77話
「ひぃぃ……っ! また死んだ! 今度は壁からギロチンが……!」
「あ、兄貴ぃ……あたしたち、絶対にここで死ぬよぉ……!」
4階『[C] コボルトの迷路』の最後方。
そこでは、身の丈に合わない巨大な荷物を背負わされた詐欺師兄妹──エルゾとニルシャが、ガタガタと歯の根を鳴らして抱き合っていた。
薄暗く入り組んだ迷路の先からは、絶え間なく冒険者たちの悲鳴と罠が作動する無慈悲な音が響いてくる。
毒矢が飛び交い、床が抜け、酸が降り注ぐ。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
前線を歩かされている冒険者たちは、ゴア・シェルドーという死神に「肉壁」として脅され、半狂乱になりながら自らの命で罠を潰して道を作っている。
「ど、どうする兄貴!? このままじゃ、うちらの番も回ってくるよ! 早くなんとかしてよ!」
「バカ言え! どうにかできるなら、とっくにどうにかしてるわ! いいか、ニルシャ。お前、妹だろ? 兄を立てて、お前が先に様子を見てこい!」
「はぁ!? ふざけないでよ! そういう時は男である兄貴が体を張って妹を守るもんでしょ!? 兄貴が先に行きなよ!」
「テメェ、俺が死んだら誰がお前を養うと思ってんだ!」
「うっさい! 兄貴の稼ぎなんて大したことないくせに!」
極限の恐怖を前に、醜い擦り付け合いを始める兄妹。
その時、二人の背後で「よいしょ」と重い荷物を背負い直す音がした。
「お前さん達、いつまでもそうしてると、後ろから来るあのゴアとかいうのに殺されるんじゃないかのぅ?」
呆れたような声の主は、二人と同じように荷物持ちとして連れてこられた例の老人だった。
彼は血みどろの迷路を前にしても、散歩の途中のような飄々とした態度のままだ。
「うるせぇ爺さん! でも、罠だらけだぞ! ほら、先に行った奴が散々に死んでるだろうが!」
エルゾが涙目で前方を指さす。
「そうだよ! 足を踏み出した瞬間に串刺しだよ! 動けるわけないじゃん!」
ニルシャも便乗して叫ぶ。
老人は「やれやれ」といった様子で、深くため息をついた。
「若いもんは諦めが早いのう……。見ておれ」
老人は巨大な荷物を背負ったまま、よぼよぼとした足取りで前へと歩き出した。
「あっ、おい爺さん! そこの床はさっき奴らが……!」
エルゾが止める間もなく、老人の足が不自然に浮き上がった石畳を踏む──。
ガコンッ!
(死んだ!)
兄妹が目を覆った、その瞬間。
「よっと」
老人は膝の力が抜けたような、不格好なステップを踏んで半歩横へズレた。
直後、彼が先ほどまで立っていた床下から、鋭い槍の束が突き出す!
だが、老人の体にはかすりもしていない。
「……!?」
さらに壁の隙間から毒矢が連続で射出されるが、老人はわざとらしく上体を倒し、見事に矢の軌道を潜り抜けた。
「……はぁ!?」
「う、嘘でしょ……?」
偶然か、それとも奇跡か。
致死の罠が連続で発動する中を、老人は荷物を揺らしながら、のらりくらりと無傷で歩き進んでいく。
神がかった回避劇に、エルゾとニルシャはあんぐりと口を開けて唖然とするしかなかった。
「ふぅ~」
数メートル先で立ち止まった老人は、振り返ってニカッと笑顔を見せた。
「こういう罠はな、動きにクセがあるんじゃよ。仕掛けが少し雑じゃから、多分下位のコボルトが作った罠じゃろうな。上位のダンジョンにいるコボルトの罠ならワシも通りたくないがね」
そして、言った。
「さぁ、ワシのように通り抜けてこい。そこにいたら孤立して魔物に殺されてしまうぞ」
その言葉に兄弟は顔を見合わせる。
そして……
「い、行くしかねぇ……!」
「うん……」
覚悟を決めた兄妹はゆっくりと前に歩み出す。
「ワシの足跡をしっかりなぞって歩くのじゃぞ。半歩でもズレたら串刺しじゃからな」
「わ、わかってるよ!」
「絶対に間違えないでよ、兄貴!」
老人が安全を証明したルートを、エルゾとニルシャがへっぴり腰で慎重に辿る。
ガチャン、カチッ、とすぐ横の壁や床から不気味な動作音が鳴るたびに寿命が縮む思いだったが……不思議なことに、二人とも無傷のまま罠の密集地帯を通り抜けることができた。
「はぁっ、はぁっ……! た、助かった……!」
「ううぅ、生きた心地がしなかったぁ……」
へたり込む兄妹を見下ろし、老人は自慢げに笑う。
「これが一流の荷物持ちの極意じゃ。立派な荷物持ちになりたいなら、よーく覚えておくことじゃな」
「いや、別に荷物持ちになりたいわけじゃないんだが……」
エルゾが思わずツッコミを入れるが、ひとまず致命的な罠を抜けられたことに胸をなでおろした。
だが事態が根本的に改善したわけではない。ここは依然として魔物が徘徊するダンジョンであり、いつどこから襲われるか分からないのだ。
「これからどうするのさ。前に行っても後ろに行っても地獄じゃん」
「そう言うな。そんなに落ち込むことはないぞい。ほら、あれを見い」
不安げに周囲を見回すニルシャに、老人がひょいと迷路の奥を指さした。
「え?」
兄妹が視線を向けた先。迷路の少し開けた空間に、神々しい光を放つ大きな宝箱が開け放たれていた。
そして、その周囲には数人の冒険者たちが目を輝かせて群がっている。
「おぉ……なんだこのアイテムは! 見たことねぇぞ!」
「こっちには武器もある! 魔力が込められてやがる……こりゃ上等なもんだぜ!」
死の恐怖に支配されていたはずの迷路に、突如として歓喜の声が響き渡る。
我先にと宝箱の中身を漁る冒険者たちを見て、老人は背負った荷物を揺らしながら呟いた。
「ダンジョンはこうして宝を生成してくれるからのう。危険なダンジョンほど、実入りも大きいというわけじゃ」
「宝……」
エルゾとニルシャは顔を見合わせた。
確かに一攫千金は詐欺師である彼らにとっても魅力的だ。だが……冷静に考えれば、いくらお宝を手に入れたところで意味がない。
(ゴアがいる限り、見つかったら全部奪われるか殺されるだけだろ……)
エルゾがそう思った、その時だった。
「テメェら……俺に断りもなく、勝手に宝を取りやがって……!」
迷路の奥からゴア・シェルドーが姿を現した。
顔は怒りと疲労で歪み、手にした剣からは赤黒い殺気が漏れ出している。
「ひっ……!」
兄妹は慌てて壁の陰に隠れる。
(終わった……あいつら、殺される!)
