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竜子unemployed  作者: 上野衣谷
第二章「どこへゆく」
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第8話

 時は遡り──

 ──ファドラが、自らの家、何日か前に追い出された家に帰った頃。


「戻ってきたか」


 ファドラの父親は、ファドラを迎えるに当たって、さして怒っていることもなく、まるで簡単に予想できたというよな顔で迎え入れた。責め立てられないことは幸いだったが、これはこれで、心に響く。

 踏み入れた自分の部屋も何も変わらないまま残されていた。

 追い出されたことは追い出されたが、こうして戻ってくるということがまるで予想されていたかのようだった。

 そして、同時に、こうして戻ってきたということは、元の生活に戻るということを指している訳ではない。かつての自分の行動──学校へ行かず父親の決めた婚約相手と結婚することを拒否したこと──を謝罪したことによってようやく手に入れることができたものである。


「ファドラ、入るぞ」


 一息つく間もなく、ドアをコンコンとノックされ、父親が部屋に入ってくる。表情は、無表情。それみたことかという見下した目線もなければ、どうしていたんだという憤りさえも感じられないその顔に、ファドラは萎縮する。

 父親のことは嫌いではない。けれども、将来を決められるということは、やはり、納得のいかないものだった。


「ファドラ、これからどうするつもりだ」


 父親は静かに問いかけてくる。ここで、再び、父親の思惑と異なることを返答すれば、また同じことの繰り返しだろう。しかし、すぐには言い出せない。

 沈黙を続けるファドラに、父親は、仕方ないなという様子で、ふぅと小さく息を吐く。そして、ファドラの目を見据えて、沈黙するファドラに代わり口を開く。


「大学を辞めてしまったのなら、もう、やれることは一つしかないな」


 その声は重い。決して怒っているのではない、ただ、事実をつきつけるだけの声。ファドラが、その声に対しできることは、ただ、沈黙を返すことだけだった。




 日は過ぎる。

 今頃、ティムは何をしているだろうか。連絡はない。サラマンダー家の人間との食事会が多く開かれた。

 サラマンダー家はかつて火を司ったドラゴンの一族。現在は、鉄鋼業などを中心に多く企業を持っている。ファーフニル家の持つ産業分野とは、一色違えた分野だが、それゆえに、父はより関係を強化したがっていた。

 サラマンダー家の婚約相手は、そんなにひどい人間という訳ではない。この日もまた、食事会で、二人で話をする時間を与えられる。


「……」


 けれども、ファドラは始終沈黙と、軽い相槌しか打たない。


「ファドラさん、私のこと嫌っていますよね」


 食事会はいつも豪華なレストラン。高層ビル上部にあるレストランで夜景を見ながら行われる。サラマンダー家の子息、ササ・サラマンダーは、食事をしながら、ファドラに問い掛ける。彼も彼になりに、ファドラに気を使ってはいるのだ。


「いえ……そんなことは」


 ファドラも、気を使われていることは理解していた。別に彼が嫌いという訳ではないのだ。ただ、けれども、好きという訳でもない。言うなれば無関心。


「大丈夫ですよ。私も、別にファドラさんの事を好きという訳ではありませんし」


 彼はごつごつとした指輪を外し、ふっと息を拭きかけながら話す。ただただあるのは形だけの結婚。一族という考え方を重視する今の社会のカースト上位に位置する一族ではよくあることだった。

 それは、ファドラも分かっていた。だから、こそ父親を憎むことはできないのだ。


「だから、ファドラさんはファドラさんで好きに生活してくれていいっすよ」


 ふぅと溜息をつきながら言う目の前の男は、なるほど、よく観察すれば遊んでいそうな軽い身なりをしている。正装をしてはいるが、本来ダークレッドに近い髪色であるはずの髪は彩度の非常に高い赤で染められており、耳にはピアスが付けられている。

