05
バァン!!
「……い、いらっしゃ……?」
いきなり入口の扉が乱暴に開け放たれたかと思うと、もこもこした帽子に毛皮の短い外套を纏った一人の少年が、カウンターのアスカを睨みつけながらずかずかと入店してきた。五本の指全てに指環が嵌った左手を、バン、と机上へ叩きつけるように乗せて、アスカの顔を至近距離から覗き込む。
アスカは強い視線に気圧されて体を引きながら、宿題のプリントにのろのろ這わせていたペンを置く。
水色の大きな瞳に黙ったまま睨まれ続けていると、奥の扉からエティが何事かと顔を出した。少年の姿を見るなり、珍しく少し急いた様子で店へ出てくる。
少年は店主に対し無反応で、ただアスカを睨み続けた。
「……ここの人たちって、初めて会った人の顔をまじまじ見るのが慣わしか何かなわけ……?」
アスカが苦笑しながら兼ねてからの疑問をエティに尋ねた。それには答えず、エティは少年に対して声を掛ける。
「……どこか寄ってきたのか」
「…………ああ……籽玉のとこ……。 ……頼まれ物届けてきた」
少年はようやくアスカから視線を外してエティを向いた。薄青の髪に括られた、小さな宝玉のような飾りが揺れる。
「コイツがその……例の、店の手伝いなワケ?」
「ああ」
「くぉおんな弱っちそーな奴がぁ!? はっ、ジョーダンきついぜ!」
「弱っ……!?」
改めて人の顔をじろじろと見て鼻で笑う少年にさしものアスカもカチンときて、口が出そうになるのを既のところで堪える。待て待て、相手はどう見ても年下、熱くなるな大人気ない。そう自分に言い聞かせて。それでも流石に笑顔を繕うのは難しく、仏頂面を向けてしまう。
睨み合うかたちになった二人に、エティはさも面倒そうに頭を掻いた。
「……こいつはマシシ。 道具商だ。 普段は旅をして町にはいない。 聞いているだろうがこっちはアスカだ」
「道具商? 日用雑貨とか売ってるの?」
「ナニ言ってんの? 道具っつったらフツー魔法道具だろーが。 ま、本すら浮かばせらんないような無能にゃあ絶っっっ対に使いこなせやしないだろーから、ハナから関係ないけどなッ」
「こ、こんのガキ……ッ」
たっぷりと棘を孕んだ長台詞を受けてアスカが思わず椅子を立った。頭ひとつほど背の高い相手に怒りの表情で見下ろされる形になっても、マシシは怯むことなくただ冷たい眼差しをアスカに向け、嘲るように笑ってみせる。
「はっ、ガキだぁ? ほんとナニ言ってんの? こちとらアンタの何倍も生きてるっつーの、アンタんとこの時間感覚で言えば何っ十倍!」
「え?」
嘲笑だけでなく呆れの色まで含まれていたような声に、アスカは相手の言葉が冗談だろうと確信しきれずエティを仰いだ。エティは黙ってただ頷く。
「えっ……どう見ても……せいぜい十四歳くらい……?」
「マシシだけじゃない。 町の人間皆そうだ」
「ええええええ!? って事はエティさんも!?」
「ああ」
ふん、とマシシがまた鼻で笑い、片手を腰に当て、得意げな顔でビシリとアスカを指さした。
「十七歳なんざガキ以下なんだよ!! バーーーカ!!」
とどめの一撃を叩き付けられ、アスカはふらつきながらへなへなと椅子に戻った。
外見から一つか二つ年下、そうでなければ同い年くらいだろうと予想していたエティ、随分賢い子供だと思っていたシイラも琅玕も籽玉も、そして目の前の、外見から発言までただのガキとしか思えないガキオブガキも、みんな。
「みんな……年上? しかも……遥かに……?」
思い返してみれば、今までに星ノ宮でアスカが知り会ったエティを含めた四人は、その外見より幾分大人びているふしがあった。そっと見上げたエティの表情はいつも通りの澄まし顔で、嘘をついているようには到底思えない。
