その五
小学生のころの話を少ししようと思う。
ぼくは、むかし身体が弱い子供だった。これは父親から聞いた話だが、生まれて間もないころ、消化器系の感染症にかかり、あとすこしで命を落とすところだったらしい。いまでこそ健康な身体で生きているけれど、その頃は、母親が怖がって運動会や体育の授業には参加させてくれなかった。
体育の授業中校庭の隅で体育すわりをしていると、好奇心の強い子供にからかわれることも何度かあった。
50メートルのタイムで一喜一憂する彼らが羨ましかったし、自分はひととは違う生き物なんだという劣等感をもっていた。グラウンドを走り回る同級生を眺めているうちに、ぼくは自分をかごの中の九官鳥かなんかだと思うようになった。
ぼくは、どこへもいけやしない。
そんな閉塞感に胸がつまることが何度かあった気がする。
「おまえもはいれよ」
昼休みか、行間休みだったかは覚えていない。
覚えているのは、当時となりのクラスだった永田詩織が、針葉樹林の日陰に座りこむぼくに
そう話しかけてくれたことだった。
「きみは?」
「しおりだよ。ながた、しおり。おまえは?」
「うるしばら、りんたろう」
「なんか、じじくさいなまえだな」
初対面のくせに、失礼なやつだった。
「まあ、いいやおまえもこい」
日に焼けた腕がぼくへとのびる。
「ぼくは、いいよ」
「なんでだよ」
「だって、ぼくがはいったチームまけちゃうよ」
「いいからこいって。わたしがいればもんだいない」
永田はうでをつかむと、勢いよくぼくの身体をグラウンドへ引っ張り出した。
石灰で引かれた白線のラインを超えたとき、全身の汗腺が開いた気がした。視界に広がる気色の明度があがり、胸に手を当てなくとも心臓が高鳴るのがわかった。
しかし、ぼくは終始足手まといだったと思う。
ドリブルは生まれたての小鹿のように覚束なかったし、リバウンドだって一度もとれやしなかった。相手チームは途中でぼくにつくのをやめ、代わりに省吾をダブルチームでマークした。
子供ながらにわかった。
完全に舐められている、と。
だけど、驚くほど楽しかったことも覚えている。身体はバテバテで、靴擦れした踵がズキズキ痛み、喉から流れる唾液は鉄の味がした。不気味なくらいおおきな青空と太陽と入道雲に何度もめまいをおぼえ、これ以上ないくらい生きている実感がわいた。
「りんたろう!」
永田のパスがぼくに通る。
小枝のように細い腕で、バスケットボールをなんとか持ち上げた。視界のど真ん中にリングが見える。ぼくとリングのあいだを遮るものはなにもなかった。
グラウンドの端からながめるリングは驚くほど高く、そして遠かった。
ぼくにとって、それはぜったいに手の届かないものの象徴だった。
象徴な、はずだった。
膝を曲げて飛ぶ。
膝が伸び切るよりはやく、バスケットボールをリングめがけて投げ入れる。
放物線を描くバスケットボールの軌道に、みんなが釘付けになった。
ボードに強くはじかれたそのボールは、リングのふちを二回なぞり、ゆっくりとネットのなかに吸い込まれていく。
はいった。
決勝点だった。
おどろくほどの歓声があがった。
永田が、矢のような速さでぼくをめがけて飛んでくる。背中にかるく膝蹴りをいれられ、あたまを何度もたたかれた。
「りんたろう、おまえ、クラブチームはいれよ。わたしがいちからバスケおしえてやるよ」
「はいる、はいるから! たたかないで!」
みんなが、笑顔だった。
興奮していた。ぼくを見ていた。
みんなの手や腕や頭や耳の隙間から、空が見えた。太陽が見えた。いまならそこにだって手が届きそうだった。