 沈黙が続く。


「はぁ~」


 ササは露骨に不機嫌そうな溜息をつき、髪をかきあげる。


「あ、でも、浮気とかは勘弁してくださいね。俺、そういうの嫌いなんで。ま、俺はするかもしれないっすけどね」


 はははっと何がおかしいのか笑う姿を見て、ファドラは強烈な嫌悪感を覚えた。これまで二人で話をする時間がなかったため、目の前のこのササという男について何も知らなかったが、二人になった途端、このようにぞんざいに扱われ、あまつさえそのようないわれをされるのは、納得がいかなかった。

 何様なのだ。

 およそ、ファドラの持つ価値観とは全く違った価値観に生きる男なのだろう。そして、それが許されるような世界で生きてきた男なのだろう。

 ササは自信に満ち溢れていた。

 己の持つ権力がどういうものなのか良くわかっていたし、使い方も良く分かっていた。




 ファドラは、学校を辞めていたため、家でやるべきことはほとんどない。

 精神的には、やはりまいっていたが、それだからこそだろうか、ゲームやパソコンはやっているだけで気が和らいだ。

 気が和らぐというよりは、やることをなんとか自分で作ることによって、考えるとつらくなることを考えないで済むことが、精神状態を保つためにファドラにできる唯一のことだった。

 家から出て何かをしようという気には到底なれない。家の使用人たちも気を使うものの、こればかりは何とすることもできず、時が彼女の傷を癒してくれるだろうと思いこむことしかできなかった。

 食事会などの用事がないときは、昼に起き、部屋に閉じこもり、生活した。

 昼夜逆転気味の生活となり、より気が重くなっていく。

 逃避先だったはずのゲームやパソコンは、いつしか、ファドラの唯一の息抜きになっていき、同時に、唯一楽しいと思えることになっていった。

 ティムのことを考えるのは、つらいからやめた。

 ファドラは、それがティムのためだと自分に言い聞かせたし、これは、過去の自分が目の前の問題と向き合わずに逃避してしまった結果なのだと受け入れた。

 そう、どうしようもなかったのだ。

 父親の仕事は多忙ではあったが、ファドラがこんな様子だということを使用人から聞くと、家に帰ってきてからはなるべくファドラの部屋に来て話をした。


「ファドラ、気を落とす気持ちは分かるが、いつまでも後ろを向いていてはダメなのではないか」


 重々しく放たれる父親の言葉は、ファドラの胸に突き刺さる。父親がどういった心持で言ったのかは分からないが、その言葉はファドラの中で反響し、過去を切り捨てて前を向かなければ、また同じような過ちが起きてしまうのではないかという恐怖心に変わっていった。


 ふさぎ込むのをやめ、食事会の時も、自分から少しは言葉を話すようにした。父親とのコミュニケーションも取るようにした。

 こうして、ファドラは、過去を忘れよう、いや、上書きしようとした。




 そうしていく日、何週間という時間が流れる。ある日、就寝前にベッドの上で考える。

 ベッドの上は、ティムの家の寝ていた環境より、広く、ふかふかとしていて、ものすごく眠り心地は良い、はずだった。けれども、毎日寝入りは良くない。

 それは、思いを巡らせてしまうからに他ならない。


「──やっぱり、忘れられない……」


 月の明かりだけがカーテンの隙間から入りこむ消灯された部屋のベッドの上で、ファドラの胸はいつも苦しい。何も考えていない時は、いつも思い出す。だから、日中はなるべくぼんやりとする時間を減らす。