「じゃ、じゃあ俺ッ……今まで、かなり年上のみんな、いや、みなさん? 呼び捨てにしてタメ口きいてた……わけ……?」
「下らない事を気にするな。 お前も、敬えという意味で言ったわけじゃないだろう」
「……べつに? 敬語使われる方が気持ちわりーっつか……畏まれなんて言ってねーし……」
マシシは口を尖らせてもごもごと言ったかと思うと、アスカからの戸惑いの視線に気が付いてきっと睨みで返す。
「とにかく、外見でガキ扱いしてんじゃねーよってこと!! わったかよ!?」
「わ、わかったよ……悪かった。 だからそんなに睨むなよ……折角知り合ったんだしさ、仲良くしようぜ? なっ?」
目の前に差し出されたアスカの右手をじっと見てから、遠慮がちにマシシも右手を出した。こちらの手にも、全ての指に指環が嵌められている。
アスカはにこりと笑み、その小さな手を握って軽く上下に振った。
「……先に仕事を済ませてもらっていいか」
「!! あっ、ああいいよ」
エティに声を掛けられ、マシシは一瞬かあっと頬を染めて強引に手を振り解いた。すぐに何事もなかったかのような顔に戻って、右手をつと宙に翳す。
本棚から本を一冊抜き出すような所作をする。と、何もないはずの場所から、するりと本が現れた。掴んだその本を無造作にアスカへ放る。
「うわわっ」
取りこぼしかけつつ何とか受け取ってその表紙を眺めようとしたところに、ぽいぽいと続けて本が投げ渡される。マシシが左右の手で一冊ずつ取り出しては投げて寄越す本が、アスカの両手で持った最初の一冊にどさどさと積まれていく。詰み上がった本が頭の高さを越え、重みに腕がぶるぶると震え出した頃にようやくマシシの手が止まった。
「これで全部かな。 じゃ、鑑定ヨロシク」
そう言い残して、帽子を脱ぎながら勝手にダイニングへ入っていってしまう。アスカはエティに指示され、小山になった本をよたよたとカウンターへ運んだ。
「何か手伝え」
「ないから、お前も奥に行ってろ」
「はーい……」
重さの余韻で痺れる手に宿題のプリントと筆記具を持たされ、店内から追い出されるようにダイニングの扉を開けた。
室内では、帽子と外套を脱いでキッチンに立ったマシシが見慣れない缶の封を切っていた。ちらとアスカを一瞥して、また手元に視線を落とす。
「 アンタも茶ぁ飲む?」
「あ、じゃあ貰おっかな。 それ何のお茶?」
「そんな珍しーモンでもない、ただの紅茶。 エティへの土産だよ」
「旅してるんだっけ、そのお土産かぁ。 ……お土産なのに開けちゃうんだ」
マシシの手つきはエティと比べると随分と雑だが、勝手知ったるといった風で迷いなく棚からポットやカップを取り出し、手際よく二人分の紅茶を淹れていく。
「お待ちどー。 コレはストレートが一番んまいらしいけど」
「へー、じゃあそうする。ありがとう。 あ、そうだ、俺今日お菓子持ってるんだった」
テーブルの傍に置いたままだった鞄をごそごそと漁って、小分けに包装されたチョコ菓子が入った小さなビニール袋を取り出す。朝、気まぐれにコンビニで買ったきり忘れていたのだ。
「はい」
「……? なんこれ?」
「端がギザギザになってるだろ?こうやって開けるんだよ」
菓子を二つ手渡されて怪訝そうに包みを眺めるマシシに、アスカが手本のようにひとつの袋の端を裂いて開けてみせる。そのまま口に放り込んで咀嚼すると、口溶けのいいチョコレートに包まれたキャラメルが口内に溶け出し、喉が痺れるほどの甘味が広がる。
アスカに倣って包みからチョコを取り出したマシシも齧り付いて半分を口に含む。糸を引くキャラメルに目を瞠りながら、少し俯きがちにもぐもぐと口を動かして……固まった。
