第12話
ファドラの修行はまだまだ続いた。
やるべきことは料理だけにとどまらないのだ。
しかし、ファドラには一つどうしても気になること、そして、我慢できないことがあった。
そう、それはティムとの普段の生活のこと。ティムは確かに優しい。優しいし頼れる。ほかっておけばご飯も洗濯もありとあらゆる家事までやってしまうだろうし、仕事に関しては言うまでもない。ファドラは一緒に暮らすうえで、ほとんど文句のつけようはなく、話し相手にもなってくれるし、楽しい話も聞かせてくれる。
けれども、ただ一つ。怒りではないのだが、気になることがあった。気になると同時に、これは今後どこかで解決しなければいけないことだと思った。ファドラは普段そこまで気にはしていなかったのだが、気になり出したのは、ティムが一緒に寝ようと言い出したその日から。
その後も、ずっと一緒に寝てはいた。同じベッドで寝てはいたのだ。それはいい。それはいいのだが──
「──なるほど。事情は分かりました。ただ、私に相談するというのは相談相手が間違っているといいますか、なんといいますか」
ふぅ、と小さく息をつく。
「だ、だって、他に相談できる人いないから……」
「だからといって、私は男ですし、夜の生活を自慢──もとい相談されても……」
ごほんと一つ咳ばらいをし、ティムの洗濯物を畳むアル。
「よ、夜とか! そういうのじゃなくってっ! 一緒に寝てるって話しかしてないでしょ!? だって、ティムくん、あの時のあいさつみたいなちゅー以外ほとんど私に何にもしてこないんだよ? 毎日隣に寝てるのに! これっておかしくない? ね、アルさん!」
あの時というのは、ファドラ宅にティムが翌日から一緒に住めるというのを知らせに来た時のことだった。ファドラの記憶では、あれがもっとも過激な行為だったように思えた。態度はそのもの落ち着いていたし、単にファドラを落ち着かせるためだけに行われた自然な動作だったのかもしれない、ということを考えるとその他そういった行為は一切されていないのだ。
アルは少し手を休めて考える。
「……まぁ、ティム様は、高貴なお方ですので……」
「えぇ! そんな! そんなことないよ! どんな人でも隣に女の子が寝ていたら手を出すってゲームで習ったもん! 抱き着くとかそのくらいしてくれてもいいんじゃない? 私はたまにしてあげてるのに!」
「は!? 抱きつ……! 失礼しました、いや、それよりも、どんな偏った知識ですか……そうですねぇ、ファドラ様にそういった魅力がないんじゃないですか?」
グサッとファドラがもっともに気にしていることを的確に指摘してくるアルに、心をえぐられながらも、ファドラはひるまなかった。そういえば、こんなことを相談できるなんてだいぶアルという人が怖くなくなってきたのかもしれないなと思いながら。
「やっぱそうなのかな……アルさんから見てどう?」
ティムが横で聞いていたら、むっと頬が膨れるような質問を投げかける。が、アルは全く表情一つ変えずに返答する。
「私に聞いてもファドラ様が期待するような返事は申し上げられませんよ。私はティム様いのち、ですから」
普段一切表情を変えないアルの口の端がわずかに上向きにやつきのような表情が垣間見える。
「ですが──」
アルは急にもとの表情に戻り、真面目な顔になる。そして、大真面目な口調で言う。
「確かに、夜の話も、妻としての務めではありますね」
ファドラの思っていたこととは少しずれているかもしれないが、訪れるべき結果という点において相違はない。ここでうなずいておけば、とりあえずアルの協力は得られるかもしれないと考え、ファドラは、うん、と返事する。
「けれど、長年ティム様と一緒にいますが、好みの女性だとか性的趣向については全く聞いたことがないですね……そもそもそういったことが話題に上がりませんから」
「頼れないな~」
「でも、ホモじゃないことは確かですよ」
そりゃそうでしょ、と思わず言いたくなるが、このアルという男は大まじめに言っているようなので愛想笑いをしておく。
