第4話 公開産卵【ユリウス】
その朝の月晶館には、いつもより人が多かった。
正面玄関から続く廊下に、普段は見かけない子供たちの姿がある。
「こっちだよ」
母親に手を引かれた小さな女の子が、少し興奮した様子で歩いていく。
その後ろには、学生らしい少年たちが数人。首から下げた入館証を揺らしながら、何やら話し合っている。
「今日って、公開形成も見れるんだよね?」
「うん。午前から」
「どれくらい見られるんだろ」
「形成が終わるまでじゃない?」
月晶館には、セレノの形成や排出を見学できる場所がある。
すべての形成や排出が公開されているわけではない。
むしろ、通常は本人の意思と安全が最優先される。
それでも、一部のセレノは自らの意思で形成を公開することがある。
教育や研究のため。
セレノという種族を知ってもらうため。
そして、月晶がどのように生まれるのかを、外の世界の人々に伝えるため。
今日、その公開形成を行うのがユリウスだった。
見学窓の向こうには、普段の排出室とはまるで違う部屋が広がっていた。
大きな円形の形成室。
床には複雑な魔法陣が描かれ、その中心には淡い光が浮かんでいる。
そして、その中央。
ユリウスは空中に横たわるようにして浮かんでいた。
「……浮いてる」
女の子が呟く。
正確には、ユリウス自身が浮いているわけではない。
晶守が魔法によって、その身体を支えている。
ベッドに寝ているような姿勢のまま、ユリウスは目を閉じていた。
白い服の裾が、わずかな魔力の流れに揺れている。
まだ、何も起きていない。
そう見えた。
「お兄ちゃん、寝てるの?」
「そう見えるね」
母親が答える。
けれど、そのとき。
ユリウスの周囲に、ひとつ。
淡い光が生まれた。
「あ」
女の子が声を上げる。
光は、どこからともなく現れたわけではなかった。
形成室の空気そのものが、ゆっくりと輝き始めていた。
壁際に漂っていた淡い魔力が、細い糸のように伸びていく。
ユリウスへ向かって。
ひとつ。
またひとつ。
細い光が集まり、彼の身体の周囲をゆっくりと巡っていく。
見学窓の前に置かれた説明板には、いくつかの言葉が並んでいた。
――セレノ。
体内で魔力を生成し、その余剰魔力を月晶として排出する種族。
――形成。
体内に蓄積された魔力が変質し、月晶となるまでの過程。
――月晶。
セレノの魔力によって生み出され、魔法に用いることで特殊な効果を発揮する結晶。
その下には、今日の公開形成についての説明がある。
周囲の魔力を取り込みながら形成を行うセレノ、ユリウスの形成を公開します。
「周りの魔力を使うんだ」
学生のひとりが説明板を見ながら言った。
「普通の形成とは違うの?」
「かなり違うみたい」
「じゃあ、この館の魔力も全部あの人に集まるってこと?」
「全部じゃないでしょ」
小さな笑い声が起こる。
その向こうで、ユリウスはゆっくり息を吐いていた。
「ユリウスさん」
傍らの晶守が声をかける。
「眠れそうですか?」
「……うん」
目を少しだけ開けて、ユリウスが答える。
「人、多いな……」
「公開ですから」
「そっか……」
それだけ言うと、また目を閉じた。
気にしているのか、気にしていないのか。
見学窓からではよく分からない。
ただ、嫌がってはいない。
それだけは分かった。
魔力は、少しずつ増えていった。
最初は細い光だった。
それが次第に太くなる。
床を這うように流れていた光が、ユリウスの身体へ吸い寄せられる。
髪の先をかすめる。
肩を包む。
胸元へ集まり、身体の中心へ沈んでいく。
そのたびに、ユリウスの身体の内側が淡く光った。
「きれい……」
誰かが呟いた。
それは、まるで海だった。
広い海の中から、無数の光が一人の人間へ集まってくる。
ユリウスはその中心にいる。
光を受け取り、巡らせ、少しずつ自分の中へ取り込んでいく。
セレノの身体は、魔力によって生きている。
人間も魔法を使う。
けれど、人間が使う魔力は、道具や月晶など、外から得たものを利用することが多い。
セレノは違う。
自らの身体で魔力を作る。
生きるために。
そして、その魔力が余るほど生まれるからこそ、月晶を作る。
ユリウスは、その過程を目の前で見せていた。
「……あ」
女の子が窓に顔を近づける。
「お腹、光ってる」
本当に、光っていた。
集まった魔力が胸から腹へ移り、そこで渦を巻いている。
ゆっくり。
ゆっくり。
やがてそれは、ユリウス自身の魔力と混ざり合っていった。
「ユリウスさん」
「ん……」
「少し休みますか?」
「大丈夫」
ユリウスは目を開けた。
眠たそうな顔だった。
「いつも通りだから」
「分かりました」
晶守はそれ以上何も言わない。
また魔法を調整する。
ユリウスの身体を支える魔法。
そして、周囲の魔力を取り込むための魔法。
どちらも細心の注意が必要だった。
ユリウスの形成は、普通のセレノよりも周囲への影響が大きい。
昔は、それが問題になったこともある。
「ユリウスって、昔からこうだったんですか?」
見学者のひとりが、館内スタッフに尋ねた。
「周囲の魔力を取り込む性質は、幼い頃からあったと聞いています」
「じゃあ、普通のところでは生活できなかった?」
「形成中は、少し難しいこともありました」
スタッフは穏やかに答えた。
「他のセレノの形成に影響してしまうこともありましたから」
ユリウスの周囲に、また光が集まる。
「だから、専用の形成室が作られたんですか?」
「それも理由のひとつですね」
スタッフは見学窓の向こうを見る。
「ただ、ユリウスさん本人が、公開してもいいと言ってくれたことが大きいです」
「本人が?」
「はい」
少し前のこと。
専用の形成室を用意することが決まったとき、ユリウスはそれを聞いて、
――どうせなら、見せたらいいんじゃない?