「……マシシ? どした?」
呼び掛けにも、顔の前で手を振っても反応はない。暫く待ってみると、頬を紅潮させて勢い良く顔を上げた。
「…………ぅんんんまぁぁああい!!!! なんッ、なんこれ!? こんなん食った事ない!! 甘い甘いスゲー甘い!! ただのチョコじゃねえッ、めっちゃくちゃ甘い!!」
「そ、そんなに?」
「何この中のトロトロ!? これが甘いの!? んん……ひゅげーうまひ……」
手元に残ったもう半分も口内に含んで、マシシが口の端から涎でも垂れてきそうなほど締まりのない顔を見せる。アスカは噴出しそうになるのを堪えながら、テーブルの上の自分の分もマシシの前に寄せてやる。
「そんなに気に入ったなら俺のもやるよ」
「え!! いいのかよ!?」
「いいよ、俺はいつでも買えるから」
「ほんとか!! ありがと……う……」
ひととおり外見年齢相応のはしゃぎ方をしてから、マシシははっと我に返った。小さく咳払いをしてさっきまでのムスッとした表情をつくるが、耳の端の赤みはまだ消えていない。
「……代価としてナンかやる。 何がいい」
「なんか、って魔法道具? いいよいいよ、どうせ俺はまだうまく使えないだろうし、そもそもお菓子とじゃ全然釣り合わないだろ?」
「借りとかツケとかつくんのはオレの商売の恥なの! いいからナンか言ってみろよ! 足が出た分はしっかり徴収すっから安心しろよな」
「ええ~……? アレ一個四十円くらいだぜ……?」
詰め寄るマシシにたじろぎながら視線をさ迷わせ、相手の頭上を一巡させてようやっと一つ思い付く。
「じゃ、さっきの! 何も無い所から本を出したアレも魔法だろ? アレってどうやってんの?」
「アレはアンタには無理」
切り捨てるような鋭い言葉の矢を胸へサクリと受けて、アスカはどさりとテーブルへ突っ伏した。顔を横に向けて拗ねたように独りごちる。
「どうせ……どうせ俺は本すら浮かせられませんよ……皆そうやって馬鹿にしてさっ……」
「そーじゃなくて、オレにしか無理なの。 エティにだってできねーよ」
「そうなの……? 何で?」
「こーゆーのは生まれ持った素質がモノを言うんだよ。 籽玉も言ってたけど、アンタ本っ当にナンも知んないのな……」
大きな瞳から呆れと哀れみの入り混じる目線を向けられつつアスカは体を起こした。もう一つ思い出して、今度こそはと提案してみる事にする。
「あ! あのさ、色んな物を同時に動かせるようになる魔法道具? ってある?」
「……シイラの使ってるやつの事言ってんの?」
「そうそう!シイラのアレすごいよなぁ。 マシシ、籽玉だけじゃなくてシイラとも知り合いなんだな」
「……アレも無理。 幾らすると思ってんだよ」
アスカにはシイラの名前を出したマシシの表情がほんの僅か曇ったように見えたが、何か尋ねようとする前に、マシシは話題を打ち切るように大げさにため息を吐いて背凭れに身を預けた。
「はーあ。 めんどくせーし、もォこの際日用雑貨でもいっか」
「やっぱ雑貨も扱ってんじゃんか……。 あ、そんじゃあさ」
アスカは人差し指を立て、笑顔でマシシに持ち掛ける。
「アンタ、じゃなくて名前で呼んでよ。 マシシ」
「……ッ。 ……そんなんでいいのかよ……」
「いいよ、嬉しいもん。 さっきも言ったけど、仲良くしたいからさ。 なっ?」
促され、マシシは決まり悪そうに視線を逸らして口の中で言葉を転がす。
「…………。 ……う~~……あ、あしゅ…………っ、アスカ」
「うん、それで! ……マシシ、今噛んだ?」
「う、うるせーバカ!!」