エルゾは直感した。
これまでゴアに逆らった者たちがどうなったか、散々見せつけられてきたからだ。
「死ねッ!」
ゴアが一気に距離を詰め、宝箱の前にいた男の首を跳ね飛ばそうと細剣を振るう!
だが──。
ガキンッ!!
「……何!?」
ゴアの必殺の一撃を、分厚い盾を持った前衛が見事に弾き返した。
さらに、両脇から二人の剣士が連携してゴアに斬りかかる。
「チッ……!」
ゴアが舌打ちをして後方に飛び退く。
彼らはただの烏合の衆ではなかった。C級冒険者たちで構成された、連携の取れた歴戦のパーティだったのだ。
「へっ……。全快のテメェならいざ知らず、今の満身創痍のテメェなんざ怖くねぇんだよ」
盾を持ったリーダー格の男が不敵に笑う。
その言葉通り、ゴアの動きは明らかに精彩を欠いていた。
ブラッド・ストーカーとの死闘、3階でのコロシブ・センチピードの酸による疲労。それらが確実に肉体を蝕んでいたのだ。
「ゴミ共が……調子に乗るなッ!」
ゴアが怒り狂い、再び斬りかかる。
だが、疲労で速度が落ちた彼の攻撃はC級パーティの堅牢な陣形に防がれ、手間取ってしまう。
「じゃあな! お宝はありがたく頂いていく! 俺達はここらへんで撤退しとくぜ! せいぜい頑張って、一人でダンジョンに殺されてろ!」
「ゴアのクソ野郎! テメェの悪行はギルドにきっちり報告しておくからな! 万が一このダンジョンから逃げられても、高額の賞金首になって賞金稼ぎに八つ裂きにされるだろうよ!」
手に入れたばかりの魔法の武器やアイテムを袋に詰め込み、C級パーティはゴアを嘲笑いながら、迷路の別ルートへと素早く撤退していく。
ゴアは逃げゆく冒険者たちの背中に向かって、忌々しそうに殺気を撒き散らすことしかできなかった。
Cランクパーティが去った後、壁の陰で息を潜めていたエルゾとニルシャは恐る恐る顔を出した。
周囲を見渡すと迷路のあちこちで生き残った冒険者たちが、ゴアの威圧から解放されたかのように、迷路内に点在する宝箱へと群がり始めているではないか。
「おい、こっちにも箱があるぞ!」
「ゴアの野郎にかまってる暇はねぇ! 俺たちだって! 持てるだけ持ってトンズラするぞ!」
「金貨だ! すげぇ!」
先ほどまで罠の恐怖で泣き叫んでいたはずの人間たちが、今は欲望のままに宝を奪い合っている。
血と泥にまみれた迷路は、一転して強欲の宴と化していた。
その様子を眺めながら、背後の老人がのんびりとした声で呟く。
「おうおう、若いもんは元気があっていいのう」
先ほどまでゴアと罠の恐怖にガタガタと震え上がり「死ぬ、絶対に死ぬぅ!」と抱き合っていた兄妹。
しかし目の前で繰り広げられるお宝の山と欲望で隙だらけの冒険者たちを前にして……彼らの顔から、次第に恐怖の色がえ去っていく。
代わりに浮かび上がったのは、詐欺師としての本能を強烈に刺激された下品で意地汚い笑みだった。
「……兄貴」
ニルシャが、目をギラギラさせながら隣を見た。
「あぁ……」
エルゾもまた、口角を吊り上げて深く頷く。
((こんな美味しい状況、見逃せるわけがねぇ……!))
二人は顔を見合わせると、背負わされていた巨大な荷物を宝を詰め込むための袋として抱え直し、気配を殺して素早く冒険者たちの群れへと紛れ込んでいく。
「あ、ちょっとすいませーん、通してくださーい!」
「お兄さん危ない! 足元に罠が!」
「うおっ!? ……って、あれ!? 俺がさっき箱から出した宝石がねぇ!?」
ゴアの存在も、自分たちが最弱の荷物持ちであることもすっかり頭から抜け落ちた詐欺師兄妹は、どさくさに紛れて宝箱の争奪戦──いや、冒険者たちからのひったくり戦へと、嬉々として参加していった。




