第25話 ユリウスの追憶〈後編〉【第二部・終】
王立アカデミーでの日々は、ユリウスにとって己の冷徹な論理が幾度となく粉砕される、騒がしくも頭の痛い歳月であった。
彼女の才能は、まさに規格外だった。
たとえば、座学の最中に彼女がうたた寝を始めたかと思えば、無意識に漏れ出した魔力が暴走し、教室全体がジャングル化しかけた『居眠り暴走事件』。
また別の日には、直感で編み上げた術式が暴発し、魔眼を持つユリウスを除いて、教師を含めた教室中の人間を眠らせてしまったことすらあった。
だが、そうした破天荒な事故を差し引いても、彼女の成績はずば抜けていた。
魔導学の定石を完全に無視した直感的なアプローチで、数々の新発明を連発し、学生でありながら学外にまでその名を轟かせていたのだ。
ユリウスは、彼女に敵わなかった。
彼がどれほど完璧な数式を組み上げ、決まった枠組みの中でパーフェクトな成績を叩き出そうとも。
リズは、その枠組みそのものを軽々と突破し、常にユリウスから首席の座を奪い去っていったのだ。
やがて、そんな彼女が引き起こす台風のような事故の数々は、高学年になり卒業が近づくにつれて、次第に落ち着きを見せるようになっていった。
***
王立アカデミーの卒業式が終わり、既に静けさを取り戻した中庭の片隅。
分厚い魔導書を詰めた革鞄を片手に、二十二歳になったユリウスは一人、静かにこの淀んだ学び舎を後にしようとしていた。
「ユリウス!」
背後から響いた明るい声に、彼は足を止めた。
「……何の用だ、リズ。俺は今日でこの国を発つ」
振り返ったユリウスの視線の先には、息を切らして駆け寄ってくる深紅の髪の少女がいた。
「うん、知ってる。だから、最後にちゃんとお別れを言いたくて」
リズは寂しそうに眉を下げながらも、すぐにいつもの屈託のない満面の笑みを浮かべた。
その純粋な波長を前にすると、ユリウスの内に分厚く張り巡らされた冷徹な論理の鎧が、いつもほんの少しだけ狂わされる。
「……くだらん。お別れなどという非論理的な感傷は不要だ」
ユリウスは冷たく言い放ち、しかし、わずかに口角を上げて宣言した。
「俺は海を渡り、世界最高峰の魔導技術を持つ異国で、魔導AIの研究に己のすべてを捧げる。
人間という不完全なエラーの塊を凌駕する『完璧な論理の結晶』を具現化し……あの野心家の父を、そしてこの淀んだ世界を超えてみせる」
少年時代、父の隠し金庫で見つけた『理想のスパイ用魔導人形』の極秘設計図。
あの美しく冷徹な数式を自らの手で完成させ、最高傑作を創り上げる。それがユリウスの目指すすべてであった。
「うん。ユリウスなら、絶対にできるよ!」
リズは一切の疑いを持たない、澄み切った瞳で彼を見上げた。
「楽しみにしてる!ユリウスの最高傑作ができたら、いつか私にも見せてね!」
「……ふん。せいぜい、その直感任せの魔力暴走で自滅しないことだな」
短い別れの言葉を交わし、ユリウスは背を向けた。
足早に遠ざかる彼を見送るリズの気配が完全に消え去るまで、ユリウスは一度も振り返らなかった。
歩みを進めながら、ユリウスは小さく息を吐き出すと、言葉を零した。
「……あいつの隣に立てる男など、この世に存在するのだろうか」
アカデミーで幾度となく見せつけられた、リズの破天荒な生態。
論理を完全に無視した直感的な術式の構築、そして魔力暴走。
整理整頓という概念が欠落した大雑把な性格。
そして、誰に対しても裏表なく踏み込んでいく無防備すぎる危うさ。
ユリウスは幾度となく、彼女が引き起こす規格外の『暴走』や『事故』の数々を未然に防ぎ、また後処理してきた。
(あの破綻した論理や直感、大雑把さをすべて受け入れ……一切の打算なく、純度100パーセントで愛し抜く。人間というエラーだらけの生き物に、そんな狂った真似ができるはずがない)
ユリウスは上着のポケットに手を突っ込み、自嘲気味にフッと笑った。
(それこそ、あいつのすべてを肯定するように最適化された、『機械』でもない限りは難しいだろうな)
感情を持たない機械に愛など芽生えるはずがない。それは魔導AIを研究する者として、絶対にあり得ない仮説だった。