と言った。
それが始まりだった。
セレノがどんな種族なのか。
月晶がどうやって生まれるのか。
形成とは何なのか。
言葉だけでは分からないことを、実際に見てもらう。
もちろん、公開するかどうかを決めるのは本人だ。
誰かに強制されるものではない。
だから今日も、見学窓の向こうにはユリウスがいる。
本人の意思で。
そして魔力は、まだ集まり続けていた。
――一日目。
見学に来ていた子供たちは、昼になると帰っていった。
午後には別の学生たちがやってきた。
ユリウスはほとんど変わらない。
空中で眠っている。
ただ、周囲の光だけが少しずつ増えていく。
――二日目。
昨日来ていた女の子が、また母親に連れられてやってきた。
「まだいる!」
「まだ形成中なんだね」
「ずっと寝てるの?」
「たぶんね」
女の子は窓の前に座り込んで、しばらくユリウスを眺めていた。
――三日目。
魔力の流れは、明らかに変わっていた。
これまで絶えず動いていた光が、少しずつ速度を落としている。
集まる。
巡る。
沈む。
そして、静かになる。
ユリウスの身体の周囲を覆っていた光が、最後のひとつまで身体の中へ吸い込まれた。
ぴたり。
音がしたわけではない。
それでも、誰もが分かった。
終わった。
晶守が魔力の状態を確認する。
しばらくして、
「形成、完了です」
と告げた。
見学窓の向こうから、小さな声が上がる。
「終わった?」
「もう?」
ユリウスが目を開ける。
数秒ぼんやりしたあと、
「……終わった?」
「はい」
「そっか」
ユリウスは小さく欠伸をした。
「じゃあ、あとは排出だね」
形成が終わっても、それで終わりではない。
セレノにとって、形成と排出はひとつながりの周期だ。
身体の中で育てた月晶は、最後には外へ出さなければならない。
それは、どれほど美しい形成をしたセレノでも変わらない。
排出の準備が始まる。
見学窓の向こうには、先ほどまでと同じように人がいる。
けれど、空気は少し変わっていた。
誰も喋らない。
ユリウスは空中に浮いたままだった。
晶守が身体を支える魔法を維持している。
けれど、それ以上のことはしない。
排出は、ユリウス自身の身体で行う。
本人が目を閉じる。
「……始めます」
「うん」
呼吸が変わる。
ゆっくり息を吸う。
吐く。
そして、身体に力を込める。
「……っ」
光が大きく揺れた。
形成のときとは違う。
今度は、ユリウスの身体の内側から、外へ向かって魔力が動いている。
ユリウスの眉が寄る。
それでも、誰にも助けを求めない。
「……っ、う……」
もう一度。
力を込める。
晶守はすぐそばにいる。
けれど、手を出さない。
ただ、いつでも支えられるように見ている。
ユリウスが小さく息を吐いた。
「……もう少し」
その声に合わせるように、身体の周囲の魔力が震えた。
そして――
淡い光が、ユリウスの身体からゆっくりと離れていく。
見学窓の向こうで、誰かが息を呑んだ。
それは、卵にも似た形をしていた。
手のひらに収まるほどの、楕円形の結晶。
淡い光を宿している。
生まれたばかりの月晶は、ユリウスと同じように空中に浮かんでいた。
ユリウスの身体から離れた瞬間。
彼の身体から、ふっと力が抜ける。
「……終わった」
その声は小さかった。
晶守が魔法を少しずつ弱める。
浮いていたユリウスの身体が、ゆっくり下降していく。
月晶も、その隣を静かに降りてくる。
床まであと少し。
晶守が手を伸ばした。
ユリウスの身体を、そのまま抱き留める。
「はい。お疲れさまでした」
「……ん」
ユリウスは目を閉じたまま、晶守の腕の中で力を抜いている。
まるで眠ってしまったようだった。
もう片方の手では、月晶が丁寧に受け取られる。
淡い光が、晶守の手のひらを照らしている。
見学窓の向こうでは、しばらく誰も何も言わなかった。
やがて。
「……すごかった」
小さな女の子が言った。
「うん」
母親も、静かに答える。
「僕も魔法、使ってみたい」
隣にいた男の子が言う。
「魔法は練習すれば使えるようになるわよ」
「じゃあ、僕もああいうの作れる?」
母親は少し考えてから、
「それは……セレノじゃないと難しいかもしれないね」
と笑った。
女の子はまだ、ユリウスのいた形成室を見ている。
「セレノって、すごいね」
その言葉が、窓越しに静かに落ちた。
ユリウスは目を閉じたままだった。
けれど、ほんの少しだけ口元が緩んだ。
やがて、見学者たちの前に月晶館のスタッフが立つ。
「本日の公開形成は以上となります」
丁寧に頭を下げる。
「今ご覧いただいたのが、セレノの形成から排出までの一例です」
その言葉を最後に、見学窓の前にいた人々が少しずつ歩き出す。
子供たちは振り返りながら。
学生たちは何かを話し合いながら。
大人たちは静かに。
それぞれの世界へ帰っていく。
その向こうで。
月晶館では今日も、ひとつの月晶が生まれた。
魔力の海の中で。
ひとりのセレノとともに。




