第13話
ティムはシャワーを浴びながら考えていた。
シャワーを浴びている時間というのは、視界に何か余計な情報が入ってくることもなく、また、聴覚から入ってくる情報も水が落下する音くらいであり、頭に入ってくる情報が少ない分、脳の内部でより思考を無駄なく巡らせることができる。ゆえに、ティムはこの時間が好きだった。
仕事を行ううえでのアイデアを出そうと頭をひねったり、今後の方針だとかをなんとなしに思い返すのが日課だった。
しかし、最近は違った。
思うのはファドラとのこと。この先のこと。
今現在ファドラはきちんと家事もしてくれているし、以前ここにいたときとはだいぶ変わった。この様子ならば、ティムとしても、正しく付き合えている姿だと思う。
一方で──
「僕は、どうなんだ……?」
仕事はそもそもあまり長い時間拘束され無いようにしているし、金銭的にも、今はまだファドラが実家で暮らすほどとはいかないにしても、一般的な生活からみれば十分満足させられる水準だ。そもそも、ファドラはそこまで浪費家という訳でもない。それに、もう何十年かすれば、もしファドラが望むのならば、ファドラの実家での暮らしと遜色ないほどの暮らしをさせてあげられるだろう。それらの点において、生活水準的な問題においては、ファドラに不自由をかけているとは思わない。
「でもなぁ、夜が……」
ぼそりと思わず独り言が出る。
恋人としてはどうなのだろうと振り返る。およそ、恋人らしいことをほとんどしていないと思う。
休日に少し買い物などに出かけることはあれど、ティムのなるべく休日はゆっくりしたいという願望から、観光地などに出向いたことは今のところない。ファドラはそれでいいよと言ってくれているのだが、やはり、少し引っかかる。
そして、何より、恋人らしい行為をほとんどした覚えがない。ティムとてしたくないわけではないのだが、ファドラの心中が推し量れない。
「は~、だって、なんかいっつもにこにこしてるし、あの笑顔を崩したくないんだもんなぁ」
ぽつぽつと独り言をつぶやきつつ、こういうことを相談できる相手がいない自分を祟った。
そんなことを考えつつ、身体を洗い終え、浴室を出る。部屋着は通気性が良く、着心地がよいものを選んでいる。よりリラックスした状態で過ごしたいから。
ぼーっとしながら着る。さらさらとした生地が心地よいのだ。こういった産業は需要は薄れないだろうなぁというようなことを考える。そういうぼんやりとした思考こそが、ひらめきのカギなのだ。
というようなことを思いながら、自室に行く。そして、ベッドの上に座ってこちらを見ているファドラが目に入る。
「!?」
同時に、びくっと身体を震わせる。
何かが違う。目の前のファドラに対して覚える何か違和感。悪い違和感ではない、むしろ、心地よい。視界に入りこむは、普段のだぼだぼとした部屋着とは全く別姿のファドラ。
その姿、黒と肌。下着かと見間違えそうだったが、ファドラの様子を見るにそれはないだろう。フリルやレースなどの装飾がつき優雅である一方で、布地は薄く、透き通って肌が見えているような部分さえある。そのくせ、露出は多く感じられ、肩にかかる紐はあるものの、腕はほぼ全て露出されているどころか、下半身にいたっては、太ももの大部分が露わとなっているのに加え、布地が薄いため、露出されていない部分もぴっちりと形が感じ取れるものとなっていることがより一層艶めかしい。色合いも、黒がより肌の色を際立たせている。髪の色と似ているようで緑が混ざっていない純粋な黒は、髪色が大人な印象を与えるのと比べ、ファドラに妖艶という印象を付与している。
ティムにとってしてみれば、これほど露出された肌を目の前にするのはほぼ初めての経験だった。無理もない、女付き合いがないのだから。同時に、ファドラのスタイルの良さに驚く。普段の服装は身体のラインがほとんど意識できないようなものが多かったし、ティム自身がそういったことをあまり意識していなかったので、考えたこともなかったのだ。しかし、今目の前にこうも歴然と見せつけられては意識せざるを得ない。意識することを強制されている。
