第11話
「いいですか、ファドラ様。主婦たるもの、いついかなるときも家庭を守り、主人のためバックアップできることは全て完璧にこなさないといけません」
ティムが仕事に行っているティム宅でファドラに力説するのは、何故かエプロン姿のアルであった。
適度に筋肉がのった身長のある金髪成人男性の体に装着されているエプロンは少し特殊な性癖を刺激するかのように斬新で、どこかの層には需要があるのかもしれないが、ファドラから見ると、困惑の一言である。けれども、そんなファドラを無視して、アルは言葉を続ける。
「料理を正しく作ることは基本中の基本です。それに加えて、主人、この場合はティム様ですね。ティム様が好みの味付けを行うべきです。おいしいというのは各人の判断ですが、料理を正しく作れていないということはその土俵にさえ立てていないということになります。基本もできないのに隠し味などという挑戦はくれぐれもなさらないでください」
話しながらも、料理する準備をしていく。肉料理の下準備として、豚肉。調味料として塩、砂糖、ナツメグなどの香辛料、ローズマリーやタイムといったハーブ類。なるほど、こんなにもたくさんの調味料がティムのキッチンには備え付けられているのかとファドラは感嘆の声をあげる。そういえば、趣味で料理をしていたと言っていた。
「最初はここまで凝った料理を作る必要はないと思いますが、最終的にはここのキッチンにある各種調味料とも役割を覚えてください。時間はあるのですから、ティム様が満足いく以上のものを作れると理想です。あ、ちなみにこの料理は丸一日くらい煮込む時間かかるので、覚悟してください」
にこっと笑顔で言うアル。何を隠そう、しばらくの間ファドラの面倒を見るという仕事を自らアプローチしてティムから仰せつかったのだ。ファドラを痛めつける、もとい、教育できるのであれば喜んで、とこの仕事を引き受けたアルは心底嬉しそうだった。
「味はもちろんのことですが、料理のレパートリーも大切です。毎日同じ物では当然飽きます。そして、もう一つ、絶対に忘れてはいけないことがあります。わかりますか?」
アルは手際よく肉に切れ込みを入れてながら、問う。
「えっと……わ、分かりません」
「は? 少しは頭使って考えてくださいよ。あ、これ続きやってみてください。包丁やその他道具の使い方は習うより慣れよ、です」
「あ、は、はい!」
知識を叩き込まれながら、作業をするという経験はこれまでファドラにはなかったことだった。何か一つのことをやっていればいい、そういう生活を送ってきていた。作業をぎこちなくこなそうとするファドラを横目にアルは再び講義を開始する。
「答えは栄養価です。食事はもちろん味を楽しみ生活に潤いをもたらすものでもありますが、その根本は栄養摂取にあります。ティム様は肉体労働をしている訳ではありませんが、毎日相当頭を使っておられます。脳は体内で最も栄養を必要とする部位。その部位をフルタイムで使用しているのです……あなたと違って」
話の後半にぐさっと心に突き刺さる一言を言われた気もするが、作業に不慣れすぎてそれどころではない。けれども、そんなファドラをさしおいて、アルは続ける。
「先ほど言ったように、味も大切です。ティム様はあまり濃い味を好まれないので、刺激的な調味料は控えめに。今日のところは私がおおよその量を指示しますから、その通りにしてみてください。他の料理に挑戦するときは、まずはレシピ通りに。ティム様に味わっていただき、その感想を参考に調整してください」
「うぅ~」
もはやファドラは混乱状態、あわあわと手を動かす。
「わからないことは聞いてください」
それでもアルは追撃の手を緩めることはなかった。
午前はアルが会社の仕事をしていたので、午後一から開始された作業だったが、そうこうして料理が完成する頃にはすでにティムが帰宅する時間となっていた。
「ただいま~」
という若干上機嫌なティムの声が聞こえる頃には、アルの完璧なサポートによる完璧な料理が仕上がっていた。
