その八
今でこそ想像がつかないが、河野は中学時代、校内で名の通った美少年だった。未成熟で愛らしく、それでいてどこか影のある雰囲気がお姉さまがたのツボを押さえたらしく、やはり上級生から絶大なる支持を得ていた。
ある日のことである。
「漆原、これを見てくれよ」
可愛らしい兎の絵がプリントされた便せんが、ぼくの机に置かれる。
「放課後、体育館倉庫できみをまつ」
「これ、どう思う?」
「どう思うもなにも」
おそらく、というかかなりの確率でラブレターだった。
「行ったほうがいいのだろうか?」
「告白を断る、断らないはぬきにして、迷っているなら行ったほうがいいんじゃないか? 勇気を振りしぼってくれた彼女の気持ちを無碍にするのもどうかと思うし」
──不安だから途中までついてきてくれないか。
懇願に根負けしたぼくはその日の放課後、河野をひきつれて体育館へと向かった。
「ほんとうに俺であってるんだろうか。手紙いれる下駄箱間違えましたってオチだけは勘弁してほしいぞ」
「ここまできて弱気な発言してどうすんだよ。べつに、間違えたなら間違えたでも、可愛い子なら連絡先でも交換してしまえばいいんだよ。そこからいたずらな恋に発展する可能性だってあるだろうし」
淡い期待と、それにともなう青臭い煩悶が男二人をそわそわとさせていた。
しかし、そんなぼくたちを待ち受けていたのは屈強な女性柔道部員三名だった。三者三様にどこか野性味溢れるドラクエのラスボスのような風貌、もとい風格が漂っており、ぼくは思わずいたずらな恋というよりも、いたずらな故意を勘ぐってしまった。
「「「わたしたち、河野くんのことがずっと前から好きでした‼」」」
3倍界王拳、という感じである。
河野の目からひかりが消える。
無理もないと思う。しかし、現実は非常なのである。
お姉さまが方は河野を軽々と持ち上げると、そのまま倉庫へ歩を進めた。河野と目が合う。まな板の上の鯉のような顔をしていた。あたまのなかでドナドナが流れた。なにか、よからぬ気配がする。
「させるか!」
ぼくは叫んで、勇猛果敢に彼女たちへ立ち向かうも、
「ふんぬっ」
猛々しい雄たけびとともに繰り出された掌底を、みぞおちでまともに受け止めてしまった。ぼくの肺から空気がもれ、青ざめた顔で床に倒れこむ。そして、倉庫の鉄扉は固く閉ざされた。
その後あったことについて、河野はなに一つ語らなかったし、ぼくもなにも聞かなかった。ぼくが知っているのは、そのできことが河野を偶像崇拝の道へ進めるきっかけになったということなのだが、
「……今日から仲間になる河野太だ。どうぞよろしく」
気を持ち直した河野が言う。
成長のあとが見られた。というよりも、先日より崇拝していた偶像(京子りん)が俗物であったことが判明したため、半ば自暴自棄になっているだけなのかもしれない。
「話は漆原くんから聞いている」
九条は言って、重たげな荷物をテーブルにおろす。
「……まさか、それも参考資料とか言わないよな」
夜の底より暗い顔をしてぼくは尋ねる。
「これについては後ほど説明する」
含みをもたせた笑顔で九条は答えた。
「それより、河野くんはどうして文芸部にはいろうと思ったの」
冷やかしなら帰れというような、固い声色だった。
「あえていうなら、より人生を豊かなものにするためだ」
「一番好きなエロゲーは?」
「むろん、斬魔大聖デモンベイン」
「ニトロ厨ってわけね。いいでしょう」
そこで九条はやっと河野に顔を向けた。そして、ぼくたちにA4用紙の紙切れを手渡す。そこには、太字のゴシック体で【第一回文芸部ミーティング資料】と記載されていた。
「わざわざつくってきたのか」
「ええ。午後早退して、家でこしらえてきたの」
「それじゃあ、この資料も」
「うちから運んできたものよ」
涼しい顔の九条。
その細い身体のどこに、そんなバイタリティが搭載されているのだろうか。
「あなたたちそこに座って」
腰をおろしたぼくたちを見回して、九条はひとつ咳払いをする。
「わたしは、この岩城第三高校文芸部、部長、九条華夜子。これから、卒業までのあいだあなたたちとエロゲー制作に携わっていくことになる。おあなたちにはめいわくをかけられることもあるだろうけど、なんとか耐える所存だから。ありがたく思ってくれて構わない」
「ありがとうございます、九条さん」河野が言う。
九条は満足げにうなずき、ぼくへ向けてあごをしゃくった。
「ありがとうございます、九条さん」とぼくも言う。
まるで、なにかの新興宗教のようだった。
「諸君も知っての通り、先の割れユーザー襲撃事件により、もともと自転車操業であったエロゲー業界は、致命的ともいえる大損害をこうむった。奮戦むなしく多くのテクストと貴重な3DCGアニメーションが抜き取られ、正に割れユーザーの精子は尽き果てんばかりだった。
そして気が付けばエロゲ業界は、宣伝費が売上に直結するつまらない市場になり果ててしまった。やがてあの憎きポルノライトノベルたちの台頭により、エロゲーというコンテンツ自体が形骸化してしまった!
だが……、見渡してみるがいい。
この死せる大地に在っても尚、たけのこのようにポコポコ生まれ出る弱小メーカーたちを。
彼等を突き動かすものは何か。
満身創痍の彼等がなぜ再び立つのか──」
「キャリーオンマイウェイ! キャリーオンマイウェイ!」
ぼくのかたわらで河野がハイになる。
「だから、元ネタがわからないって」
茶番はこれくらいにしてさっさと本題にはいってほしかった。
「OK」言って九条もその場にしゃがみこんだ。これで、ちょうど三人が茶たくを囲む格好になる。
「さきほどわたした資料に目を通してほしい」
言われるがまま一枚のぺら紙を【第一回文芸部ミーティング資料】を見つめる。
第一回ということは当然第二回があるわけで、その事実は、ぼくをすこしばかり暗澹たる気分にもさせた。しかし男が一度腹を決めて、やる、といった以上は真剣、誠実、真摯な態度で活動に取り組むほかないわけで、そんなこんなの決意もあって、親父が馬券にたいしてそうするように、ぼくは再度資料を食い入るように見つめた。