からかうアスカに、マシシが真っ赤になって帽子を投げつける。アスカが笑いながら軽く帽子を投げ返すと、丁度扉からエティが覗いた。
「……くつろいでる所悪いが、アスカの通る穴を少し見て来てくれ」
「別にいいけど金取るよ?」
エティが頷く。マシシはりょーかい、と呟いて椅子を降り、外套を羽織って首元でリボンを留めた。
「アスカ、案内してやれ」
「あ、はい」
アスカも椅子を立ち、背凭れに掛けていたコートに袖を通す。
テーブルの上のプリントに気付いて勝手に拾い上げたマシシが目を横に滑らせてまじまじ文字を追いながら、読めねーな、ともう一言呟いた。
***
「うー、さっぶい」
夕刻、暮れた空。少し強めの風が吹いては木々をざわつかせる。アスカはコートのポケットに手を突っ込んで、肩を竦めて身を震わせた。
並んで店の裏手に回りながら、マシシが徐に左手を体の前に出す。小指の細身のリングに付いた石へ白色の眩い光が宿り、さながら懐中電灯のように足元を照らした。
「すげー、それも魔法道具? もしかしてその指環全部そうなのか?」
「まーな」
「へぇ、他のはどんな道具なんだ? 使ってるとこ見たい!」
軽い気持ちで頼むアスカの前に、商売人の目をしたマシシの右手がずいと差し出される。
「見物料取るぞ」
「……ケチ」
アスカが唇を尖らせる横で、指環の光が抜け穴を照らし出した。
「なんこれ、ただの穴じゃねーか」
「あーこの穴開けたのは俺なんだ……。 この先の道を歩いてると、知らない間に元の世界に戻ってるんだよ」
「ほーん……」
マシシはその場に膝を付き、抜け穴の先をしげしげと眺めるように観察する。
「何かわかるのか?」
「ただの道にしか見えねーな。 アスカさぁ、試しにちょっと行って帰って来てみろよ」
「わかった」
言われるままアスカは垣根を抜けて、背中に視線を感じながら少々ぎこちない足取りで路地を歩く。すっかり慣れた感覚と共に景色が移り変わったのを確認し、くるりと踵を返して同じように星ノ宮へと戻る。垣根の穴から覗くマシシが眉根を寄せてくいと首を捻った。
「どうだった?」
「どーもこーも。 ふいっと消えたと思ったらこっち向いてまた出て来たようにしか見えねー。 ……読めないっつー事は行った事ない場所なんだろォけど……ナンも考えないで行ってみるにはリスクが高すぎんだよなァ……。 こりゃ一旦お手上げだな」
マシシは呟きを終え、軽く膝を叩いて立ち上がる。
***
「だーめだ、ナンもわかんねえ。 オレの開ける隙間とは違うっぽいけどねえ」
「そうか」
古書店のエントランスに戻り、指環の灯りを消しながらマシシは短く報告を済ませた。その様子を見たエティが思い出したようにもう一言付け足す。
「……ついでに簡単なランプを一つくれ」
「はいはいはい! ランプなら仕入れたばっかりでね、丁度持ち合わせが沢山あるぜっ」
突如マシシはニッコリと人当たりの良さそうな笑顔を顔いっぱいに浮かべ、宙空から大小様々な形をした幾つかのランプを取り出してはエティの前に置きながら捲し立てる。
「最近は何つーか、生活に彩りをとでも言うの? 色んな機能のついたランプが売り出されてんだけど、オレのオススメは光の色が好きに変えられるコレだね! 据え置き型だけどムードや気分に合わせて七色に切り替え可能、自動で順番に色が切り替わる機能も」
「いらん。 一番簡単な物でいい、使うのはこいつだ」
「え、俺?」
マシシがアスカを振り向いて、ほんの一瞬だけ笑顔を引っ込めた。かと思うと顔面に再び笑顔を貼り付けながらエティに向き直る。
「ちっ。 ……つったらコレかね、軽くて持ち運びできるし、量産型より光量はあるから外でもまあ使えるっちゃ使える。 ただ光量の調節機能はないぜ、そのぶん値段も抑え目にできてんだけどさ」