様々な思考が渦を巻き、ようやく、言葉が出る。
「ど、どうしたの?」
一文字目がうわずった。極度に緊張状態にあるティムと違って、ファドラはそこまで緊張はしていない。見られる分には恥ずかしいと思っていたが、目の前でこうしてティムがここまで普段と違う様子を見せてくると、不思議と心が落ち着いた。ティムが平然としていたら、そうはいかなかっただろう。ゆえに、冷静に返すことができる。
「買ってみたの……似合う?」
ティムは、気のせいかもしれないが、ファドラの話し方もいつもと違うような気がした。
「に、似合うよ。いいんじゃないかな」
何がいいのかも分からないが、とりあえずそう返答する。どうにも寝る気にもなれず、本来ならベッドインするのだが、ファドラがぽへーっとこっちを見ているのでそれもできない。椅子に座って本でも読もうかと考え、ひとまずあたふたしながらその場を立ち去ろうとする。
一方のファドラは、ティムの反応を楽しみつつ、まだこっちに来ないとわかると楽な体勢になってベッドの上で携帯ゲーム機を触り出す。うつぶせで寝転がってしている様子をティムは横目でちらちら見つつ本を読む。集中できない。さっきの座っている姿勢に比べて、背を向けられているうえに、ゲーム機へと視線が注がれているので、ファドラの視線を受ける可能性はゼロに等しい。
だからこそ、余計に見てしまう。胸などは隠れて見えないものの、姿勢的に、お尻や太もものラインが余計際立って見える。また、無防備な背中がこちらに何かを語ってきているようにさえ思える。
「あ! ティムくん、そういえば……」
唐突に顔をゲーム機からあげてこちらを見てくるファドラとちょうど目が合う。あわてて、視線を本へ戻し、
「な、なに?」
と返事をする。視線を本へと向けているため、ファドラの表情は見えない。
「……んー、やっぱりいいや!」
一体なんだったのだろうか。自分が思いっきり視線をファドラの方へと向けていたことはバレただろうか。そんなことを思いつつ、ちら、とその金の瞳だけをファドラの方へ向けると、ファドラはすでにゲームの世界へと舞い戻った後だった。心なしかその背中は上機嫌に見える。足をぱたぱたさせるものだから、余計気が散る。
そんなこんなでしばらく無言の時間が過ぎたが、さすがに夜も深まり、ティムにも眠気が襲ってくる。決心を固めて、本を本棚へと戻し、ファドラの横へと移動し、掛け布団の中へ入る。
ファドラはそれを見届けると、ゲームにキリをつけ、
「電気消すね?」
と枕元にある照明を消すスイッチへと手をかけ、押す。カチという音とともに、部屋の中が常夜灯の明かりのみになる。けれども、ティムの目はすぐ慣れる。これは種族的な特徴だ。暗闇にすぐ慣れ、そして、暗闇でも他種族よりもより鮮明にものの形が見える。色はほとんど区別はつかないのだが。
この時ばかりは、ティムは自身のこの能力を少し悔いた。横のファドラは身体の向きこそ自分と反対に横向きになっているので、目に入ってくるのは背中と髪の毛だけ。けれども、布団から出る肩はいつもと違って素肌であり、ティムを唸らせる。
反対側を向いて寝ればいい話なのだが、普段は少しくらいの接触は全く気にしないのに、今日このときばかりは、各部位が自分の身体にあたることを恐れて逆を向けない。そんなに気にすることではない、そんなに気にすることではない、と自分に言い聞かせるのだが、一度考えてしまうともうダメ。しつこいほどに思考が渦巻く。
触りたい。
抱きかかえたい。
そんな思いはいつの間にかティムの思考を占拠し、最初にあったはずの緊張やどうしようといった不安はどこかへ吹き飛んでいた。今度のティムの戦いは、それら雑念を抑えていかにして寝るかという方向へシフトしていったのだ。
