その三
旧校舎五階、文芸部部室にて。
ぼくは講義を受けていた。
昼休みだというのに、講義を受けていた。おかしな話だと思わないか。
今回のテーマは【Kanon問題について】だった。
「漆原くんが先週プレイしてくれたKanonについて今日はとりあげようと思う」
胸の前で手をパンと合わせ、こちらに向きなおる九条。
いつもは、デカダン派が描く令嬢かなんかのようにメランコリックな顔をしている九条だが、エロゲーの話をするときに限ってはやけに溌剌としている。
「返事は」
「はい」
蚊の鳴くような声で答える。
当たり前だ。
毎日、深夜の三時近くまでゲームをプレイし、昼は飯も食わずに講義を受けさせられる。放課後なんかはひときわ最悪で、進捗を確認された挙句その場でゲームをやらされる。
精神がじりじりと追い込まれていくようで、たとえ濡れ場シーンに突入しようともお互いが真顔だった。むしろ、ストーリーとはあまり関係のないシーンだからと後ろからエンターキーを連打される始末で、ぼくたちには情緒というものが欠けていた。
「聞いてるの?」
「聞いてるよ」
蚊の鳴くような声で答える。腹もなる。
「ユーザーの間で話題になったのが通称、Kanon問題。漆原くんも知っての通り、Kanonには魅力的な女の子が何人もいる。そのなかから主人公はひとりの女の子を選び、彼女を苦しみから解放させてハッピーエンドに到達するわけだけれど、」
そこで言葉を切り、九条は手のひらで机を二度叩く。
ここが話の肝なんだ。と言わんばかりのボディランゲージだった。
「ここで問題となるのは、選ばれなかった女の子たちなのよ」
「ああ。言われれば確かに」
いってぼくはうなずく。なんとなく、この問題の核心が見えてきた。
主人公と出会わなかった女の子たちの末路について。
それは作中では決して語られないことだ。
でももしかすると、主人公があるヒロインと幸せになることで、別のヒロインは救われないまま──不幸を抱えたまま生きていくことになるのかもしれない。
それは、わりと現実的な問題でもあった。
なにかを選ぶというのは、なにかを選ばないということだ。
ぼくたちの毎日は選択の連続だ。子供の頃は無数の選択肢があり、それをいくつも選んでいくことで気が付けば自分の可能性というものがなくなっていく。選ぶということは、ある可能性を捨てるということであり、なにも選ばないということもまた、なにも選ばないということを選んだ、ということになる。
「ハーレムエンドというわけにはいかないのだろうか」
半ば鬱々とした気持ちになったぼくは、面倒くさがっていうが、
「却下。もともと、泣きゲーと純愛の間には、切っても切れない縁というものが古くからあってね。むかし、ヒロインが非処女だったという理由だけで、ディスクを叩き割ったユーザーだっているくらいなんだ」
しかし九条は首をふった。
「これは、今月の宿題。この問題に対して、漆原なりの答えをわたしに提示しなさい」
「……また、宿題かよ。自称進学校のような部活だな」
ぼくは、頬杖をついて考える。
Kanon問題とは別のことを。
「なあ、九条」
「どうしたの?」
「ぼくたちって、アダルトゲームをつくるんだよな」
「もちろんよ」今更なにを言いだすのかと、九条は目を丸くする。「そのために、あなたにゲームをプレイさせてやったり、エロゲー文化を教え込んであげてるじゃない」
「うん」といってぼくは言いよどむ。
あげてる、という恩着せがましい物言いも多少はひっかかるが、それよりもそろそろ制作に向けた実践的な話がでてきてもいいころ合いなんじゃないかと思う。
「あげてる、という恩着せがましい物言いも多少はひっかかるが、それよりもそろそろ制作に向けた実践的な話がでてきてもいいころ合いなんじゃないかと思う。エロゲー談議に花を咲かせて、喜色満面の九条を見ていると、こいつはただ単にエロゲーの話で盛り上がれる友人が欲しかっただけなんじゃないかと、ふと懐疑的な気持ちになる。こいつ、友達いなさそうだしな。
そんな顔をしているね、漆原くん」
「……地の分を超えるな。あと、そこまでお前をこけおろすつもりはねえよ……」
「迷ってるんだ」
と、九条は言う。
「なにを?」
「役割分担」九条は人差し指の爪を噛みながら答える。「まあ、もともとは、全部ひとりでやるつもりだったから」
すこし、寂し気な顔に見えた。
ああ、そうか。とぼくは思う。
岩城第三高校文芸部員は、数週間前まで九条ひとりだったのだ。
何があったのかは知らない。
どうして他の部員が辞めたのか、ぼくはなにも聞いていない。
気を使っていたわけではない。
疑問にも思わなかったのだ。それくらい、九条が他の部員と活動しているすがたは、どこか想像がつかなかった。
「なあ、エロゲーつくるのってさ、頭数どれくらい必要なんだ?」
ぼくは、九条へそう聞いた。
「頭数?」
珍しく九条は意外な顔をして、問い返す。
「ああ。本気でやるんだろう? なら、人手は多いに越したことはない」
それになにより、部活ってのは賑やかなのが楽しいんだ。温厚なやつがいて、冷静なやつがいて、怒りっぽいやつがいて、暗いやつもいる。なかには、話が合わないやつや、正直苦手なやつだっている。同じ部活でもなければ、口だってきかないようなやつだ。でも、そいつらと一緒に目標に向かって汗を流すというのは、なかなかどうして悪くない経験だったりするもんだ。
「そうね……、企画とシナリオを考えるやつと、原画・背景を描くやつ、あとはプログラムやスプリクト組めるやつと、欲をいえば作曲ができるやつも欲しいかもしれない。まあ、これについてはリー素材で代用するって手もあるんだけど」
「じゃあ、ぼくたちを含めて、あと最低4人は必要だってことか」
「そうなるね。いいやつでもいるの?」
「ああ、適任だと思うよ」
悪いがお前も巻き込むぞ。
ぼくは腹のなかでつぶやき笑う。
元はといえばお前のせいでエロゲー制作とかいうわけのわからない活動に参加するハメになったんだ。たとえ、これが泥船だろうが、タイタニック号だろうが、あるいはイカロスの翼だったとしてもお前にはついてきてもらうぞ、河野。