掌に乗るほどの大きさの、細い筋交いが入った銅色の枠組に四枚のガラスが差し込まれた、四角いシンプルなカンテラが取り出される。本来ならば油壷のある部分にひとつ嵌め込まれている橙色の半球が、室内の灯りをちらりと淡く反射した。エティがアスカを向いてそれを指す。
「点けてみろ」
「中のこれに魔力注いでな」
アスカはマシシからカンテラを手渡され、細身のハンドルを持って反対の手を翳し、宝石へ魔力を注ぐ。
半球が不安定にチカチカと二、三度瞬き、その中から、まるで宝石が分裂するかのように暖色の光の珠がカンテラの中に浮かび出て、ガラスで囲まれた狭い小部屋の中をふわりふわりと漂う。柔らかな光が辺りを橙に染めた。
「点いたー! すっげぇ!!」
揺らぐ灯りに照らされながら歓喜するアスカを横目に見て、エティがマシシへ小さく頷く。
「これでいい」
「はいよ、まいどあり。 こっから二百エル値引きね」
マシシがカンテラのハンドルに付いた小さな値札を千切って、訝しむエティに手渡した。
「お前が値引きか」
「ちょっとね。 ああ、ランプはちゃんとした品だから安心していいぜ」
灯りを消したアスカが、大事そうに両手でカンテラを包んで持ちながら遠慮がちに訊く。
「……ひょっとして、コレ俺に買ってくれるんですか?」
「……階段から落ちられでもしたら堪らないからな」
数日前、アスカが夜中に起き出して階下の洗面所へ向かう途中、真っ暗闇の中まだ不慣れな階段を踏み外した事があった。寸での所で手すりを掴んで落下は免れたものの、派手な音を立てて思い切り尻餅を付いたのだ。気恥ずかしくてエティはおろか誰にも話していなかったのだが、物音でしっかり把握されていたのだろう。アスカは恥ずかしさに頬を染めつつも、それよりも遥かに強い感情に顔を綻ばせる。
「あっ……ありがとうございます! 一生大事にしますね!!」
喜色満面。カンテラを抱き締め、今にもその場でくるくる回り出して見せそうなほど喜ぶアスカをマシシが怪訝な顔で指さす。
「……ナンでアスカはアンタに懐きまくってんの?」
「知らん」
エティは短く返しながら、レジスターから硬貨を取り出して会計用の革のトレーに並べてマシシヘ差し出した。受け取ったマシシが、三つに分けられた硬貨の群をそれぞれ改める。本の買取代金とランプ代に相当する金額を重たそうな皮袋に仕舞い、最後のひと山の金貨を摘み上げて眉を顰めた。
「……随分と多くねぇ? オレ、抜け穴についてひとつも情報渡せてないけど?」
「わからない、という事実を寄越したろ。 多すぎることもない。 情報料として、取っておけ」
「……はーん? 成る程ね。 そんじゃ有難く受け取っておきますよ」
片眉を吊り上げたにんまりと意地の悪そうな笑顔を浮かべながら硬貨を全て収め、トレーをカウンターに放って戻す。
エティは椅子を立ち、傍らで何度も何度もランプを点けては消しし続けているアスカを手近な本の背で小突いた。
「あでっ」
「いつまでやってる。 看板仕舞って来い」
「はーい」
アスカは叩かれた後頭部を摩りながら幸せに蕩けた顔でヘラヘラと返事をして、早速ランプを点けて店の外へ出て行く。
***
「えッ!?」
土産の紅茶の二杯目を飲みながらの世間話の途中、アスカは思わず身を乗り出して会話を遮った。旅の合間の星ノ宮への滞在中、マシシは古書店の空き部屋に宿泊しているという事を聞いて、さっと青ざめ向かいのエティと隣のマシシを見比べる。
「ひょ、ひょっとして二人って恋人同士だとか」
「は」
「はぁああ!?」
