その六
採光窓の向こう側へ手を伸ばすと、衝突した中指とガラスが、カツンと甲高い音を立てた。
「なに、いっちょまえに黄昏てんだか」
後ろからの声。
ふりかえらずとも、声の主には見当がついた。なにせ、ガキの頃からの付き合いだ。こいつのことなら、つむじの数からバッシュのソールのかたちまでなんでも知っている。ドはまりしたカードゲームの切り札や、深夜バラエティーの人気コーナーにしてもそうだが、くだらないことほどやけに大概記憶に残っているもんだ。むかし流行った無料アダルトサイトにおいては、URLだってそらでいえる。
「まったく、タイミングがいいんだか、悪いんだか」
「悪いに決まってんでしょう。最悪の部類よ。これからってときに、そそくさトンズラこきやがってからに」
岩城第三高校、男子バスケ部マネージャーの永田沙織は、目を細めると、シュシュで束ねた後ろ髪を手櫛ですいた。
「確かに先輩に言われたな。将来有望なお前の代わりに、たいして戦力にもならんくせして、要所、要所でしゃしゃりでる、アホの永田が辞めればよかったのにと」
「その先輩の名前教えなさい。子宮から一年早く顔をだしたから容赦しないわよ」
「たまに、突拍子もないタイミングで殴りたくなるとも言っていた」
「それ、部活関係ないじゃん! シンプルにわたしのこと嫌いなだけでしょ!」
「まあな!」
「まあな⁉」
「それじゃあ、また」
「まって、まって、まって、まって」
立ち去ろうとするも、ベルトを掴まれ、もとの立ち位置に引き戻される。
「話はまだ終わってない」
「今日はやけにからむじゃねえか。飼ってたカブトムシでも死んだのか」
「……わたしは真剣に話がしたいんだけど」
漆原と話すと頭痛がするよ。永田は鼻の付け根を指でもむと、あらためてぼくにこう切り出した。
「文芸部にはいったんだって?」
「……責めるような目でみるなよ」
ぼくは、永田から半歩距離をとってこう続ける。
「仕方ないだろ、沸き立つ創作意欲を抑えきれなかったんだ」
「小説が好きだなんてはなし、聞いたことなかった」
「羅生門3を読んでぼくは変わったんだ」
「アンタぜったい芥川龍之介読んだことないでしょ」
即座に看破されてしまった。
桐のように鋭い目つきだ。
「……アンタほんとなにしてんの。文芸部で」
「なにって……、それは」
エロゲーだよ。
永田、お前エロゲーって知ってるか? うぐぅ、とか、がお……、とか、あんぱん! が口癖の女の子と仲良くなるゲームなんだぜ。まあ、最後のはエロゲーじゃなくて美少女ゲームのヒロインなんだけどさ。そんなことはどうでもよくて、これが、わりかしやってみると楽しいんだ。これが、また不思議な世界観でさ、エロゲーにでてくる学校は、小学校も中学校も高校も大学も、全部まとめて必ず学園と表記されるんだ。でてくる女の子だっておかしくてさ、年齢はみんな18歳以上なんだ。黄色い帽子かぶったちいさくてかわいい女の子もそうなんだぜ。なんでかって? そりゃあ、ぼくにも判らないよ。知り合いに九条っていう物知りな友達がいてさ、そいつに聞いたら全部沙織事件のせいだっていってた。九条はそれ以上なにも話してくれなかったよ。やけに遠い目をしていて、なんだか不気味だったな。なに、バトル展開がないと面白くない? 永田は相変わらず子供みたいなことをいいだすな。でも大丈夫、エロゲーだってちゃんと戦ってるよ。なにとって、馬鹿だな。そんなの決まっているだろう?
──コンピューターソフトウェア倫理機構とだよ。
そんなこと言えるわけがない。言ってしまったが最後、社会的に抹殺されるよりも一瞬早く、ぼくは自分の舌を噛みちぎるだろう。