一方のファドラは、こう考えていた。いつになったら来るんだろう……と。背中を向けているのは、ティムがせめて抱き着いてくれないかなあと思うから。というか、そもそも、ファドラとしてはさっきゲームを背中を向けて行っていた時点で、どうして来てくれないのかと少ししょんぼりし始めていた。
たぶん明るいからだと思ったし、一度開いてしまっていた距離を詰めるのはやすやすとはできないと考えた。けれど、今は違う。もうゼロ距離。振り向けば、まさに目と鼻の先の位置に顔が来るような距離。男でしょ、ティムくん、と変に応援してしまう。
同時に──。
色々な不安が頭をよぎる。あれ、でももしかしたら、自分は本当に魅力がないのではないか。ティムにとって恋愛対象ではないのではないか。こんなお子ちゃまをティムは相手にしないのだろうか。
結局近くに来てしまったらティムは満足してしまったのだろうか。期待に応えられるような存在ではなかったのだろうか。
二人とも、思っていることは一つなのに、どうにも結ばれない。叶わない。届かない。
そうしているうちに、ファドラはすごく悲しい気分になってきた。そんなはずないと理屈では否定できても、感情は追いつかない。感情というのはとりとめもなく自由で、気ままで、時に残酷である。
前の背中、ファドラの背中が肩を震わせていることに気づいたのは、ティムがなかなか寝れずうんうんと横向きと仰向けという姿勢を交互している時だった。じっと動きを止めて、様子を見る。どうしたのか。何かあったのか。
「ぐす……ぐす……」
わずかに鼻をすするような音。
ティムはその音を察知する。肩を震わせ、鼻をすするような音……? これは。
「どうしたの!?」
がばと上半身を起こして、ファドラの肩を掴み、顔をこちらへ向ける。ファドラの潤んだ緑の瞳とティムの驚いた金色の瞳が合う。数秒。
「えっ、えっ!? ご、ごめんなさい」
ティムは何もわからず、ただ謝る。何か悪いことをしたのだろうか。いや、思い当たる節がないでもない。
「もうっ」
ファドラは無性に腹が立って、ティムの手を払いのけ、顔を枕へとうずめる。ファドラはなんだか悲しかったのだ。間が空く。互いにどちらの顔も見えない。近くにいるのに、互いに同じことを思っているはずなのに、すれ違う。
ファドラにはどうしたらよいのかわからなくなっていた。
そもそも、何も泣くことなんてなかったのに。
冷静に考えれば、どうしてぐすぐすと一人で悲しんでいるのかもわからない。ティム疑っている訳ではないはずなのに。しかしもう収拾がつかない。このまま寝てしまうと思った。枕に顔をうずめて。ティムも何も言ってこない。このまま寝て、起きたらきっと元通りになっているんだと思った。
ほんの少しの時間が過ぎ──
──ファドラは枕と自分の身体との間に腕をまわされるのを感じた。そして、背中に体温を感じた。耳元の髪の毛がそっと動き、湿った息がかかり、小さな声が入る。
「ごめん……」
ティムは理解していた。ファドラが何故悲しんでいるのか。理由なんて一つしかないのだ。ティムがずっと何もしなかったということなのだ。それしか思い当たるところがないのだから。言い訳をするつもりはなかった。
「ごめんね」
小さくささやき、ぎゅと力を入れる。感じるのはファドラの体温。暖かい。
同時に、抱きしめることさえしてあげれていなかった自分にいきなり腹が立ってきた。腹が立ったのなら、変えればいい。今すぐに。
次の瞬間、ティムはそのままファドラの肩を持ち、ファドラの体勢を反転させ、顔を枕から引きはがす。ファドラは驚いた目をしていた。
そんな顔を見て、ティムは思う。かわいいな、と。
そして、そっと瞳を閉じると、自らの口を目の前の女の子の口へと運ぶ。
二人の瞳が閉じ──
──どれくらいの時間が経っただろうか。両者の顔がゆっくりゆっくりと離れる。
ファドラに笑顔が戻り、ティムに抱き着きながら言った。
「好き!」




