144 死天使軍団
ガブールは悟った。長きにわたって練り上げた計画が、音を立てて崩れ去ったことを。
教皇を洗脳するために費やした年月は、料理長の新作メニューを一口つまみ食いされたことで、あっけなく無に帰した。さらに、起死回生の切り札として放った「奇跡の水」によるアーサニクの民の洗脳計画も、信徒タミルの愚行によって水泡に帰す。
だが、すべてが終わったわけではない。
最後の賭け——2000体の亜天使と不死の魔物を用いた受肉実験。その結果は、予想を遥かに超えていた。
成功体数、百。しかも、受肉したドミニオンたちは知性を持たず、ただ命令に従うだけの存在となっていた。
ベルゼーはその光景を見て、確信する。神はまだ、自分を見放してはいないのだと。
「まさか、不死の魔物での受肉が成功するとはな……。イ・モータル殿には、二千体もの死体》を用意してもらったこと、感謝せねばなるまいな」
思考を持たぬ兵士たちは、ある意味で理想的な戦力。命令に忠実で、迷いもなく、ただ破壊のために動く存在。ベルゼーの口元が、ゆっくりと歪んだ。
この軍勢を教皇にぶつけ、アスターの相手は自らの手で葬り去る。そうすれば、ダンジョン『絶対なる審判』は守護使たる我ガブールのものになるのだ。アーサニクの町は主天使の餌にでもしてやろう。
勝利は、すぐそこにある。その確信に、私は身震いした。
その頃、教皇はいつものように厨房で「味見」と称してアースのつまみ食いをしていた。
アースの料理は教皇の力を格段に上げていた。が本人はまだそのことに気づいていなかった。
そのとき、扉が勢いよく開いた。神官が駆け込み、顔面蒼白で叫ぶ。
「教皇様!アーサニクの北門に、正体不明の軍勢が迫っています!」
「軍勢?どこから?」
「……不明です。ただ、目撃者の話では……死者が歩いていると……!」
教皇はスプーンを置き、ゆっくりと立ち上がった。……かと思えば、再びスプーンを手に取り、改めて一口。そして、二口、三口。そのまま何事もなかったかのように、最後の一滴までスープを平らげた。
「だって、美味しいんだもん……」
満足げに呟く教皇の姿に、神官たちは顔を見合わせた。この緊急事態に、まるで動揺の色を見せないその態度が、かえって不安を煽る。まるで、何かが決定的にズレているような、そんな不気味さがあった。
同時刻、コフィンの内部では、見たこともない異形の魔物が突如として出現した。信徒たちは即座に応戦するも、その圧倒的な力の前に、次々と蹂躙されていく。
「下がれ!下級信徒では太刀打ちできん!教皇様はまだか!? ……ベルゼーはどこだ!?」
怒号を飛ばしながら、不死の魔物が受肉した亜天使――《死天使》と激しく斬り結ぶアスター。そのもとへ、カオス派のNo.2、タミルが血相を変えて駆け寄ってきた。
「アスター様! お伝えしなければならないことが……!」
タミルは息を切らしながら、苦悶の表情で言葉を続けた。
「ベルゼー様が……アースさんの“氷蜜”を口にした瞬間、ようやく気づかれたのです。『選定の儀』の時から、ずっと……ガブール様に、洗脳されていたと……!」
その声は震え、懇願の色を帯びていた。
「アスター様……こんなことをお願いする資格がないのは重々承知しております。ですが……どうか、どうかベルゼー様を……助けてください……!」
「下がれ!下級信徒では歯が立たん!教皇様はまだか!? ……ベルゼーは、どこだっ!?」
不死の魔物をその身に宿した亜天使――死天使との激闘の最中、アスターのもとへカオス派のNo.2、タミルが血相を変えて駆け込んできた。
「アスター様っ、申し上げたいことが……!」
「タミルか! ベルゼーはどうした!? この化け物は、今までの連中とは格が違う。一桁ナンバーの信徒でなければ、太刀打ちできん!」
アスターの怒号に、タミルは顔を歪め、唇を震わせながら言葉を絞り出した。
「ベルゼー様は……アースさんの“氷蜜”を口にした瞬間、ようやく気づかれたのです。ずっと……『選定の儀』の時から、自身の亜天使ガブール様に……洗脳されていたと……!」
その声には、悔しさと悲しみが滲んでいた。タミルは地に膝をつき、アスターに懇願する。
「アスター様……こんなことをお願いする資格がないのは、重々承知しております。ですが……どうか、どうかベルゼー様を……あのお方を、救ってください……!」
その瞬間、戦場の中心――黒きコフィンの中に現れた死天使の姿が、アスターの目に焼き付いた。
その顔は、紛れもなくガブールに魂を蝕まれた、ベルゼーだった。
左手に皿を、右手にスプーンを握りしめた教皇が、アーサニクの北門に仁王立ちしていた。
その眼前には、デスボーン、ガスト、ゴーストといった不死の魔物たちの軍勢が、町を目指して迫ってくる。
「ほふっふはめ、ほふぇはほひひふんへへふへふ」
「教皇様、口に物を入れたまま喋っても、誰にも伝わりませんってば!」
もぐもぐと口を動かしながら、教皇は咀嚼を終えると、ゆっくりとスプーンを皿に置いた。
その目が、迫り来る不死の軍勢を鋭く射抜く。
「もぐもぐ、ごくん! 貴様ら――この法国に足を踏み入れて、タダで済むと思うな!!」
その声が響いた瞬間、空気が震えた。教皇の足元から、淡い光がじわりと広がっていく。地面に刻まれた複雑な紋様が、まるで生き物のように脈動しながら姿を現した。
それはただの魔方陣ではなかった。北門を中心に、半径一キロにも及ぶ巨大な陣が、地面一帯を覆い尽くしていたのだ。その規模に、不死の軍勢すら一瞬たじろぐ。
教皇が静かに両手を掲げ、荘厳な声で呪文を紡ぎ始める。言葉の一つひとつが空気を震わせ、魔方陣の光が次第に強さを増していく。
そして――
「聖浄滅界!」
その言葉と同時に、魔方陣が閃光を放った。まばゆい光が一瞬で辺りを包み、不死の魔物たちは悲鳴を上げる間もなく、蒸気となって消え去った。
まるで、そこに何もなかったかのように。




