その七
「え?」
「だから、エロゲーが好きなのかと聞いている」
黒曜石のような瞳を九条は限界まで細めた。
「いや、好きっていうか、やったことないけど、たまたま友達に貸してもらって」
しどろもどろになりながらやっとのことで答えると、九条はぼくの肩を掴み何度も首を縦にふった。
「そっか、そっか、漆原はじゃあ、ほとんどエロゲーのことを知らないのね。どうしたものか、いったいなにから説明をした方がいいのだろう? そうだ、まずは世界最古のエロゲーについて話をしてあげるとしましょう。エロゲー文化研究概論によればね、世界最古のエロゲーが誕生したのは、1970年代後半、デュッセルフドルフの──、」
「ちょっと、待て」
ぼくは手のひらを突き出し、九条から距離をとった。
「エロゲー文化研究概論なる書物がこの世にあることも驚きだけど、その前に九条って」
「重度のエロゲーユーザーよ。今はユーザーの立場に甘んじているけれど、いつかわたしもエロゲーをつくる立場にたとうと考えている。わたしには、わたしがエロゲーをやって感じた熱い気持ちを愚民どもへ伝える義務があると考えているの」
「エロゲーで感動?」
「そうよ? エロゲーは、なにも女の子の裸でマスをかくだけのゲームじゃないんだ。なかには、画面が涙でみえなくなるくらい感動し、一生こころにのこる作品もある。そして、わたしはそういうゲームをつくるために、きっとこの世に生まれてきたんだと思うの」
それが、わたしの夢だからと、九条は言う。
燃えるような目をして。
「立てる?」
九条は、膝たちになったぼくに手を差し伸べる。
ぼくは、その手をつかむかしばしのあいだ逡巡し、しかしやっぱり掴んだのだった。
「手伝う? わたしの夢」
続けて、九条は言う。
重ければもってあげようか、というような口調だった。
「なんて、傲慢なやつなんだ」ぼくは呆れたように笑うほかなかった。「さっきも言ったけど、ぼく一度もやったことないんだぞ。エロゲーなんて」
「わたしたちにとってエロゲーは覚せい剤と一緒。使ったことがなくても、所持しているだけで犯罪者」
「同じ穴の狢ってやつか」
「そのとおり」
九条は口元に手をあてて笑った。
「はじめに忠告しておくけれど、これは誰かに誇れる仕事ではないよ。穴掘りみたいな活動になると思う。真剣になればなるほど、カースト制度の下へ下へと沈んでいくことになるだろう。おそらくみんなの笑いものになって、社会的には死んでいく。もしかすれば、その挙句になにも見つからないかもしれない。夢が冷めたあとに急いで地表にでたってあとの祭り、一生を棒にふってしまって、きっとこの手にはなにも残らなくなる」
──それでも、思うんだ。
ただぼんやりとした現実行かされるなら、
夢に殺される覚悟を決めたいと。
「漆原、あなたは覚悟ができている? 夢に殺される覚悟はできている?」
九条は燃えるような目で、あらためてぼくに問う。
心臓がどくんと跳ねるのがわかった、
身体が緊張している。だが、決して臆病になっているのではない。
これは高揚感だ。
バスケの試合前に感じられたあの高揚感が、いま、ぼくの胸のなかにあった。まだ、残されていた。
「正直にいうと、覚悟はまだできない」
ぼくは正直に、そう告げた。
「だって想像ができないんだ。エロゲーがどんなゲームなのかもわからないし、それをつくることがどういうことなのかもわからない。でも、それでも、もう一回やってみたいんだ。もう一度だけ、なにかをはじめてみたいと思うんだ」
熱中できるなにかが欲しい。
生きる意味ってやつが欲しい。
死んだように生きるくらいなら、いっそ夢に滅ぼされてしまった方が、何千、何万倍もマシだとぼくは思うから。
「そんな、生半可な気持ちじゃダメか? 九条」
「OK」と九条はうなずき、
続けてどこか不敵な笑みを浮かべながら、こういった。
「文芸部へようこそ、漆原くん。
はじめに宣言するけど、わたしはお前に、あたりまえの幸福なんか与えるつもりはない
なぜなら、わたしたちに必要なのは、わたしたちだけの不幸だからだ!」
いつかぼくがおとなになったとき、ぼくは何度もこの言葉を反芻することになる。ある日は希望とともに、そしてある日や怒りや悲しみや憎悪とともに、
そしてこの言葉には、いつも決まって同じ所感を抱くのだった。
すべては、ここから始まったのだ、
と。




