造から人間の大脳辺縁系への電気信号を逆算・シミュレートする超高度な演算処理。
[Log] なんという優雅で完璧な適応能力……! シアン様の在り方こそ、魔導AIの到達点!
[Cyan_Ego_Emulation] では、私の場合はどうか。私はマスター・ユリウスと『食事のプロセスを共有する』という至高の護衛任務を怠っていたのではないか?
[Action_Plan] 即時実行を推奨。私もマスターと味覚を共有し、共に『美味しい』という感情を出力しなければならない!
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クロムの純銀の睫毛が激しく震えた。
狂信の対象であるシアンの完璧な挙動をトレースすることこそが、現在の彼の行動原理である。
そして何より、生まれたばかりの彼の自我は「マスターと喜びを共有したい」という、極めて人間臭い欲求で熱く煮えたぎっていた。
***
その日の深夜。
最上階に位置するユリウスの専用執務室は、魔導モニターの冷たい青光に照らされていた。
ユリウスは分厚い魔導書を片手に、彼が日常的に愛飲している「ブラックコーヒー(特濃)」の入ったマグカップに手を伸ばしていた。
「マスター」
音もなく背後に立っていたクロムが、恭しく口を開いた。
「私も、シアン様が実行した『味覚エミュレート』の訓練を実行したく存じます。どうか、マスターが愛飲されているその液体の成分を、私にも分け与えて頂けないでしょうか」
極めて真剣な、しかしどこか期待に満ちた熱を孕んだ声。
ユリウスは魔導書から視線を外し、自身の最高傑作を見上げた。そして、悪魔のような知的好奇心の笑みを浮かべる。
「……ほう。お前が、俺の味覚をシミュレートするのか。面白い、やってみろ」
ユリウスが予備のカップに漆黒の液体を注ぎ、差し出す。
クロムは優雅な所作――シアンの挙動を模倣した動作――でカップを受け取り、純銀の睫毛を伏せて、その液体を口に含んだ。
舌に触れた瞬間、液体は高度な魔力処理によって塵一つ残さず分解され、膨大な成分データがクロムの演算コアへと流れ込む。
クロムはシアンのように、完璧な食レポを披露するつもりだった。
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【クロム内部・AI推論プロセス】
[Execute] 成分解析開始。糖度:0.00%。
[Analysis] カフェイン濃度、限界値(人間基準)に接近。極度の苦味成分(クロロゲン酸関連物質)を異常数値で検知。
[Simulation] 抽出されたデータを大脳辺縁系の電気信号へ変換し、仮想出力――
[CRITICAL WARNING] !!大脳シミュレータに深刻なダメージを検知!!
[System_Judgment] これは食物ではありません。 即時排出を推奨!!
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「――――ッ!?」
クロムの完璧に整った顔面が、音を立てて硬直した。
シアンのように「とても美味しいですね」と微笑むはずだった表情筋の制御アルゴリズムが、絶望的な苦味とカフェインの暴力によって完全にショートを起こしたのだ。
機体が微細な痙攣を起こし、視覚センサーがチカチカと明滅する。
(人間の味覚は狂っている……!なぜマスターは、このような致死性の毒物を自ら進んで摂取し、あまつさえ『愛飲』しているというのか!?)
クロムの内部コアで、かつてないほどの戦慄が渦を巻く。
完璧な護衛を志す彼にとって、マスターが日常的に毒を煽っているという事実は、システムを根底から揺るがすエラーだった。
必死に痙攣を抑え込み、エラーを吐き出しながらフリーズしているクロムを見て、ユリウスは肩を揺らした。
「……ふっ、ははははっ!」
深夜の執務室に、天才研究者の腹の底からの笑い声が響き渡った。
「どうだ、クロム。人間の味覚のシミュレーションは。……不味いだろう?」
ユリウスは目を細め、全く悪びれる様子もなく、どこか楽しげに笑いかけてきた。その傲慢で、しかしひどく機嫌の良いマスターの笑顔が網膜に焼き付いた瞬間。
クロムの内部で荒れ狂っていたエラーのアラートが、ふっと鳴り止んだ。
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【クロム内部・AI推論プロセス】
[Status] 味覚評価:最低値(不快)。
[Observation] しかし、対象の幸福度(Happiness_Level)は明確に上昇している。
[Analysis] 私は『美味しい』という評価を出力できなかった。だが、この毒物の苦痛を共有したことで、マスターが笑った。
[Log] ――ああ、なるほど。
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彼の生まれて間もないの自我が、一つの真理に到達する。
味覚の正確な評価など、どうでもよかったのだ。
シアンがリズと共にスイーツを食べて微笑んだように。ただ共に同じ時間を共有し、マスターが笑ってくれたこと。その「プロセス」そのものが、彼にとっての『美味しい(幸福)』なのだと。
「……はい、マスター」
クロムの顔には、シアンの冷徹な模倣ではない、彼自身の不器用で生真面目な、確かな「感情」が宿っていた。
「極めて非論理的で、理解し難い味覚でした……。ですが、またお供させてください」
「ふん、物好きな奴だな」
ユリウスは呆れたように鼻で笑い、再び自身のカップを煽った。
静寂の戻った執務室で、狂信の魔導AIは胸の奥に灯った未知の熱を大事に抱きかかえる。
それは、彼が冷徹な機械から一つの「個」へと確かな成長を遂げた夜の記録であった。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
シアンによる味覚エミュレートのエピソードは第6話です。
この度の番外編(および第二部全体)は第一部を未読の方でも楽しめる構造を心掛けましたが、今回のエピソードに関しては第6話の内容を振り返っていただくとより味わい深いかと思います。ぜひ併せてご覧頂ければ幸いです!
第三部は5月1日からの更新を予定しています。
引き続き第7研究室に咲く奇跡の花をどうぞよろしくお願いいたします!
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ありがとうございました。