ティムが帰宅し、ダイニングテーブルを見ると、その上には、先日とは打って変わって非の打ちどころがないように見える料理。そして、その横には疲れ果てて放心状態で座っているファドラ。目が死んでいるとはこのことか。すべてに疲れ果て、ティムが帰ってきたことにさえ気づいていないようだ。
「おぉ~い、ただいま~」
目の前で手をふりふりさせ、ようやくファドラははっとする。
「あ、ティムくん! おかえり~」
嬉しそうにほほ笑む様子がまた痛々しい。おおよそ何があったのか予想できるティムは、せめて目の前に広がる苦労の末できた最高の作品をしっかり味わって最大級のねぎらいの言葉をかけてあげようと思い、席に着く。
「さ、さ、ファドラ、食べようよ~! アルは帰ったんだね、食べていけば良かったのに。どれも美味しそう~」
ティムは一口含むと、噛む。何時間もかけて煮込まれた豚肉にしみ込んだ調味料と肉汁がじゅわと溢れ出る。口内に甘味と旨味が広がり、味付けの良さを感じる。
その様子を見守るファドラ。味付けの多くはアルが行ったとはいえ、ここまで時間をかけて自分が行ったことの結果が今目の前のティムが味わっているのだ。ファドラの目線を感じつつ、ティムはかみしめる。そして、その視線に答えるように言う。
「おいしい!」
「ほんとぉ? よかったぁ~」
瞬間、緊張していたファドラの表情は緩み、笑顔になり、自分も料理に手を付ける。
「あ、ほんとだ、おいし~。さすがアルさんだなぁ……私じゃこうはいかないかも」
「あいつ、なんでもできるからねぇ」
しみじみとティムはアルのことを思い浮かべる。並々ならぬ努力をしている彼は、才能があるというよりは、秀才という表現が正しいだろう。それは料理においても同じだった。ティムにごちそうするという数少ない機会のために、日々鍛錬をしているというのだから恐ろしい。
「そうだ、ファドラ。変なこと言われなかった? 大丈夫?」
ティムが異様に心配そうに聞いてくる。ファドラの面倒を見るというのは、確かにティムがしてくれと頼んだことではあったものの、半分くらいはアルの意思もあった。彼が、やはりどうしてもファドラを最低限ティムのもとで暮らすための力を身につけさせたいと申し出たからである。どうやら、複雑な思いがあったらしいが、あまり詳しくは詮索しないことにした。
ファドラを連れてくるということは、結果として、アルの意見を全面的に否定することに繋がっているため、そのくらいは受け入れてやらないといけないと思ったからだった。
本来なら、だれか使用人を雇って、基本的な生活について多少身に着けてもらうという予定だったのである。
ともあれ、食事はティムの大絶賛によって終わった。
「明日も頑張ってね!」
というにこにことした無邪気な期待は、ファドラにとって大きなプレッシャーでもあったが、反面、うれしくもあった。
人に何かを期待されて、その期待に応えるために、色々なことを頑張って、という生活は、これまでにもしてきた。けれども、親からの期待、周囲の人からの期待はどれも重いもので、そして、嫌だった。けれど、今目の前にある期待は違う。それは暖かくて柔らかくて、何より、ファドラは、ティムに期待されなくても、そうしたいと思っているのだ。
その事実にわくわくするファドラは、うん、と大きくうなずいた。
食事が終わり、片付けが済む。
今日、この日、ティムは一つ決心をしていた。
昨日一人で寝ていたファドラが来た初日のことである。もちろん、ファドラは、自身の部屋で寝ていた。
ティムは一人ベッドの中で考えていた。
「あれ、なんで僕一人なんだろう」
と。そして、自分とファドラの関係を考え直した。あの時、自分はどういっただろうか。そう、ティムは「結婚を前提に付き合って欲しい」と言った。それにファドラはイエスと返したはずだ。ということは、よく考えなくても、付き合っているという関係のはずだった。それも結婚を前提だ。言うなればゴールはすぐそこ、である。
確かに、付き合ってからの日付は短いかもしれないが、共に相思相愛であったのなら、これまでの数年間、いや、ずっと昔から付き合っていたといっても過言ではないと自分に勝手に言い聞かせるティム。
がつがつと下品に接触するつもりはないが、少しくらい、例えば、そう──
「そ、添い寝くらい……!」