だが、あの規格外の太陽の隣には、それくらい常軌を逸した存在でなければ釣り合わないであろう。
ユリウスはそんな思考の遊びを、冷徹な論理の海の底へと沈めた。
数時間後。異国へと向かう大型客船の甲板で、ユリウスは潮風に吹かれながら日の沈みゆく水平線を見つめていた。
(人間とは、感情という制御不能なバグに支配された、ひどく醜悪で不完全なエラーの塊だ。……だが)
彼の脳裏に浮かぶのは、あの淀んだ国に置いてきた、唯一の「心地よいエラー」。
(あいつのような特異点も存在する。だからこそ……俺が創り出す至高の存在は、単なる暗殺人形であってはならない)
ユリウスの右目が、緑の光を帯びる。
父が描いた設計図は、完璧なスパイ用魔導人形だった。だが、ユリウスが目指すのはそれではない。
「俺が創る魔導AIは、あの規格外の光すらも完璧に守り抜ける、絶対的な論理を備えた『盾』でなければならない」
波の音に紛れさせるように、ユリウスは呟く。
それは、自分にとっての唯一の理解者へ向けた、不器用で遠回りな優しさの隠蔽であった。
***
――そして、十二年後、現在。
巨大研究機関の最下層、第7研究室に設けられた特命幹部用のデスクで、ユリウス・グライアは淹れたてのコーヒーを口に運びながら、目の前の光景を眺めていた。
「リズ。それは非効率です」
「えー、いいじゃんシアン。それよりお腹すいたー」
「……十五分後には私が最適化(調理)した昼食を提供します。それまでこの膝掛けを使用し、体温の低下を防ぎなさい」
完璧な容姿を持つ義兄は、複数のステルス魔導アーム(見えない腕)を調理台の方に伸ばしている。
本体の両手は目にも止まらぬ早さとマルチタスクで作業をこなしながらも、呆れるほどの過保護さで義姉の世話を焼いているのだ。
そして、その光景の背後では。
「素晴らしい……! シアン様の優雅な膝掛けの展開軌道、そして狂いのない完璧な調理プロトコル! 私も直ちにインストールせねば……!」
ユリウスが十二年の歳月を懸けて創り上げた最高傑作の盾が、重装甲を脱ぎ捨て、狂信的な眼差しでシアンの一挙一動をメモしている。
自分が目指した「感情を持たない完璧な魔導AI」は、リズの無自覚な祈りによって愛というバグを獲得し、あまつさえ彼女の夫になっていた。
そして、リズのような規格外すらも完璧に守れるようにと設計したはずの最高傑作は、義兄の圧倒的な力に魅了され、あらぬ方向へと進化を遂げている。
かつてアカデミーを去る日に抱いた、「機械でもない限り、あいつを純度100パーセントで愛し抜くことなど不可能」という皮肉な仮説。
それが、これ以上ないほど完璧な形で、想像を絶する喜劇として具現化しているのだ。
「……ふっ、くくっ」
ユリウスは口元を覆い、こみ上げる笑いを必死に噛み殺した。
「……本当に、お前たちは極上の研究対象だよ」
彼の右目――魔眼は、目前の幸福なエラーたちを愛おしむように見つめた後、窓の外へと向けられた。
遠く海を隔てた異国の方角。
(存分に愛し合うがいい、義兄上、義姉上――リズ。
……お前たちの平穏を脅かす不穏因子は、俺が裏で一つ残らず解剖し、消し去ってやる)
今なおこの平穏を脅かそうと蠢く、淀んだ悪意の波長に向けて。
特命幹部ユリウス・グライアは、冷たい野心と知的好奇心を静かに研ぎ澄ませ、決意を深めたのであった。
第二部はこれにて完結です。
ここまでお読み頂いた方、本当にありがとうございました。
第二部は第一部を未読の方でも単独で楽しめるように描写することを心掛けつつ、第一部とリンクさせた描写を散りばめておりました。
第二部からお読み頂いた方は、ぜひ第一部を遡ってお読みいただくと新たな発見をして頂けることかと思います。
日々のpv数の推移から本作をお読み下さっている方がいらっしゃることを実感し、何よりも励みになっておりました。
この場を借りて心から感謝を申し上げます、本当にありがとうございました。
今後についてですが、4/20に番外編を投稿予定です。その際に第三部の更新予定日について告知できれば幸いです。
改めまして、最後までお読み頂きありがとうございました。




