その四
翌日の放課後、ぼくはいつも通り部室に一番乗りした。南京錠の鍵を開け、電気を点け、それでも間取りのせいか薄暗く閑寂とした部室内の雰囲気が、ぼくはわりと好きだった。石の下を好む虫やミミズかなんかのように、案外根暗な部分がぼくにはあるのかもしれない。
コーヒーを入れるためのお湯をポットで沸かしているあいだ、ぼくは自前の湯飲みを片手に本棚を眺めていた。ぼくは語彙力を高める目的で、少しづつ小説にも手をつけるようにしている。中村文則やサリンジャーみたいな国内外の作家にも背伸びして手を付けているけれど、これが存外面白かった。
「あれ?」
あ行から順繰りに背表紙を追っていたぼくの目が重松清の「疾走」に行き当たったところでとまった。
「おかしいな」
小説そのものがということではなく、順番がおかしかった。レイモンド・チャンドラーの小説の右隣にそれが並んでいたのである。
ぼくは「疾走」をもとの位置に戻すと、湯飲みにコーヒーの粉末を入れお湯にとかした。座椅子に腰をおろしてしばらく考えごとをし、それからパソコンの電源をいれてワードのファイルを開いた。
ほどなくすると、九条がやってきて部屋の隅に座り込む。パソコンパラダイス(エロゲ情報誌)のバックナンバーをパラ見し、それから安倍吉俊の原画集を舐めるように見回すと、気分が乗ってきたのが線画の作業に入った。
最後にやってきたのは河野だった。菓子パンを食べ終わると、キャラメルマキアートをすすりながら付箋だらけの参考書を黙読しはじめる。アプリケーションを起動し作業を進め、前景レイヤに表示されたフリー素材のキャラクターが思い通りの場面でフェードアウトしたのを確認し、満足げに二度うなずいた。
いつも通りの文芸部の風景だった。
「ちょっといいか」
そこに里崎先生が現れる。
そして、その隣には教頭も並んでいた。
「珍しいですね。どうしたんです?」
河野がキャラメルマキアートを片手に立ち上がる。
「結論からいうと文芸部は廃部だ」
ジェルでペタペタになったオールバックを、手のひらでなでつけながら教頭がいう。
「え。廃部、ですか?」
ぼくは思わず聞き返してしまう。
ペンタブを握る九条の動きがとまる。九条は、教頭の目の前まで早足で向かう。途中、河野と肩がぶつかり、河野はその衝撃で手持ちのキャラメルマキアートを床にぶちまけてしまった。
「廃部って、どういうことですか?」
教頭を刺しかねない勢いだった。
「俺のキャラメルマキアートが!」
河野があたまを抱えて強く叫んだ。
「今日の職員会議で決まったことだ。実は部活動全体の活動予算が数年前からあがっていてな、解決策として活動実績のない部活は廃部にする方向で結論がでた」
にべもなく教頭はいう。
そして、やり玉にあげられたのが文芸部というわけか。
「決定事項なんですか?」とぼくは問う。
「確定じゃない。……あくまでも現段階では」
里崎先生が答える。
「現段階?」
話の方向性が見えてこなかった。
「つまり、部活としてきちんと活動していることの証明として、活動実績を提出しろということですか?」
「さすが、九条わかりが早くて助かるよ」
「……俺のキャラメルマキアートが」
「期限は?」
九条は教頭にも物怖じせず、鋭い目つきでそうたずねた。
「今月中だ。それができなければ来月からこの部室は演劇部の用具置き場になる」
「今月中って、あと3週間ちょっとですよね」ぼくは、スマートフォンのカレンダーをタップして残り日数を数える。「今日をのぞけば、あと二十四日間ですよ? いくらなんでも話が急すぎるような。それにいきなり活動実績と言われても」
なにかのあてつけか、それともただの嫌がらせとしか思えなかった。
「すまない。これでも譲歩してもらったほうなんだ」
「いやいや、別に里崎先生に非があるわけじゃないですよ」
悄然としてうつむく里崎先生を励ましながら、ぼくは九条を一瞥する。
彼女は人差し指を口元にあててしばらく考え込むと、思い立ったようにこう言った。
「──ノベルゲームを活動実績として提出しましょう」
「本気か?」
「ええ、もちろん」
定規でひいたようにまっすぐな目をして、九条はぼくに頷きかえす。
「ノベルゲームぅ?」
教頭は、くだらないとばかりに、わざとらしく顔をしかめた。
「まあ、いい。今月中にそのノベルゲームとかなんとかいうやつを提出できなければ、この部活は廃部だ」
「教頭。もとい、演劇部顧問さん」
「なんだ?」
帰りがけの背中に九条が宣戦布告の矢を放つ。
「なんでも、あなたの思い通りには行きませんよ。活動費が欲しければ、ポケットマネーをだしなさい。倉庫が欲しければ、他の空き教室をあたりなさい」
「……今月末を楽しみにしているぞ、九条」
そんな捨て台詞を吐いて、教頭は部室をあとにした。
嵐が過ぎ去った心境で、ぼくは座椅子に座り込む。
座り込んで、考える。
しかし、実際問題間に合うのだろうか。線画は未完成、プログラムも練習段階、ことシナリオにいたってはプロットすら確定しないまま書き進めてしまっている。
「試練だと思えばいいわ」
みかねたように言って、九条はその場に立ち上がった。
「あの業界では納期に追われるなんて日常茶飯事なことなんだから。マスターアップの告知をしてから、デバックでおおきなバクが見つかり社内全体てんやわんやー、なんて話はね」
そんなに不安そうな顔をしていただろうか。
珍しく冗談めかしたことをいった九条は、チロリと桜色の舌をだしてやはり不敵に笑う。
「ちなみに、こっちの心配は不要だ。吉里吉里の動かし方なら、おおよそ理解できたつもりだからな。あとはシナリオと立ち絵さえ用意してくれれば、教師陣を納得させられるだけの代物をつくる自信はある」
マキアート・ショックから立ち上がった河野が、どんと胸をはった。
「発売延期なんてオチは、許されないんだもんな」
ようやく決心がついたぼくも、二人を真似て軽口をたたく。
「そう。末期、少女病や太陽の子のようにね」
「具体例をだすな」
「ドグラQや霊長流離オクルトゥムのようにな」
「いやだから、具体例をだすなっての」
……しかし、はたして、ほんとうに大丈夫なのだろうか?