したかったのだ。今日は一人だが、明日こそは、と息巻いて眠りについたのだ。
そのことを思い出しながらシャワーを浴びる。なんだか恥ずかしくなる。今自分は裸だが、ファドラは何か考えているのだろうか。それとも、彼女はそんなことに興味がないのだろうか。一緒に寝たいと考えるのは、あまりよくないことだろうか。
「な、なさけない……!」
一人で頬を染め、顔を手で覆いながら、思わずつぶやいた。シャワーから流れ出る水の音がその声をかき消す。
ううん、しかし、と考える。女性経験が多いというのも別によろしいことだとは思わないし、うんうん唸る。普段デキる男のティムだったが、この手のことにはあまり強いとは言えない。
「今度アルにでも相談のってもらおうかなぁ~、あいつなんかそういうのすごそうだし」
ふに~と自分のほっぺを引っ張って顔のマッサージをしながら考える。きっと懇切丁寧に教えてくれるだろう。
「よしっ」
けれども、ティムは人一倍度胸はあった。やると決めたこと、自分がやりたいことに対してならば、引かない顧みない。
風呂から上がり、寝間着にお着換え。
入れ替えで、ファドラが入っていく。見届け、ダイニングテーブルの椅子にくつろぐ。
「あ、ティム~!」
ひょこと風呂場から顔を出しているので振り向く。
「ファ、ファドラ! 上! 見えて!!」
見えているように見えたが、胸は見えていない。肩が露出されているので思わず驚いてしまったのだ。
「ね、タオルないから取って~」
一方のファドラは特に気にする様子もなく、平然と告げる。いや、むしろ、こうも過剰に気にしているのがおかしいのではあるが。
水が落下する音が聞こえる。
うぅんと唸る。気にしだすと止まらない。これまでは全くと言っていいほど気にしてこなかったが、そういえば、もしかしてもしかしなくても同棲しているのだ。以前はなし崩し的に数日一緒に暮らしていたものの、今となっては違う。正式にお付き合いしているのだもの。
「だめだだめだ、何を、僕は二十四の男だぞ」
自分で自分に言い聞かせてみるも、バクバクは止まらない。
物事、やってしまえばなんとかなるものだ、いついかなる苦労にも立ち向かってきた、そんなティムだったが、どうにも理性が回らない。やはりこれこそが生物の生物たるゆえんなのだろうか。生物の神秘なのだろうか。
そうこう思い悩んでいると、
「いいおゆでした~」
と、ファドラがあがってくる。寝間着はきちんと着ているが、濡れた髪や湿った肌がなんとも言えない色気を醸し出しているように、少なくともティムにはそのように見えた。何回も見ているはずなのに。
「ふぁ、ふぁど……っ!」
あたふたする。
「ん? なに?」
ファドラはなぜかあたふたしているティムの顔をいじわるそうにいつもより顔を近づけてのぞき込む。普段とは違う様子を感じ取ったらしかった。ふわとファドラの香りがティムの鼻をくすぐる。
「あ、あのさ、嫌ならいいんだけど~」
へへと何もおかしくないのに照れ笑いをしながら話すティム。普段携えている微笑みとは違った緊張からくる笑い。
「なになに?」
不思議そうに、分かっているのか分かっていないのか、たずねるファドラに、ええいと己の迷いを断ち切って、ティムは言った。
「きょ、今日から一緒のベッドで寝ない?」
その声に、きょとんとするファドラ。きょとんとするファドラにきょとんとするティム。きょとん対きょとんがほんの少しの時間続き、ファドラが返答する。
「えー、寝にくいから嫌だ~」
まさかの返答に、えっと驚くティム。マジかよ、そんなのあり? と。異様に緊張していた自分がばからしくなり、段々腹さえ立ってくる。そんなティムの表情がだんだん険しくなるのを見て、ファドラは、まずいと思ったのか、きちんと返答することにした。
「い、いいよ! だからそんな不機嫌にならないでよぉ、ね」
「も、もう! ファドラは僕のことからかってるよね!」
むーっと膨れてぷんぷんとしながらティムは自分のベッドの上へ向かおうとする。そんなティムを後ろからぎゅっと抱きしめるのは、ファドラだった。
こうして、この日、二人はティムのご希望通り、晴れて一緒のベッドで寝た。




