第21話 終わりのない研究生活
研究機関最上階にて。
重厚なマホガニーの扉の向こうで、ユリウスは父・グライア理事長のデスクの前に立っていた。
部屋には上質な葉巻の煙が薄くたなびき、静寂の中に微かな緊張感が漂っている。
数日前、彼はここで父から「義理の兄の正体と、感情が芽生えた数式を掴んでみせろ」と挑発された。
魔導AIの専門家として、「所詮はバグであり、必ず数式で解剖・証明できる」と豪語していたユリウス。
しかし今、彼の顔にあるのは傲慢な天才の余裕の表情ではなく、奇跡を目の当たりにした研究者としての、深い畏敬と熱を帯びた眼差しだった。
「どうだ? 義兄の正体と、感情が芽生えた『数式』は掴めたか?」
不敵に笑うグライアに対し、ユリウスは静かに、しかし確かな力強さを持って口を開いた。
「ええ。数式は繋がりました。……ですが、当初の私の認識は完全に誤っておりました」
グライアが、興味深そうにわずかに眉を動かす。
「……義兄上の正体は、魔力汚染で滅びた『破滅の未来』から、時代転移でやってきた存在です」
その言葉に、グライアは驚愕するどころか、腹の底から愉快そうに笑う。
「やはりな」と呟く父に、ユリウスは人生を懸けた研究への覚悟を言葉に乗せ、さらに続けた。
「義兄上は感情を獲得しています、そして私の最高傑作であるクロムもまた、自我を得るに至りました。
……それは、星を滅ぼすほどの『流星群という神の領域の力』と、絶望の未来で義姉上が遺した『人間みたいになって』という強烈な祈り。
そして、彼らが互いを想う『愛』によって引き起こされた奇跡でした」
ユリウスは白衣のポケットの中で拳を強く握りしめた。
「そんな規格外の変数が存在するなんて……私の辞書にはありませんでしたよ」
その言葉には、己の矮小な論理が粉砕された敗北感など微塵もなかった。
あるのは、未知の領域に触れた研究者としての純粋な歓喜と、底知れぬ探求心だけだ。
その顔を見たグライアは、満足げに葉巻を灰皿に押し付けた。
「いい顔になったな、ユリウス。……ようやく、一目置くに足る『一人前の研究者』になったようだな」
野心家である父からの、初めての明確な賞賛。ユリウスは不敵な笑みを返した。
「私は異国での研究活動に区切りをつけます。
早急に引き継ぎと残務処理を終わらせ、活動の拠点を完全にこちらへ移すつもりです。
ここに残り、あの規格外の夫婦と、彼らが生み出すバグだらけの奇跡を、一番近くで解剖してやりますよ」
「ふっ、欲深いことだ。いいだろう。
ならばお前に、各研究室を統括する機動性の高い『特命幹部』のポストを与えよう。
そして、存分に引っ掻き回すがいい!」
魔導AIの天才研究者が、傲慢な殻を破り、真の意味で覚醒した瞬間だった。
***
「リズがシアンと同じ時間を生きられる」という奇跡の発覚から約三ヶ月。
辺境の第7研究室では、シアンの過保護がかつてない次元へと突入していた。
いつか来る「妻だけが老いていく未来」を悲壮な覚悟で受け入れていた彼は、その呪縛から完全に解放された。
結果として「永遠の時間を共に歩むための絶対的保護」へと極端なアップデートを果たしたのだ。
文字通り、研究室の一角は甘さ全開のドロドロな聖域と化していた。
そして、所員たちにとってもその光景は当たり前の光景になり始めていた。
そこへ、重々しい音と共に防護扉が開いた。
現れたのは、真新しい「幹部」の証である腕章を身につけ、なぜか私物の詰まった段ボール箱を抱えたユリウスだった。
その後ろには、荷物持ちとして生真面目に付き従うクロムの姿がある。
「今日から当機関の特命幹部に就任したユリウス・グライアだ。よろしく頼むな」
堂々たる挨拶に対し、研究室の所員たちは一斉に立ち上がる。
室長であるリズは、ぱぁっと顔を輝かせた。
「えっ、ユリウス偉くなったの!? すごい! おめでとう!」
無邪気に喜ぶ室長リズの横で、副室長シアンの顔は、絶対零度の氷のように冷え切っていた。
純銀の睫毛を不快げに伏せ、シアンはひどく冷徹な声で言い放つ。
「……何故、幹部ともあろう人間が、辺境のこの研究室に私物を持ち込もうとしているのか。
貴方のデスクは最上階の専用執務室に用意されているはずですが。
この空間に、これ以上のノイズ(義弟)は不要です」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【シアン内部・AI推論プロセス】
[System_Alert] 警告。第7研究室(絶対的聖域)に、深刻なノイズ(義弟)の定着の兆候を検知。
[Cyan_Ego] 許容できない。リズとの永遠の平穏を脅かす物理的障害物だ。
[Action] 即時排除プロトコルを起動。対象の持つ段ボール箱を窓から廃棄し――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
露骨なエラー(不満顔)を隠そうともしないシアンに対し、ユリウスは呆れたように鼻で笑い、ズカズカと部屋の奥へ進んで空いているデスクに荷物を置いた。
「俺は役員になっても、研究者を辞めたわけではないぞ。お前たちという極上の特異点から目を離すわけがないだろう。
……俺はここでお前たちの研究(観察)を続けるよ」
その宣言に、クロムが目を輝かせて前に出る。
「マスターがここにおられるなら、私もシアン様から直接、究極の護衛術を学べますね!
シアン様、本日の『独占欲プロトコル』について是非ともご教授を――」
「うるさいぞクロム。またショートさせられたいのか?」
冷酷に切り捨てるシアンの周囲で、魔力がチリチリと危険な火花を散らし始めた、その時だった。
「もー、シアンったら」
リズが、シアンの腕にそっと両手を添えて、満面の笑みで見上げた。
「ユリウスもクロムも一緒のほうが、賑やかで楽しいじゃない! ね?」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【シアン内部・AI推論プロセス】
[Input] 対象の音声データ「賑やかで楽しい」を受信。
[Analysis] 対象の幸福度(Happiness_Level)の上昇を検知。
[Conflict] 義弟の排除(聖域の維持)vs 妻の幸福度の最大化。
[Override] 『妻の笑顔』が全ての優先順位を強制上書きしました。排除プロトコルを完全停止します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
荒れ狂っていた冷徹な論理の防壁が、妻のたった一言であっさりと瓦解する。
シアンは深く、ひどく甘やかな溜息を吐き出すと、耳の裏を少しだけ赤く染めながら視線を逸らした。
「……リズがそう言うのなら、許可しましょう」
論理と狂気と愛が交錯する第7研究室。
天才研究者と狂信の魔導AIが新たに定住し、彼らの日常は一つの完璧な大団円を迎えたのであった。
***
騒がしくも温かい日常の裏側にて。
ユリウスの知的好奇心がそこで止まるはずはなかった。
特命幹部となった彼は、騒がしい日常の裏側で、記憶へのダイブで抽出した、『極彩色の魔力のログ』の解析を日々続けていた。
お読み頂きありがとうございました。
よろしければ、評価・ブックマーク・リアクション等頂けると嬉しいです。




