その六
翌朝、学校に到着したぼくは真っ先に、普段なら決して寄り付くことのない特進クラスに向かった。私語もせずに無心で机に向かうガリ勉集団。落ちこぼれの嫉妬から、勝手に特進クラスへそんなイメージを抱いていたのだが、今日はなぜだかやけに騒がしかった。
そっと、戸口のガラス越しに中の様子をうかがうと、クラス中が黒板に好奇の視線を向けていた。ぼくもつられて黒板を見る。そこには赤色のチョークでこんなことが書かれていた。
九条華夜子はエロゲ好きの淫乱娘。
血の気がひいていく思いだった。
ちょっと、やり方が古典的すぎるんじゃないか。
ぼくは教室に踏み込んだ。黒板消しを手に取って、風呂場の黒カビをこすり落とすように文字を消していく。周囲からほのかにさざ波のようなざわめきがあがった。腹が立ったぼくは、俊足ランナーを一塁に置いた技巧派左腕のような顔つきで周囲をけん制する。そして、教室の隅で腕組みをする九条と視線がぶつかった。
なんでちょっとはた迷惑そうな顔してんだよ。
相変わらずな態度の九条に形容しがたい気持ちになったぼくは、とりあえず九条の腕を掴
んで廊下まで引っ張り出す。
「一夜にして有名人ね」
「……軽口叩く暇あったら状況改善する努力しようぜ」
「だってあそこに書いてあることは事実だもの。否定のしようがないじゃない」
「……せめて、淫乱娘だけは否定しようぜ」
「他人よりその手のことに対する好奇心は強いと自負しているわ」
呆れてものも言えなくなる。
「それに、状況を改善しようにも、一か月の自宅謹慎を言い渡されたわたしにできることは少ないでしょうね」
「一か月だって?」
それじゃあ、部活は……。
答えを聞くのが怖くなり、ぼくは下唇を噛んだ。
九条も、ぼくが閉口した理由に見当がついたのだろう。珍しく歯切れの悪い態度で押し黙り、何を伝えるべきか考えあぐねている様子だった。
始業開始のベルが鳴る。
「一つだけ聞いていいか?」
急いた声色でぼくは言う。
「ええ」
「謹慎の理由、あれは事実なのか?」
すると九条は虚を突かれたように、咳払いのような笑い声をこぼした。
「エロゲーユーザーを見くびらないで。前にも似たようなこといったでしょう? 泣きゲーと純愛の間には切っても切れない縁があるってね」
わたし、抜きゲーには興味ないの。
そういって胸を張る九条の顔に、ぼくはなぜだか胸がつまってしまった。
声を発しようにも、喉がきゅっとしまってしまい、適当な言葉がでてこなくなる。
そんなぼくを見かねた九条は、眉をハの字にして困ったように笑う。
そんな顔するなよ、九条。とぼくは思う。お前は、傲慢不遜な態度で部室にふんぞりかえっていればいいんだよ。ぼくたちに無理難題吹っ掛けて、飯も食わさずに大好きなエロゲーの講義でもしていればいいんだよ。
一時限目の教師陣が、続々と各教室へはいっていく。
「漆原くん、ごめんなさいね」と九条は言った。それはぼくが九条の口から、一番聞きたくない言葉だった。
「短い時間だったけどありがとう。授業、はじまるわよ」
ぼくは、なにも言うことができない。
遠ざかっていく九条の、その小さな背中を、見つめつづけることしかできなかった。
教室へ戻ると、幸運なことに一時限目は現国の授業だった。
里崎先生は、数分遅刻したぼくにたいして、土曜日の図書室のような静かな声色で着席をうながすと、そのまま授業を再開した。




