第九話、満身創痍の逆転劇
第九話、満身創痍の逆転劇
ひとは何日寝ないと死んでしまうのか、知りたい気がするし知りたくない気もする。
不眠不休で起き続けていると、睡魔がなくなり気分がハイになる。それから、しばらく躁状態が続くが、次第に膝や腰が身体の不調を訴えはじめる。小便は、エナジードリンクの成分と疲労のせいでまっ黄色になるし、あくびを噛み殺すと、謎の吐き気に襲われる。
流石に、死ぬと思った。
なのでぼくは、授業時間を睡眠にあてることに決めた。勿論、教師は腹を立てる。ぼくを叱責し、見せしめとして廊下に立たされる。しかし、ぼくは廊下でも寝る。六限目終了のチャイムが鳴ると、夢遊病患者のような顔でふらふらと旧校舎へ向かう。
文芸部室の戸を開くと、部屋の隅で彩色の作業をする九条と目が合う。ぼくが夢遊病患者なら、九条はまるで死人のようだった。授業には顔を出さす、部室に泊まり込みで黙々と作業をこなしている。髪は脂がういて妙にてかっており、眼の下には深刻なくまが浮かんでいる。そのうち即身仏にでもなって、どこかの修行増が拝みにくるのではないかと不安になる。
「お前、何日寝てない?」
「ずっと寝てない。そもそも、起き続けて何日たったのか覚えてない」
「そうか」
好奇心で聞いてしまったことを、ぼくは後悔した。
「心配しなくていい」
しかし九条は健気に言う。死人のような顔だが、その眼にはまだ覇気があった。背面からPCの画面を覗き込むと、九条は下塗りの作業を終えPhotoshopで影絵をつけている最中だった。立ち絵のみならず、イベントCG三枚分も同時並行で作業を進めている。
「シナリオ添削しておいた」
画面から目を離さずに、九条はテーブルの原稿用紙を指さす。
そのうえぼくのシナリオのチェックまでしなくてはならないのだ。九条の負担は明らかに大きい。だけど、九条は文句や弱音の類をひとつも吐かなかった。
「ありがとう」
ぼくは礼を言い、赤ペンで訂正のあった箇所の修正作業にはいる。
日が落ちると、部屋の隅で丸くなっていた河野がもぞもぞと動き出した。寝ぼけまなこをこすりながらPCの電源を入れ、カフェインの錠剤を口に含む。
「河野。今日は帰れよ」
「いいのか?」
「ああ、情けない話だけど、明日にならないとお前の作業分のシナリオあがらない。今日は家の布団で寝だめして、明日に備えてくれ」
「わかった。悪いな」
「あとお前、錠剤をラムネみたいにかみ砕く癖やめろ」
帰り支度する河野にいって、パソコンに向かう。
シナリオを書いていると、どうしても気持ちが神経質になってしまう。自分が書く文章がちゃんと意味の通ったものになっているか不安になってくる。漢字とひらがなのバランスや句読点の位置が気になってくる。類語辞典とにらめっこしているうちに、貴重な時間が過ぎていく。
「漆原君」
河野は部室をでてどれくらい時間が経っただろうか。
部屋の隅の九条がぼくに声をかけてきた。
「うん?」
時計を見ると、深夜二時をまわったところだった。
「わたしがどうしてエロゲーを好きになったのか聞きたい?」
「シナリオ一本書きあげるまでは、秘密なんじゃなかったのか」
「前貸ししてあげる」
「プレッシャー感じるんだけど」
思わず苦笑してしまう。
「それに、口を動かしていないと寝落ちしてしまいそう」
九条は欠伸を噛み殺して、鼻をすすった。
「なるほどな。いいよ、聞かせてくれよ」
ぼくはキーボードから指を離し、背もたれにもたれた。
「書きながら聞きなさい」
「……無茶言うなよ」
半眼になってぼくを睨んだ九条は、それから昔話をはじめた。
九条の父親は、有名な純文学作家だ。そして猫町というガレージバンドもやっている。それはぼくも知っていることだった。芸術的な才能があり、社会的成功を収めた文化人。しかし、芸術家としては百点満点であるその男も(九条は自分の親父をその男と呼んだ)父親としては、立派な人間ではなかったそうだ。創作に行き詰まるとラムミルクと山崎のウィスキーを飲み、酔っては暴れることがあったとか。九条の母親は無名の舞台女優だった。下北沢の小屋で演劇をしていたところ、当時同じく無名だった父親に口説かれた、というのが両親の馴れ初めらしく、しかし母親は九条が小さいころにでていってしまったそうだ。父親の度重なる暴力と、放埓な女性関係に嫌気がさしたのだろうと、九条は乾いた笑みで見解を示した。
「この傷もあの男につけられたんだ」
九条が服の袖をめくると、白く、細い腕に紫の傷跡が浮かんでいた。父親が愛用するテレキャスター・シンラインをあやまって倒してしまったときに、コイーバという葉巻を腕に押し付けられた。そのときにできた傷だと九条は語った。
「反抗がしたかったんだと思う」
だから、九条はアダルトゲームに手を出した。それは九条が考えた抵抗、高尚な芸術や文学を愛する父親への、ささやかな反抗だった。
「だけどそれがとても面白かった。わたしにとっての光になった」と、九条は幾分遠い目をして笑った。親の目を盗み、アダルトゲームをプレイする。そして、たくさんの物語に触れていく。それが最低な生活を送る九条の、唯一の支えだったのかもしれない。
──エロゲーは、なにも女の子の裸でマスをかくだけのゲームじゃないんだ。なかには、画面が涙でみえなくなるくらい感動し、一生こころにのこる作品もある。そして、わたしはそういうゲームをつくるために、きっとこの世に生まれてきたんだと思うの。
ぼくははじめて出会ったとき、九条が言っていたことを思い出した。
九条は本気なのだ。
はじめから、そして今だってそうだ。
「なら、頑張らないとな。九条。ぼくたちこれから、もっともっと頑張らなきゃな」
しかし、返答はなかった。
「ZZZ」
古典的ないびきをかきながら、九条は熟睡している。
「……なんだかな」
ぼくはつぶやいて、キーボードを叩き始める。
ここ一か月で、ぼくは様々な経験をした。
バスケ部を辞めて、エロゲーを始めた。九条と出会い、河野も仲間に引きずり込んだ。
散々な活動だったと思う、ほんとうに。廃部騒動でごたついたと思ったら、部室の備品がおしゃかになって、オマケに部長が停学になる始末。
それでも、自分にできることを頑張ったつもりだ。衝突も、もちろんあった。はじめて河野を本気で殴ったし、永田の件で、バスケに対する未練も断ち切ることができた。
そして、ぼくはいまシナリオを書いている。部長がすやすや寝息を立てている横で、文章を書いている。
夜の底が白み、山の稜線が煌々と輝き始め、やがて朝が来る。
採光窓を開くと、草の香りがした。
新鮮な外の香りを肺いっぱい吸い込み、ぼくは誰に聞かせるでもなくこういった。
「これは、ぼくの決意表明だ」
こうして、ぼくのシナリオは完成した。
ぼくたち、岩城第三高校文芸部のシナリオが完成した。




