76話
(……よし、なんとか間に合ったか)
塔の11階、[N]闘技場への回廊。
このフロアは元々1階だった場所が押し上げられた巨大な大広間であり、今はリナを保護する絶対防衛ラインの手前、つまり中継拠点として機能している。
そして、そこにボロボロになった防衛部隊が転がり込んできた。
「カッ……」
「ギシャァァ……」
[R]スケルトン・バウォークが、自身の巨体と同じくらいある[R]コロシブ・センチピードを引きずりながら広間へ倒れ込む。
その後ろからは[N]レイスたちがぐったりとした漆黒の影──[R]ブラッド・ストーカーを抱えて現れた。
「バウォークさん! それに、みんなも……!」
待機していたリナが、血相を変えて駆け寄る。
「酷い怪我……っ!」
コロシブ・センチピードの硬い甲殻はゴアの剣によって深く抉られ、赤黒い体液がとめどなく溢れている。
階でゴアと限界を超えた死闘を繰り広げていたブラッド・ストーカーに至っては、全身が切り刻まれ、影の輪郭すら保てないほどの瀕死状態だった。
(死なせるな、リナ! DPならいくらでもある! 全力で治してやってくれ!)
俺は最上階のコアの部屋から、リナの[マナ・リンク]を通じて無尽蔵のDPを送り込む。
「癒やしを……『ダンジョン・ヒール』!!」
リナが[UC]乙女の聖杖を掲げると、広間に清浄なエメラルドグリーンの光が満ち溢れた。
[ダンジョン・メイデン]の規格外の回復力が、魔物たちの深い傷を強引に塞いでいく。
「キィ……」
「ギシャ……」
光を浴びたブラッド・ストーカーとコロシブ・センチピードが、微かに安堵の声を漏らした。
リナは泥と魔物の体液で純白の法衣が汚れるのも構わず、彼らの頭を優しく撫でる。
「大丈夫、もう大丈夫だからね。痛かったね……よく頑張ったね」
言葉は通じなくても、彼女の温かい涙と声は魔物たちに確実に届いている。
彼らはリナの手にすり寄り、安心しきった子供のような仕草を見せた。
(……命は取り留めたな)
俺は彼らのステータスを確認してホッと胸をなでおろした。
だが、同時に厳しい現実も突きつけられる。
命に別状はないが、二体の[R]ランク魔物は深く傷つきすぎた。
ダンジョン・メイデンの回復があるから死なないとはいえ、失った血液や損傷した魔力回路の完全修復にはかなりの時間を要するだろう。
残念だが、今回の防衛戦に彼らが復帰するのは絶望的だ……。
(よくやってくれた。お前たちはここでゆっくり休んでくれ)
俺がそう念じると、二体は悔しそうに唸りながらも静かに目を閉じた。
「カッ!!」
だが、休むことを良しとしない者がいた。
リナの魔法によって装甲と骨のヒビが完全に修復された[R]スケルトン・バウォークだ。
彼は巨大な[R]巨人の城壁盾をガチンと打ち鳴らし、立ち上がる。
眼窩の青い炎はゴアに対する激しい怒りと、ダンジョンを守るという強烈な使命感で燃え盛っていた。
「バウォークさん……下へ行くの?」
リナが心配そうに見上げる。
バウォークは何も言わず、ただ一度だけリナの頭を巨大な骨の手でそっと撫でた。
ここは絶対に守るという、言葉以上の決意がそこにあった。
「カカッ!(死守する!)」
バウォークが踵を返し、修復を終えた[N]レイスや他の防衛部隊の魔物たちを引き連れて、再び下層への階段へと向かっていく。
狙うは、迷路や罠を抜けようとする冒険者たちの迎撃だ。
「……必ず、みんな帰ってきて」
リナは両手で杖を胸に抱きしめ、祈るように彼らの頼もしい背中を見送った。
(絶対に死なせはしない。ここからが、ダンジョンの本当の恐ろしさだ)
ゴアは確かに強い。だが、ここから先のフロアは単純な個人の武力だけで突破できるほど甘くはない。
(次は4階[C]コボルトの迷路だ。……人間の強欲さと猜疑心、たっぷりと利用させてもらうぞ)
俺は冷徹なダンジョンマスターの視点に切り替え、俯瞰できる[戦術マップ]を睨みつけた。
♢ ♢ ♢
「進め! 止まったらゴアに殺されるぞ!」
「でも、この先はどうなってるか分からねえ!」
泥と酸にまみれ疲労困憊の冒険者たちが、背後から迫るゴアの恐怖に急き立てられるようにして4階へと駆け上がってくる 。
だが、彼らが足を踏み入れたのは広大な広間でも直線の回廊でもなかった。
そこは、[C] コボルトの迷路 。
人二人が並んで歩くのがやっとの、狭く薄暗い通路が複雑に入り組んだエリアだ。
見渡す限りの石壁。行き止まり。無数の分岐点。
ただでさえ視界が悪いのに、松明の光が届かない死角がそこかしこに存在している。
「おい、どっちだ!? 右か左か!」
「知るかよ! 分かれて進むなよ、はぐれたら終わりだ!」
[戦術マップ]を通して俯瞰する俺の目には、冒険者たちが迷宮の中で右往左往し、少しずつ集団が分断されていく様が手に取るように分かった。
(さあ、コボルトたち。お前たちの狩場だ。存分に歓迎してやれ)
俺が念じると、壁の裏側や床下で待機していた[UC]コボルト部隊が、「キャンキャン!」と嬉しそうに尻尾を振って持ち場についた 。
直接的な戦闘はない。
だが、ここは精神と命を削る殺戮の迷路だ。
カチッ……。
先頭を歩いていた冒険者が、微かな音を立てて床の石を踏み沈めた。
「あ……」
ガコンッ!!
