79話
(……おいおいおい、ちょっと待て!)
俺は戦術マップから送られてくる情報を前に、石の身体でガタガタと戦慄していた。
俯瞰視点に映る4階[C] コボルトの迷路。
そこでは、生き残った冒険者たちが欲望剥き出しで、迷路のあちこちに配置された宝箱をこじ開けている
いや、彼らが欲にまみれようが同士討ちしようが知ったことではない。
問題はそこじゃない!
彼らが宝箱をパカッと開けて、中から金貨や魔法のアイテムを取り出して狂喜乱舞する度に──俺の脳裏で最悪のシステム音が鳴り響いているのだ!
《ピロンッ》
(DPが……減ってる!?)
俺は血の気が引く思いで、激しく変動するステータスウィンドウを凝視した。
↓
[宝箱(小)開錠: -500 DP]
↓
[宝箱(中)開錠: -1,000 DP]
↓
[宝箱(中)開錠: -1,000 DP]
「おっしゃあ! 魔剣だ!」
「こっちは宝石だぜ! 一生遊んで暮らせる!」
マップ越しに聞こえてくる冒険者たちの歓声。
それに反比例するように、俺のDPは滝のような勢いで削り取られていく。
(や、やめろ……俺の……俺の血と汗とスライムの結晶がッ!)
退避してきたバウォークやセンチピードの重傷を癒やすために、リナの[ダンジョン・ヒール]でかなりのDPを消費した。
だが、その分を補って余りあるほど、4階のコボルトの迷路は稼いでくれていたのだ。
コボルトの凶悪な罠で冒険者たちが勝手に死にまくり、防衛フェーズの自動増加ボーナスも重なって、一時はついに50,000 DPという大台を突破していたのに!
それが今や、見る見るうちに減っていく。
[宝箱(大)開錠: -5,000 DP]
[現在のDP] 35,000 ……減少中!
(痛い……これは痛すぎる!!)
俺は絶望に打ちひしがれた。
(こ、これが防衛フェーズ開始時にアナウンスされた、『ダンジョン・トレジャー』ギミック……ランダム生成宝箱のペナルティか……!)
あの時は宝箱があるだけでDP自動増加ボーナスがつくなんて浮かれていたが、完全に罠だった!
冒険者が宝箱を開けた瞬間、俺のDPを勝手に消費して、中身の財宝を自動生成しているらしい。
「ひゃっはー! 金貨がザックザクだぁ!」
「兄貴、もっと詰め込めるよ!」
(くそっ……! 欲望で冒険者を足止めできるのはいいが、代償がデカすぎる! こんな自分持ちのボーナス機能、いらん……!)
俺の悲痛な叫びをよそに、迷路での宝箱漁りはまだ続いている。
(あぁ、俺のDPが……)
怒涛の勢いで削られていくDPを前に、俺は完全に意識が遠のきかけていた。
──だが。
(ん?)
戦術マップを虚ろな目で見下ろしていた俺は、ある異変」に気がついた。
迷路の中でひしめき合っていた光点──冒険者の数が急速に減っているのだ。
死んでDPに還元されたわけではない。彼らは迷路の先へ進むのではなく、踵を返して下層へと戻り始めている。
「もうこんな危険なダンジョンに用はねぇ! お宝は手に入れた、あばよ!」
「帰るぞ! ゴアの野郎に見つかる前にズラかれ!」
荷物袋をパンパンに膨らませた冒険者たちが、満面の笑みで撤退していくではないか。
(……あっ!)
そこで俺は雷に打たれたように悟った。
そうか……宝箱は、開けられるとDPを大量に消費するという手痛いペナルティがある。
だが同時に、冒険者の目的を途中で達成させ、ダンジョンから帰還させるという、強力な戦力削減ギミックとしての役割も持っていたのだ。
事実、あれほど大群で押し寄せてきた冒険者たちは、お宝を手に入れたことで戦意を失い、次々と塔の外へと逃げ出している。
(なるほど……! 金を払って厄介払いが出来るなら、安いもんじゃないか!)
俺は手のひらを返し、減っていくDPへの未練を断ち切った。
このまま全員が欲を満たして帰ってくれれば、それで防衛完了だ。
(でも……まだ、一番厄介な奴が……)
俺はマップ上で、赤黒く蠢く危険な光点に意識を向けた。
そこで繰り広げられていたのは、滑稽な光景だった。
「貴様らぁ……! 止まれ! 逃げるんじゃねぇ!」
「ははっ、一人で死んでろ! 俺達は宝が目当てなんでね、テメェの道連れになる義理はねぇんだよ!」
なんと、ゴアが撤退しようとする冒険者たちと争っていた。
ゴアに斬り捨てられる者もいたが、宝を手に入れて「何としても生きて帰る」という執念に燃える冒険者たちは、ゴアの剣を強引に弾き返し、泥臭く躱して、次々と階段を下りて逃げていく。
完全に統率が崩壊していた。
(おぉ……!?よし……! 宝箱のお陰で、ゴアの肉壁になるはずだった連中が、かなり減ったぞ!)