「そうですね、なんかもうちょっと色気ある下着とか着てみては?」
何故そんなことを、と洗濯物を畳む手を止めてアルの方を見てみると、ファドラの下着を畳んでいたのですぐさま奪う。アルははてなと興味なさそうに次の洗濯物に手をかけつつ、
「……あ、そうだ。ファドラさんティム様の服には手洗いのみのものだとか、きちんとお店に頼んで洗っていただいた方が良いものも多いので気を付けてくださいね」
この目の前の男、頼れるのか頼れないのか良くわからない。そして、本当にティム以外眼中にないらしい。もう数日で教育も終了するということなので、この無駄にあるティムに対する知識だけは吸収しておきたいと考えるファドラだった。
「うーん、本当にそういう問題かなぁ、なんかこう、もっと違うような……」
頭を抱えるファドラ。
「冗談はさておき、真面目な話をするとティム様は女性経験があまりないですからね。中学生って訳じゃないですし、知識がないということはありえませんが。といっても、私に相談するあたり、ファドラ様も大概だとは思いますが……」
これまでの話は冗談だったんかーい、と心の中でツッコミを入れるファドラだったが、冗談を自分に言ってくれるくらいには自分のことを買ってくれているのだろうかと少し安心する。
初日、料理を教えてもらっている時と比べたら、そして、ずっと昔、ティムの家にいた最後の時に言われたくないことを言われたときと比べたら、この人も少しは自分のことを認めてくれているのかもしれない。
「え~私が手を出すのはなんかティムくんがショック受けるかなぁと思って手を出してないだけで大概じゃないですよ?」
とりあえず挑発的に返してみるも、ギロと目が怖くなったので、ひとまず謝る。
「でも、やっぱり、こうも毎日一緒に過ごしていて、寝るときも一緒なのに、手の一つも出してこないのはなんか寂しいというか、本当に好きなのかなーって……」
それを聞いて、アルははぁーとこれまでで一番大きなため息をつく。
「あのですね、ティム様があなたを好きでなかったとしたら、私は今この場であなたを地獄の淵まで突き落としていますよ。正直、その発言に対して私が激高せずこうして冷静に指摘していることさえ奇跡です」
「ご、ごめんなさい」
「はい。それはティム様に言っておいてください。しかし、それにしても、本当に今までもうちょっと接触はなかったんですか?」
ファドラは改めて考えてみる。
「あ、そういえば、膝枕をして──」
とまで言ったところで、アルの露骨な怒りを含んだような目線を感じて、ぎくと口を止める。
「なんですか」
それでも、催促されるものだから、仕方なく続ける。
「膝枕をしてあげようとしたんだけど、照れて断られたなぁ」
「はぁ」
アルの無意識下にあったであろう怒りが静まったらしく、良かったのか悪かったのかほっとするファドラ。
「……というか、そんな感じの態度ばかり取るアルさんがティムの発達を妨げたのでは~?」
むーと怒ってアルに詰め寄る。が、アルは慣れたもので、それを制する。
「そんな訳ありません。確かに、近寄ってきた悪い虫は私がティム様に代わって食い──いえ、始末、いや、追い払いましたが」
聞き捨てならないような発言がいくつも聞こえたが、確かに、この美貌ならありえない話ではないかもしれない。そして、この目の前のティム大好き人間なら本当にやりかねないから真相を聞いてとても放送できないような内容になることを恐れ、ファドラは後半については聞かなかったことにした。
同時に、やっぱりティムは自分のことが好きではないのではなく、また、自分に魅力がないという訳でもなく、この目の前の過保護者のせいで今の状態を招いているのだと思った。
「アルさんはもてそうですね」
「何度も言いますが、私はティム様のために命を捧げております故……」
