その六
ふりかえると、戸口に女の子が立っていた。几帳面に切りそろえた前髪の隙間から、硝子玉のような瞳があふれている。
「わたしの部室になにか、よう?」
腰に手を当て、不審げに眉をひそめるこの女の子を、ぼくは知っていた。九条だ。下の名前は知らないけれど、苗字だけは知っている。九条の父親のことだって知っていた。
九条の父親は有名な純文学作家で、猫町とかいうガレージバンドを組んでいて、腰の丈まで伸ばした髪をふりまわしながらギターを弾き倒す動画をニコニコやユーチューブで何度かみたことがある。
ギターのエフェクトや歌詞が斬新で、アングラ界隈ではもてはやされたバンドだったと記憶している。
その子である九条もやはり独特な女の子で、見目形のよさから男子の間で話題にあがることは多かったが、それ以上に具体的な話はなにも聞いたことはなかった。だれも、九条と深くかかわることはなかったからだ。
「ようって」
居心地の悪い質問に、ぼくは言葉がつまる。
「一応今日から部員になるんだよ。漆原っていう」
「ふうん」
九条は業務的に頷いて、部屋の隅に体育座りしはじめた。
「わたしは、九条」
手元の文芸雑誌を退屈そうに眺めながら九条は言う。
知ってるよと言おうとして、でもストーカーっぽいのでやっぱり止めた。
無言でうなずいてソファにもたれる。
「里崎先生、こないな」
沈黙に耐えかねてつぶやくと、
「今日はこないよ。娘さんがインフルエンザ。だからこれを、あなたに渡しておけと」
そう言って九条はぼくに菓子袋を投げてよこす。
ぽたぽた焼きだった。
「九条さんも食べる?」
「いらない」
「そうかい」
封を開けて、無心でぽたぽた焼きをむさぼる。
「漆原くんは、」
「うん?」
「小説とかかくの得意?」
「小説?」
「別に、純文学みたいな固い話じゃなくていいの。漫画とか、あるいはライトノベルみたいなものでも構わない」
「いや、……別に得意ではないかな。つうか、小説なんて生まれてこのかた書いたことないよ。中学の頃の現国の成績なんてずっと2だったし」
「じゃあ、音楽とかはつくれる?」
「OASISの曲を何個かコード引きできる程度」
「パソコンとかには詳しい? プログラミング組んだ経験は? C++というプログラミン言語に耳覚えはない?」
さっきからなんの質問だよ。まるで意図が読めなかった。
しかも、質問を重ねるにつれ九条は、露骨に外れくじをひいたような態度をとりはじめた。
「まったくもって、使えない新入部員ね」
やれやれと、九条はどこかバタ臭い挙措をみせ、首をよこにふった。
「どうせ、中途半端な人間だよ。ぼくは」
流石に気分が悪くなったぼくは言う。
しかし九条は追い打ちをかけるようにこうまくしたてた。
「中途半端ではないでしょう。あなたはあれだ、ほらゲームとかでよくあるでしょう? 最初の村で仲間になったのはいいものの、中盤以降パーティから外れるステータスの低いキャラクター」
「随分な言い草だな」
キマリの悪口は許さないぞ。
ぼくはどこぞのロンゾ族のように青ざめた顔で、口の端をつりあげる。
「こうみえてぼくは──、」
バスケは得意だったんだよ。
そう言いかけて、やっぱりやめる。
言いかけた口を真一文字に結んで押し黙る。
「うん? こうみえてぼくは──、? なに? どうしの? 言ってみなさいよ漆原くん?」
意地の悪い笑みを浮かべ、ユリの花のように小首をかしげる九条。
「なんでもねえよ」
保健所行きの犬みたいな声でぼくは答える。鞄を肩にかけ、そそくさと戸口へ向かう。
「帰るの?」
逃げるのか。
そんな言い草に聞こえたのは、過度の被害者意識からだろうか。
「里崎先生こないなら、やることだってないだろう? だいたいにして、二人で部活なんてできっこ──」
捨て台詞をのこして去ろうとしたぼくは、LANケーブルの配線につまづいて盛大にこけてしまった。
ああ、糞。
今日は厄日だ。
胸のなかで舌打ちをして、散らばった鞄の中身を拾い集めていると、
「なに」と、九条が声をあげた。
九条の視線を追う。
九条の視線のさきにあったのは、見覚えのあるプラスチックケースだった。それは、昼休みに河野と押し合いへし合い末に、鞄にぶち込まれてしまった電子遊戯機器(18禁)──いわゆるひとつのエロゲーだった。
全身から血の気がひいていくのがわかった。
弁明の言葉を探すあたまが、ウィンドウズ95のようにカリカリと音を立てて空転する。
「漆原くんもエロゲーが、好きなの⁉」
聞き間違えかと思った。
ゆっくりと顔をあげる。
九条が超至近距離でぼくを見つめていた。おどろくほど睫毛が長く、鼻筋がきれいに通っていた。