「ぎゃあああッ!?」
突然、足元の床が開き、男は底に無数の槍が仕掛けられた落とし穴へと姿を消した 。
「落とし穴だ! 足元に気をつけろ!」
「壁にも隙間が……ヒィッ!?」
シュガッ!!
警告の声が終わるより早く、今度は壁の隙間から巨大なギロチンの刃が振り子のように飛び出し、横を歩いていた男を両断する。
「ひ、ひぃぃぃッ!!」
「罠だらけじゃねえか! 戻る! 俺は戻るぞ!」
パニックを起こした一人が踵を返そうとするが、後ろからはゴアに脅された後続の冒険者たちが雪崩のように押し寄せてくる 。
「押すな! 前は罠だ!」
「ふざけるな、後ろにはゴアがいるんだぞ! 進むしかねえんだよ!」
「テメェが罠の盾になれや!」
極限の恐怖と閉鎖空間が、冒険者たちの理性を完全に焼き尽くしていた。
ゴアという絶対的な恐怖から逃れるため、彼らは前方の仲間を文字通り肉壁として突き飛ばし、無理やり罠を作動させて道を作ろうとする。
「やめろ、押すな! ぎゃあっ!?」
「毒矢が……! 目が、目が焼けるぅぅッ!」
ドンッ、ガシャァァン!
仲間を突き飛ばした衝撃で、さらに別の罠が連鎖的に発動する。
飛び交う毒矢。床から突き出す串刺しの罠。頭上から降り注ぐ硫酸の瓶。
魔物との直接的な戦闘は一切ない。
姿の見えないコボルトたちが、壁の裏側で安全にレバーを引いているだけだ。
それなのに冒険者たちは勝手に疑心暗鬼に陥り、同士討ちを始め、自ら罠へと飛び込んでいく。
(……えげつないな)
俺は俯瞰マップで次々と光の粒子に変わっていく冒険者たちを見下ろしながら、人間の業の深さに戦慄していた。
ゴアに脅されているとはいえ、彼らは自らの欲望でこの塔に入り、そして保身のために仲間を蹴落として自滅していく 。
チャリン、チャリン、と。
俺の脳裏で、彼らの命がDPへと変換される小気味良い音が鳴り続けている……。
(コボルトたち、いい仕事だ。……だが、ゴアはどう動いてる?)
俺はマップ上の、最も後方にいるはずの危険な光点──ゴア・シェルドーの位置を探した。
そして……俺の視線は、迷路の中を突き進む一つの強烈な存在に釘付けになった。
「どけ。立ち止まるな」
冷徹な声と共に、ゴア・シェルドーが迷路の角を曲がる。
前を歩いていた冒険者が落とし穴の罠にかかって悲鳴を上げながら消えていくが、ゴアの表情はピクリとも動かない。
むしろパニックになって引き返そうとする冒険者を容赦なく蹴り飛ばし、新たな罠を発動させるための石ころのように扱って歩みを進めている。
だが、ゴアの恐ろしさはその残忍さだけではない。
ヒュンッ!
迷路の死角から、コボルトの放った毒矢がゴアの首筋を鋭く狙う。
だが──。
カィンッ!
ゴアは視線すら向けず、手首を返すだけの最小限の動きで、矢を細剣の腹で弾き落とした。
さらに目の前の床が崩れ落ちて落とし穴が広がっても、AGI 98というデタラメな身体能力による[瞬歩]で、軽々と飛び越えてみせる。
壁から飛び出すギロチンに至っては、刃が迫る一瞬の隙に、薄い刃の上を蹴ってやり過ごすという神業まで披露していた。
(な、なんだあの動き……!)
俺は戦慄した。
肉壁を使っているのは、単に自分が少しでも傷を負う確率をゼロに近づけるためであって、罠に対応できないわけじゃないのだ。
やっぱりこいつはただの残酷な奴じゃない。圧倒的な実力と戦闘センスを伴った、正真正銘の化け物だ──!
(あいつをこのまま進ませるわけにはいかないぞ……ん?)
その時だった。
ゴアの驚異的な突破力に焦りを覚えながら[戦術マップ]を見渡していた俺は、ふと、迷路のさらに後方──入り口付近の安全圏に、奇妙な動きをする光点があることに気がついた。
パニックと殺戮が繰り広げられている前線からは遠く離れた場所。
そこに、コソコソと壁を伝うように歩く三つの影があった。
(誰だ……? あんな後ろに、まだ生き残りがいたのか?)
俺はマップの視点をズームし、その三人の姿を画面に映し出した。
(軽装の男と……女と……それに、荷物を背負った爺さん……?)
ゴアの放つ死のプレッシャーからもコボルトの凶悪な罠からも運良く逃れ、生き延びている異質な三人組の姿が、そこにあった。