だが、これで終わりではない。
マップ上には、まだいくつか前へと進む光点が残っていたのだ。
「へへっ、今ここで撤退するのは馬鹿のやることだぜ。こんな手つかずのダンジョン、上の階にはもっとすげぇお宝が眠ってるに決まってる。ここで撤退するだなんて勿体ねぇ!」
迷路の奥へ向かって歩みを進めるのは、立派な装備に身を包んだ手練れの冒険者たち。
恐らくC級パーティの連中だ。
彼らは宝を手に入れてもなお、更なる富を求めて進むという底なしの強欲さを持っているようだ。
「ちくしょう……! ゴミ共が……!」
撤退していく背中を見送るしかできなかったゴアが、ギリッと血の滲むような音で歯ぎしりをした。
そして、前を進む強欲なC級冒険者たちの背中を憎悪に満ちた目で睨み付け、吠える。
「こうなったら、この塔にいる魔物を全部ぶっ殺して……すべての宝を、俺一人で手に入れてやる……!」
もはやそこにあるのは、冷徹な暗殺者の顔ではなかった。
プライドを傷つけられ、血と泥にまみれ、狂気と執念だけで動く化け物の姿だ。
ゴアと、手練れの冒険者たちが殺意と欲望を滾らせて5階への階段へ向かっていく。
(……来るか。少数精鋭になった分、ここからが本当の正念場だな)
俺が気を引き締め直した、その時だった。
「ねぇ兄貴。他の連中は逃げてくけど、アタシたちも逃げるべきかなぁ?」
「いやいや、ここはもう少し行くべきだろ! まだ奥にでっかいお宝があるかもしれないし!」
「お前さん達、本当に欲深いのう。命あっての物種じゃぞ」
戦術マップの片隅から、なんだか恐ろしく気の抜けた会話が聞こえてきた気がした。
(ん……? なんだ今の声。気のせいか?)
激戦の最中にそぐわないその声に一瞬意識を持っていかれそうになったが、今はそれどころではない。
とにかく、第4防衛ライン、コボルトの迷路は突破された。
残る冒険者たちが次々と、次なる階層──5階へと足を踏み入れていく。
そこは、[C] 蝙蝠のねぐら。
天井が非常に高く、無数の鍾乳石が牙のように垂れ下がっている薄暗いフロアだ。
上空からの奇襲を得意とする[N]ヴァンパイアバット率いる航空部隊の駐屯地であり、本来なら──。
(本来ならここは、ブラッド・ストーカーが最も輝く最高のホームグラウンドのはずなのに……!)
俺は戦術マップの情報を思い浮かべて思わず石の身を震わせ、悔しさに歯噛みした。
影を操る[R]ブラッド・ストーカーなら、この高低差のある暗闇を縦横無尽に駆け回り、手負いのゴアやC級どもを上空から一方的に蹂躙できたはずなのだ。
だが、今のストーカーは死闘でボロボロになり、リナの懸命な『ダンジョン・ヒール』を受けて眠っている。
命が助かっただけでも儲けものだが、絶好のフロアで彼を起用できないのは、ダンジョンマスターとしてあまりにも惜しかった。
(残された戦力で、どうにか奴らの足を止めるしか──ん?)
焦る俺の視界の端で、一つの力強い光点が動いているのが見えた。
「カカッ」
脳裏に、骨の鳴る音が響いた気がした。
[R]スケルトン・バウォーク。
彼は愛用の巨盾をガチリと構え直すと、階下へと降りている。
後ろには、同じく魔力を回復させた[N]レイスたちや他の魔物たちが従っている。
バウォークの向かう先は──5階。
数で押し切る戦術が通用しなくなった今、奴らが蝙蝠のねぐらに足を踏み入れた瞬間、この実力派の守護騎士と正面から遭遇することになるだろう。
(手負いとはいえ相手はB級の化け物と、油断のならないC級の精鋭だ……)
俺はコアの部屋から、彼の背中に意識を向けた。
(頼む、バウォーク。奴らをそこで──今度こそ完全に食い止めてくれ……!)