「だって同性同士とか関係ないって籽玉と琅玕が言ってたしぃ……付き合い長そうだしぃ……」
眉尻を下げてぐじぐじと不明瞭に話すアスカに、エティとマシシは各々溜息を吐いた。それだけでは足らないとばかりにマシシがずるずると椅子の背凭れに沈む。
「きっしょく悪い事ゆーなよ藪から棒に……。 確かに付き合い長いけどさ、今の俺らはただの取引相手でしかねーよ。 現にオレは宿代だってちゃんと払ってんだからな」
「何だそうなんだ……。 ……え!? 今はって事は前はそういう」
「ちっげーっつのしつっけーな!! 言葉のあや!! あーウルセーったら……。 さーてと、ちゃっちゃ飯作るか」
言葉尻を耳ざとく捕らえて食い下がるアスカを荒い語気で振り払い、マシシは両腕のバングルと両手の指環を全て外し、放り込むように宙に仕舞って席を立った。腕捲りしながらキッチンに立つのをエティも椅子を降りて止める。
「いい。 アスカがいる時は俺が作る」
「え、宿代増したくねーし自分の分は自分で作るよ」
「物のついでだ、金はいい」
「そ? じゃ、作るのめんどくせーし頼むわ。 ……にしてもアンタ、野菜スープ以外も作れんだね」
袖を戻しながら椅子に座るマシシに、エティではなくアスカが答える。
「そうなんだよ!! エティさんいっつも野菜スープとか作り置きして、それも一日一杯食べるか食べないかなんだぜ!? 何も食べない日もあるし、いつか倒れるどころかほんっとどうやって生きてるのかわかんないんだよ、俺もう本当心配で」
「うるっせーなそんなん知ってんよ! 現に生きてんだからなんとかなってんだよ、見りゃわかんだろバカか」
うざったそうに言葉を遮ったマシシの口の両端を、アスカがむんずと掴んでぐにぐに左右に引き伸ばす。
「マーシーシー!! さっきから思ってたけど、おっまえ口悪いなぁ! 駄目だろ!」
「にゃにすんらよひゃめろ! っだぁもう!! 大体そんなビービー言うならてめーで作って食わせりゃいいだろが!!」
「うッ……そ、それは……」
マシシがアスカの両手を思い切り振り払った。振り払われた手の人差し指同士をちょいちょいと合わせながら視線を逸らして口篭るアスカを見て、ニヤリと笑みを浮かべる。
「……はーん? さては着火が下手くそすぎて爆発事故でも起こしかねないとか言って止められてんだろ? つか、そもそも料理自体ろくにした事ないと見た! どォだッ」
「うううっ」
「そーいや籽玉に聞いたぜ、水道爆発させて噴水にしたんだって?」
「してない! 断じてしてない! 籽玉話盛りすぎだから!!」
アスカがぶんぶんと勢い良く首を振って不名誉を否定するが、マシシは笑んだまま頬杖を付いて片手をひらひらと振る。
「どーだかなぁ? 正直オレはさっきのランプも買う前にぶっ壊すんじゃねーかってわくわくしたぜ、ぶっ壊した数だけしっかり徴収してひゃろうとにゃんらよひゃめろっつってんにゃろ!!」
「あああもおおお、余計な事ばっか言うのはこの口か!!」
「いへーっふの!!」
身を乗り出してさっきより強く口の端を引っ張るアスカに抵抗してマシシも暴れ、ガタンガタンとニ脚の椅子がけたたましく音を立てた。
背中を向けたまま、エティが小さく息を吐く。
「……同レベルだな」
「えっ、何て?」
呟きを聞き付けて、マシシの頬を抓りながらアスカがぱっと声色を明るくして振り向いた。
エティは調理の手を止めず、背中越しに二人を嗜める。
「さっきから喧しい。 二人共さっさと風呂なり入ってきたらどうだ」
「「……はあ!? 一緒に!?」」
見事な勘違いのユニゾンに、エティは包丁を持ったままの右手を顔に当ててゆるゆると頭を左右に振り、うんざりと低く呻く。
「……喧しさも二倍か……」