 しかし、こうして寝入る前は、どうしようもない。気持ちは乱れ、涙がこぼれそうになる。

 家を出るまでは思っていなかった気持ち。元の生活に戻っただけではないということが強く実感できるこの感情。ティムはどう思っているのだろうかと考える日々。

 そして、この感情もきっといつまでも持ち続けられる訳ではないだろうという、恐怖。

 いつか、風化して、いい思い出になってしまうのだろうか。そんなことを考えると、何故だか無性に悲しくなった。

 いつか、あの時の出来事は夢だったかのようにふわふわとした記憶の海に溺れてしまうのだろうか。

 それは、確かに自分の心は楽になることかもしれないが、同時に、今のファドラにとってはとても悲しいことだった。





「ファドラ、ササくんとの婚姻だが、翌月ということに決まった。嫁ぐことにはなるが、心配はいらない。いつでも帰ってきていいからね」


 父親からその言葉を聞いたのは、唐突だった。


「……! そんな、急に……」


 かつて家を追い出された時のように怒りをむき出しにして反抗することはファドラにはもうかなわなかった。驚き、悲しみつつ、何故、と問う。


「お前も、学校にも行かず家にいつまでもいてもな。あちらの家でいろいろと勉強しなさい」


 今のファドラの、何もしていない状態、というのが父親にはひどく居心地が悪かったらしい。当然と言えば当然だ、学校にも行かず、かといって働きもしない。つまるところ無職なのだから。

 娘が無職で家で引きこもっているということは、世間体を気にする父親にとっては一刻も早く解消したい状況なのだ。

 そういわれると、ファドラとしても、それ以上強く反抗できない。

 無論、拒否するという選択肢はとっくの昔になくなっているのだが、延期も求められない状況に陥ってしまっていたのだ。


「……いいね?」


 それでも、なお、父親は、ファドラ自身のその口から了承の言葉を引きだそうとした。ファドラは、その言葉に逆らえない。


「はい……分かりました」


 小さく、小さく、言う。

 父親はそれだけ聞き遂げると、ファドラの部屋から出ていった。

 父親の去る顔は、どこか満足げで、安心したという様子だった。





 ──ちょうどその頃。

 サラマンダー家と会合を開く少年がいた。

 名をティム・ティアマトと言う。年二十四にして避けていた財界に一気に復帰。仕事をする傍ら、多く人脈を増やし、会社内での地位もこの数か月で大きく向上。他のドラゴンの一族が中心となって運営する各業界の大企業との連携をどんどんと強化していた。

 かくいうサラマンダー家とのつながりも実に深くなっており、サラマンダー家の取り仕切る代表事業である鉄鋼業界の現在の問題などを相談という名目で、サラマンダー家当主との会合を行うことになったのである。

 その会合場所は高級レストランの特別フロア。ティムとアル、そして、サラマンダー家当主と付き人。四人という少人数での会合が始まろうとしていた。

 特別フロアだけあり、そこからの夜景はこの都市中を見下ろせる素晴らしい景色。らんらんと輝くビル群の光は栄光そのものだ。

 フロアに行く途中のエレベーターで、ティムはアルと二人になる。

 あれからも、変わりなく接してくれいていたアルに一言だけ告げる。


「ごめん、アル。アルが僕のためを思ってしてくれたことは想像がついてる。アルの思いは受け入れる。でも、僕は僕で今日この日を過ごすよ、仮にそれがアルの意図していたことと違ったとしても、これは僕が切り開く道だ」


 アルも、近頃のティムの行動が大きく変わっていたことは重々承知していた。

 そして、それはまず間違いなく、ファドラと関係のあることだろうということも承知していた。結局──


「──私は、ティム様に従うまでです」


 アルにはどうにもできないのだ。全く、困った人だという思いと共に、自分の思いを配慮していてくれたこと、そして、かつてのティムより一回りも二回りも大きくなったティムを誇らしく思っていた。

 エレベーターは目的の階に到着し、扉は開かれる。しんとしたフロアにこつこつというティムとアルの足音だけが響く。

 ティムの後ろ姿を見るアルは思う。

 ああ、この人は、やはり、強い人だ、と。

 己の小ささを反省する。自分が余計なことを言わなくても、事態は動いただろうし、ティムはそれに合わせた行動をきっと取ったに違いないのだ、と。

 自然に、ふっと笑みがこぼれた。前行くティムはそのことを知らないが、アルは背中にティムの強さを見たのだった。

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