その三
「いつかお前言ったよな。忘れたとは言わせないぜ、お前は確かにぼくにこう言ったんだ!
夢に殺される覚悟はできているか? って」
「ええ、確かに言ったわ。言った! でも、わたしは……、」
「九条、ぼくはできたぞ。お前の言ってた覚悟ができた!」
九条の声をかき消すように、大声で叫ぶ。
「お前だって、ほんとはつくりたいんだろ、エロゲーが! だけど、お前は恐れてる、怯えている! 馬鹿にされるのがこわくて、したいことをせずに、自分の夢から逃げている!」
「あなたに何がわかるの!」
「わかるさ、わかるに決まってんだろ! この一か月、ずっとお前をとなりで見てきたんだ! エロゲー談議で盛り上がるお前! ぼくのシナリオを真面目腐った顔で添削するお前! ペンタブ握る手に力こめて何時間もパソコンとにらめっこしてたお前! 誰に馬鹿にされたって気にすんなよ、そいつらは片っ端からぼくがぶん殴ってやる! あんなに綺麗な目をして夢を語っていたお前が、こんなところでへこたれてどうするんだよ!」
後半は、ほとんど涙声だった。
みっともないと思う。情けないとも思う。
でももう、後悔なんてしたくなかった。
諦めて、逃げて、そうして送ることになる変哲のない日々に、価値なんて微塵もないことをぼくは知っているから。
「もう一度だ。いや、何度だってぼくたちは立ち上がろう。たとえ、烏合の衆だって、空を目指すことはできる。太陽に届くのかは判らない。待つのはただの破滅なのかもしれない。でも、それでもぼくは空を目指したい。お前だってそうだろ、九条?」
「……そうね」
鼻をすする音が聞こえた。ぼくのものなのか、それとも九条のものなのかは判らない。
「わかったらさっさと家からでてこい。ちょっと外、見てみろ」
「え?」
九条家のカーテンが開いた。
道路を挟んで向かい側の公園に待機していたぼくと、九条の目が合う。
「わざわざ家まで?」
「ああ、里崎先生から住所聞いてな。自転車ですっ飛んできた」
「そう……、」
まったく救いようのない馬鹿なんだから……。そんなつぶやきを最後に九条は通話を切った。
数分後、制服姿の九条が道路をわたりぼくのもとへ駆けてきた。
「遅かったじゃないか」
「これでも急いで支度したの。ほんとうはお風呂にもはいりたかったのに」
「そんなに臭うのか?」
言って頭を掴み、
「ちょっ、やめなさい!」
「痛い!」
脛を蹴られた。
「……お前、本気で蹴っただろ。いま」
地面に座り込み、ぼくは青くなった前足を撫でた。
「わたしは、あなたの倒錯的願望を満たす道具じゃないの」
仕方のない顔をして、九条はぼくに手を差し伸べる。
「立てる?」
「ああ」
ぼくは、その手を今度は迷わず掴んで立ち上がった。
「手伝う? わたしの夢」
といって九条は笑った。
「なんて、傲慢なやつなんだ」
といってぼくも笑う。
その意外過ぎるほど無邪気な笑みに、自然と胸を高鳴らせながら。
「……お尻が痛い」
蒼くおおきな月が浮かぶ通学路を、ぼくたちは自転車でくだっていく。風の涼し気な気持ちのいい夜だった。しかし、荷台に尻を乗せた九条は少しの段差でも少女のような悲鳴をあげた。それがぼくには愉快で、わざとハンドルの進路を舗装されていない道に向けたりして遊んでいると、
「……漆原君?」
腰をつかむ手に、こころなしか力がこもる。
「もうしないから」
正直に白状し、ぼくはペダルを漕ぐ力を速めた。
「もう……、」
嘆息すると、九条はそれきりなにも言わなかった。
「なんで、こんなやつ部員に誘ったんだろって思ってるだろ?」
「あら、珍しく勘が鋭いのね」
「悪いが、最後まで付き合うから覚悟しろよ」
「とんだ疫病神」
ほんと困ったことになった、と九条は微苦笑を浮かべ、それから聞こえないくらいの声で、こう呟いた。
──好きになることって、選べないのね。
「え?」
後ろを振り返ると、
「え?」
と九条も顔を真っ赤にして問い返す。それはつまりそういうことなのか──、そう問う暇もなく、九条は素早い動作でぼくのふくらはぎを蹴った。
「お前、なにすんだよ!」
「いいから、もっと速く漕ぎなさい」
九条は、ぼくの両肩に手を置くと、うんと背伸びをするように全身で向かい風を浴びる。そして前方にびしっと人差し指を向け、まるで全体を指揮する将軍様かなんかのように、やけに気持ちよさげな口調でこういった。
「烏合の衆よ、空を飛べ」