真顔でひたすらティムの下着へ目線を注ぎながら畳んでいるので、とりあえず、取り上げる。かなり不満げになるアルを見て、この家の洗濯物は全て自分で責任をもって畳まなければいけない気がすると心に刻む。洗濯物はこの手で守る。というかそもそもこの人を家に上げ続けているのも実はよくないのではといまさらながら考える。実害はないと思うが。
今後のことを色々と思い悩んでいるファドラに、アルは話しかけてくる。
「それはそうと、私としても、ティム様には大人の一歩を歩んでいただきたいという気持ちがないという訳ではありません。ここはやはりファドラ様にひと肌脱いでもらうほかないと思うんです」
「え、脱ぐ、脱がなきゃ……? やっぱりぃ?」
何故か嬉しそうに演技っぽく手を頬にあて、恥ずかしい~と腰をくねくねさせてみる。しかし、アルはそれを完全に無視して、続ける。
「そこで、秘策を与えます。あまり強すぎず、さりとて弱すぎず、ティム様を堕とす、いえ、落とすには最適な策を考えました。それは──」
アルはファドラに秘策を告げる。
「それ、本当にティムに効果あるんですか……?」
いぶかしげな視線をアルに送り、疑問を浮かべるファドラだったが、一方のアルは妙に自信ありげだった。
「大丈夫です。ベタではありますが間違いありません。もし私がティム様に同じことをしてもらったら全財産を投げ売り命を落とし地獄の底へ落ちることになろうとも誘惑にのらざるを得ませんから」
真顔で言うものだから、きっとこの人は真面目だ。しかし、恐怖を感じる。というか、これはティムが望むことというより、この人の趣味なのではないか。かといって、ファドラに他にどこかに頼れる先もなく、
「わ、分かりました……やってみます」
了承するのだった。
洗濯物は無事畳み終わり、次は夕食の準備だ。夕食の準備もだいぶなれたもので、アルから学ぶのはおおよその知識や料理のレパートリーという点だけになっていった。
そうこうし、数日経った後、いよいよ作戦遂行の準備が整った──
ティムはその日いつも通り帰宅する。
「ただいま~」
帰宅を告げる声に、この頃はきちんと返事が帰ってくる。
「おかえり~」
うきうきとした声で出迎えられるのはまんざらでもなかった。最初数日は疲れ果てていた声だったが、この頃はアルの修行にも慣れてきたのか、ほとんど陽気な声で返答が来る。ずっと一人で暮らしてきたティムにとっては、帰ってきて家に明かりが灯っている、そして、出迎えられるというこはとても心温まることだった。
一人でいたうちはわからなかったことだが、人が出迎えてくれるというのはとても大きい。今、もう一度一人で暮らせと言われたら、それはそれはもうつらいだろう。
それにしても、ファドラの雰囲気が何かいつもと違うような気がする。料理もきちんとおいしそうにできているし、服装も普段着で変わりない。けれども、何かが違う。嫌な予感ではなく、単に感じるのは雰囲気に対する違和感。
「ファドラなんかあった?」
ティムは着換えをしながらなんとなしに聞いてみる。
「え!? な、なにもないよ!?」
ファドラは変に大きな声で、びっくりしたように返答してくるので、余計に違和感を感じた。首をかしげてファドラを見てみるが、やはり、特に変化はない。となると、これから何かが起こるのだろうかという胸騒ぎがしてくるが、予想などつくはずがない。
おとなしく、食事の席に座り、普段通りに色々な話をしながら、何事もなく食べ終わる。ただの自分の勘違いだろうか。しかし、ファドラの顔がわずかにほてっているような気がする。
「熱でもある……?」
「な、ないってば! だいじょぶ、だいじょぶ! あ、ティムくん、私先にお風呂いただくね」
順番が決まっていたわけではないので、どうぞ、と送り出し、あがるまで本でも読んで待つ。風呂をあがったファドラに変化はなく、ティムも続いて入りに行った。
それを見届けると、よしとファドラは意気込み、作戦を遂行することにした。
そう、彼女が数日間用意していたのは、いつも着ているだぼだぼのおしゃれ感のない普段着の変わりとなる服だったのである。ティムがお風呂に入っている今が、着替えるそのベストタイミング──!




